第11話 紫水晶色の仮面
王家主催の夜会に向けて、リリアンナは空白期間の貴族の動向について学んだ。
王族に次いで地位の高いドゥヴァリス公爵の妻という立場なので目上の者は数えるほどで、礼を失して目くじらを立てられることは少ない立場だが『知らない』は貴族として侮られる。
以前もそうだったが、護国の英雄の妻という立場は完璧を求められる。
空白期間はそれなりにあるが、戦好きの国王の暴走を抑えるために重要な貴族がそれなりに一枚岩になっているため大きな政争もなく、貴族の勢力図に大きな変更はない。いくつか家が増えて、いくつか家がなくなった程度。
(あとは、国王の愛妾であるヴィアルディ夫人が姫を産んだくらい)
リスミダーナ・ヴィアルディ。この国では耳馴染みのない名前の彼女は南の国の娼婦で、国王に“接待”として献上された女性らしい。絵姿を見て納得した。絵姿に描かれた彼女の容姿はこの国の貴婦人に多い白い肌に明るい髪色。南の国は褐色の肌に黒髪の多い。選民意識の強い国王があの国の娼婦を連れ帰ったと新聞で読んだときは驚いたが、この容姿を見れば納得できるし……。
(陛下は蛮族の国で娼婦に落とされた不遇の貴婦人を助けたような気分になられたでしょうね)
王妃様が産んだ姫なら別だが、愛妾が産んだ姫なので貴族にとっては姫がまた増えたくらいの感覚。国王を除く有力者は誰もが戦を望んでいないため、姫を他国に嫁がせる政略の駒としなくていいことは良かったとリリアンナは思う。
(領地のお義父様も王都にいらっしゃるのかしら?)
イグナシオの父アグニスハルトからは、シフォン滞在中に手紙をもらった。寝ている間に自分の息子と親友の娘が結婚していたことへの驚きと、リリアンナの無事を喜ぶ言葉に、義理でも父親として亡きリアンの代わりにリリアンナを大切にすると書かれていた。エアハルトもアグニスハルトに歓迎され、体調が許せば王都に来て仲良くしたいと書かれていた。
イグナシオがリリアンナと離婚しようとしていたこと、エアハルトを処分しようとしていたことについては手紙に書かれていなかった。蒸し返す話題でもないからか。それとも知らないのか。
(家令長のコンスタンをはじめとして何人も領地に向かったから、全く知らないはないわよね)
リリアンナはしばらく思案したが、考えても答えの出ないことなので別のことを考えることにしたのだったが……。
(ノーセント侯爵家……)
リリアンナはどうしてもノーセント侯爵家が気になっていた。
キアラ男爵夫人の生家である侯爵家は3年前に当主が交代している。新当主は先代当主の息子だが、リリアンナの記憶にない次男。調べてみるとその次男は庶子で、先代当主に認知されていたものの養育を放棄されていた。
なぜそのような扱いの息子が爵位を継いだかといえば、先代当主夫妻、その息子の長男夫妻、そして娘のキアラ男爵夫人が相次いで亡くなったからだ。
原因はコカ病。
コカ病は南の暖かい地域に生息するコカという極小の虫から感染する奇病で発症すると命は助からない。最初は体が麻痺した状態になり、次第に体のあちこちが石のように固くなって動けなくなり、臓器がどんどん機能しなくなり、最後は肺か心臓が固くなって動かなくなる。苦しみながら死にいたる怖い病気だ。
資料によると、最初に発症したのは侯爵夫妻で、高齢による病症と判断されたことでコカ病と気づくのが遅れ、同居している長男夫妻も感染し発症した。
一番発症が遅かったものの、原因となるコカを持ち込んだのはキアラ男爵夫人だった。
これまでのアグニスハルトへの献身の感謝の気持ちで、夫人の身は感染拡大を防ぐために領主邸の離れに移されはしたものの、そこで公爵家の主治医たちの懸命な治療を受けることができた。両親と兄夫婦の犠牲によりコカ病と早くに気づけたこともよかった。結局夫人も亡くなってしまったが、長く生きることはできたのだ。
(書かれていることにおかしいことはないのだけれど――)
リリアンナにしてみれば、キアラ男爵夫人がコカ病にかかった「原因」とみられる南部への旅に違和感がある。確かに夫人が訪れた神殿は病気の治癒祈願で有名な。しかし、今さら感が否めない。
原因が分からず眠り続けるアグニスハルトが目覚めることを願うためだったようだが、アグニスハルトは10年以上眠っていた。数年単位であっても定期的に行っていたことなら分かる。それなのに突然思い立ったように旅にいき、偶然流行していたコカ病に感染し、そして南部からの通り道だからと立ち寄った実家で父親をはじめとする家族のもとにコカを持ち込んで感染させてしまう。
不幸な事故、それで片付けることには気持ち悪さがある。
不自然なことならもう1つ、コカ病で亡くなったノーセント侯爵家長男の娘のミリディアナ嬢のこと。
彼女は家族の喪に1年服したあと、70代の貴族の後妻になった。父親の弟がノーセント侯爵家の当主となったことでミリディアナ嬢はノーセント侯爵家の傍系となり、ミリディアナが貴族のままでいるには爵位を持つ、もしくは持つ予定の男性と結婚しなければならなかったと資料にはある。新当主はろくに貴族教育を受けていないし、社交もしていないから用意できる縁談には限界があった。だから、あまり評判の良くない老貴族の後妻しかなかった……と見ることはできる。
しかし、リリアンナからすればあのミリディアナがイグナシオを諦めて嫁にいったこと自体が変なのだ。
ミリディアナはイグナシオがリリアンナの恋人になる前から、そしてリリアンナの夫になったあとも、かなり積極的にアプローチしていたとリリアンナは周りから聞いている。周りからの伝聞なのはミリディアナのことをリリアンナが聞いて嫌な思いをさせたくないというイグナシオの過保護を汲んでのこと。それとイグナシオが何も気にしていない様子から、リリアンナがイグナシオとミリディアナの関係を気にしたことはない。
(御両親が亡くなって不透明になった先行きに不安になって、確実な縁談を選んだと言えるけれど……)
ミリディアナをイグナシオの嫁とすべく色々画策していた先代侯爵が亡くなり、ミリディアナ自身は貴族でいられるかどうかの瀬戸際。余裕がなかったとも言えるが、逆に当時のイグナシオは独身もしくは妻の死亡判定を待っている独身予備軍。独身予定のイグナシオがいるのに王都から離れた田舎の、しかも七十歳を過ぎた男性の後妻になるだろうか?
(これではまるで罰…………罰、なら……どこからが罰? 始まりは……男爵夫人? 彼女の罪はなに……いや、止めよう)
「わわっ!」
いろいろ考えてぐちゃぐちゃになった頭を解すようにリリアンナが頭を振ったら、すぐ後ろからエマの驚いた声がした。
「髪飾りをつけているときに頭を振らないでください」
「ごめんなさい。ちょっと考えごとをしていて」
鏡越しにエマを見ると、ブラックダイヤモンドがついた髪飾りをひしっと抱え持っていた。
「難しいお顔をなさっていましたね」
「そう?」
「今日の奥様の姿だと迫力3倍増しです」
リリアンナは自分の姿を見下ろす。
今夜の王家主催のパーティーを皮切りにして社交シーズンが始まる。それに合わせてリリアンナが誂えたのは紫色。イグナシオの瞳の色のドレス。リリアンナはデビュタントの夜会で白を着たのを除けば、この色のドレスしか着たことがない。
「ブラックダイヤモンドで仕上げたら紫に黒で暗すぎると思っていましたが、奥様だと神がかって見えます。さすが旦那様の見立てですね」
ニコニコと笑うエマの無邪気な様子に、リリアンナは騙していることに申し訳なさを感じる。イグナシオが作り上げた『再愛』を使用人たちも信じている。だから少しだけ、この屋敷はリリアンナにとって息苦しい。
「奥様」
準備を終えて部屋を出ると、廊下で待っていたカミールが敬礼した。あの日以来、カミールはリリアンナの専属護衛としてどこに行くにも一緒だ。
「エアハルトは?」
「坊ちゃまはソールと演習場で剣の稽古をしております。お見送りにはいらっしゃると聞いております」
エアハルトの専属護衛はソール、そしてもう一人クラウスという騎士だ。ソールとクラウスは自らヴェリタスの誓約をすると申し出て、【エアハルトを裏切らない】という文言でエアハルトと契約を結んでいる。同じようにカミールもリリアンナと契約すると申し出たが、こちらはリリアンナが断った。
別にカミールを信用しているわけではない。
いまリリアンナは自分が置かれている状況が分からないから、カミールが裏切るという行動が何かを知るきっかけになると思っているからだ。
(そのあたりも閣下は分かっていらっしゃると思いますけどね)
侍女たちとカミールを連れてぞろぞろと正面ホールに向かえば、すでにイグナシオがいた。リリアンナに気づくとにこりときれいに笑ってみせて、手に持っていたブーケを差し出した。白いバラだった。
「今日の君も美しい」
「ありがとうございます」
リリアンナもきれいに微笑を浮かべてみせれば、周りの使用人たちがほうっと感嘆し、頬を染めたのが分かった。今夜最も注目をあびるであろう2人。奇跡の愛の物語とまでいまや言われる『再愛』の一場面の挿絵のような光景。
これから社交界相手に演じる前座としては上々と、リリアンナは苦いものを呑みこむ。この正面ホールであの日あったことを再現したら使用人たちはどのような表情をするのか。そんな考えがリリアンナの頭にちらついたとき……。
「お母さん!」
走ってくるエアハルトの姿にリリアンナの思考が途切れ、そのままぽふんっと抱きついてきた息子の小さな体をリリアンナはぎゅうっと抱きしめる。エアハルトの後ろをソールとクラウスが追ってきた。
「ソール、エアハルトの稽古の様子はどうかしら?」
「坊ちゃまは木製の剣を使用しての稽古が始まりました。剣筋はとてもよろしく、今後の成長が楽しみでなりません」
リリアンナと二人のときは大人しい印象があったが、こうして元気に動き回る姿を見るとやはり我慢させてしまっていたようだ。腕の中のエアハルトを見ると、エアハルトはイグナシオを見ていた。
「あ、あの……」
「え……?」
エアハルトがイグナシオに自分から話しかけた。リリアンナは吃驚したが、イグナシオもその表情を隠せないほど吃驚していた。
「今日、ソールが剣の型を見せてくれたんです」
「あ、ああ……」
「それで、ソールが……閣下のはもっときれいで、速くて、すごいって教えてくれたから……だから……」
エアハルトがイグナシオに向けるのは、期待と遠慮の籠る瞳。同じような気持ちでイグナシオに「見せて」と強請った自分のときをリリアンナは思い出す。
「分かった、近いうちに時間を作ろう」
「ありがとうございます」
ぱああっと顔全体で喜びを表すエアハルトから嬉しい気持ちがリリアンナにも伝染してきた。
(エアハルトは……変わってきている……)




