表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

第10話 白霞色の庭

(またこんな時間に起きてしまった)


まだ日が昇って間もない時間に目覚めたリリアンナ。


王都ウナリアにあるドゥヴァリス公爵家のタウンハウスで暮らし始めて3ヶ月もたつのに、治癒師だったときに身についた早起きのクセはまだ抜けていない。



リリアンナはまたドゥヴァリス公爵夫人になった。


イグナシオは離縁の白紙を裁判所に申請するのと同時に、国内の主要新聞各社はリリアンナの生存を報じた。土砂崩れに巻き込まれたときリリアンナは妊娠していて、イグナシオに嫡子が生まれていたことも併せて発表された。


土砂崩れに巻き込まれて記憶を失い平民としてシフォンで暮らしていたリリアンナはイグナシオと偶然再会したことで記憶を取り戻してハッピーエンドと、ロマンス仕立ての新聞記事。できすぎな設定だが、分かりやすいあらすじに多くの人が共感し熱狂した。


王都のタウンハウスで過ごすリリアンナのもとにはたくさんの貴族からご機嫌伺いの手紙が届いた。貴族たちは我先にと最新情報を求めている。リリアンナは説明の手間を最小限にするため、社交シーズンの始まりを示す王家主催の夜会まで沈黙することにした。


その夜会は来週で、その後は公爵夫人としての社交で慌ただしくなるだろうリリアンナは準備の最終確認で忙しなかった。



(再愛、か……)


いつの間にか、イグナシオとリリアンナのことは『再愛』と騒がれるようになった。リリアンナが行方不明になる前、イグナシオが妻のリリアンナを溺愛して『最愛』と公言していたことに合わせているのだろう。



英雄として国を守り続けるイグナシオは国民の人気が高い。


新聞社の綴るロマンスはあまりにでき過ぎたものだが、国民はイグナシオを盲目的に信じているためそのロマンスを真実として推し、信じていない者がいても、それが貴族であろうと数で圧倒して黙らせた。



記憶を失ったリリアンナが平民としてシフォンで暮らしていたことは、セレニアを筆頭にトレッシア侯爵家の協力のもと偽装がされてる。


貿易都市シフォンは人の出入りが激しく、異国の人が多く行き交うため人々の色も種類が豊富だ。リリアンナの珍しい銀髪も、北からの貿易船が停泊するシフォンでは悪目立ちしないし、褐色の肌・桃色の髪色・金色の瞳など他にもたくさんの『珍しい』があるためリリアンナの『珍しい』もその1つとして町の中に埋もれやすかった。


住民の記憶も改ざんした。


大きな都市では他人の記憶など曖昧だから、わざと誘導して話を作れば、住民たちの記憶の中の人物は銀髪の若い女性になっていく。「そういえば銀髪の若い女性だった」と「あれがリリアンナ夫人だった」と人々は勝手に記憶を作り、噂話を広げていく。我が町が再愛の舞台になる。熱狂して噂は踊り狂い、作り上げた嘘は真実味を帯びていく。



いま多くの貴族がリリアンナについて調査しているだろうが、「事故のあとシフォンにいたようだ」という結果になるだろう。リリアンナをヴェルナから姿を消した治癒師のアンナだと結びつける可能性は限りなく低い。


それでもセレニアは念には念を入れる形で、押し入ってきた無頼漢から助けてくれた騎士と恋に落ち、子どもと共にどこかに逃げたという話を密やかに広めようとした。広めなかったのは必要なかったから。あの日、ソールがリリアンナをお姫様抱っこして馬車に乗せる姿を住民の多くが注目しており、ヴェルナでは似たような噂がとっくに流れていた。



あの日リリアンナが聞いた毒の情報は、トレッシア領主へと報告された。


トレッシア領主は魔力測定器に異常がなかったことを公開し、治癒師たちの体のほうを調査するようにヴェルナの役人たちに指示した。その結果、治癒師たちの体から未知の毒が発見された。


魔力を魔法に変えるとき、同じ威力の魔法に従来の4倍ほどの魔力が必要になるという変換効率に異常を起こす毒だとリリアンナは聞かされた。当然だがリリアンナの体からもこの毒が検出された。


このことでリリアンナには合点がいかないこともある。『なぜトレッシア領主はその毒を知っていたのか』だ。解毒薬もあったということがその証明だ。


(誰もその毒に騒がなかった……つまり彼らは知っていたということ。そして私は知らない。この6年の間で『毒』と考えて最も可能性があるのは……)


頭に浮かんだのは先代ドゥヴァリス公爵・アグニスハルトだったがリリアンナは気づかないことにした。教えられないということは知ってはいけないことだから。リリアンナは素知らぬふりで解毒剤を服用した。


解毒薬の効果は直ぐに出て、王都にくる前にリリアンナの体に毒は残っていないことは確認された。



 ◇



「おはようございます」


朝日の位置が高くなり、色も白いものに変わった頃、専属侍女のエマが入ってきた。エマはおしゃべりが好きで、いろいろなことを話しながらリリアンナの身支度を整えてくれる。


毒の排出がすんでも、異常が起きた魔力の循環システムにはリハビリが必要だからしばらく魔法は控えておくようにと医者に言われていた。風魔法で屋敷内を探れないことにリリアンナは落ち着かなかったが、リリアンナが聞けばエマは何でも応えてくれる。おそらくその許可がイグナシオから出ている。


リリアンナが戸惑うくらい、リリアンナとエアハルトは公爵家に歓迎された。あの日の使用人は誰もおらず、彼らは全員領地の屋敷に移動となったと聞いた。リリアンアだけでなくエアハルトにも専属の使用人がつき、家庭教師もついてエアハルトにとって良い環境が提供された。



「失礼いたします」


リリアンナの朝の支度が終わる頃、もう1人の専属侍女ミーシェが入ってきた。ミーシェも侍女だが、ミーシェの場合は公爵夫人の仕事をサポートする役割のほうが強い。


「侯爵様はすでに登城なさりました。今夜もお帰りは遅いそうです」


イグナシオは朝早くに出かけて、夜遅くに帰ってくる。屋敷の中を移動中、偶然出くわすくらいしか顔を合わせることはない。


まるで離婚を言い渡されたときの再現のようだが、あのときとリリアンナの心境は違うのでイグナシオの反応を見る前に背を向けている。あのときと違うというのを見せつけたい意地なのかもしれない。そんな己の小ささを自覚してもいるが、やり返せているようでリリアンナは気分がよかった。


このように滅多に顔を合わせないイグナシオだが、それでも以前に比べては屋敷にいるらしい。


エマによるとリリアンナが行方不明になってからは時間ができればリリアンナの捜索、リリアンナの死亡が決まったあとは戦場にいるか城にいるかしかなかったという。それを聞いてイグナシオがあの女性とどうなったのかがまた気になったが、それをエマに聞いていいのか分からないので聞くのはやめた。



「エアハルト坊ちゃまは、午前中は家庭教師の授業を受け、午後から行きたいと仰っていた王立図書館に行くご予定です」


ここに来たばかりの頃は、右も左も分からなかったこともあり言われるまま授業を受けている様子だったが、最近のエアハルトは『したいこと』を言えるようになっていた。リリアンナしかいなかったヴェルナとは違うことをエアハルトも感じているのだろう。あの頃言えなかった『やりたい』を叶えている様子に、リリアンナは申し訳なさを感じてもいた。



朝食の前に庭を歩くのがリリアンナの日課だ。


リリアンナはエマに渡された日傘をさしながら気ままに庭を歩く。何十年もたったわけではないから、タウンハウスの建物は変わらないけれど庭はところどころ変わっている。


(これも変わったのね)


かつて白いバラの株が植えられた場所に咲く、赤い花の小さな花弁にリリアンナは触れた。屋敷の庭は家の顔でもあるため庭の管理は家政を取り仕切る夫人の仕事だが、リリアンナは庭師たちに任せている。花が、嫌いというわけではない。


(どんな方なのかしらね)


見たことはあるけれど、名前は知らない赤い花。


(彼は花には興味がない)


以前の(ここ)は、イグナシオから相談を受けてリリアンナが作った庭だった。当時のリリアンナはまだ夫人ではなく婚約者だったから、「花の種類は決めてほしい」とイグナシオにいったことがある。イグナシオの答えはいつも「白いバラ」だった。


どんなときもイグナシオは白いバラだった。


エスコート役の手土産は白いバラの小さなブーケ。プロポーズのときに贈られたのも、白いバラの大きな花束。いつ聞いても「白いバラ」しか言わないから、かつての庭は白いバラばかり咲いていた。完成した庭をイグナシオは満足気に見ていたけれど、確かに白一色の庭も趣があるとは言えたけれど、花さえもバラばかりの庭は花に疎いと言っているのも同じで……。


(赤、黄色、青、ピンク……)


―― ドゥヴァリスだからセンスがいいですむのですよ。


あの日、満足気に立つイグナシオの横で呆れていたリリアンナが見ていた白い庭は、とても色彩豊かな美しい庭になっている。あの日あった白はどこにもない。あれほどあった白いバラは一掃され、その場所には赤や黄色の花弁が揺れている。それがリリアンナには、自分の代わりに誰かがここにいた証のように思えた。


誰か。

「他に愛する女ができた」とあのときイグナシオが言っていた女性。


彼女が誰かというのはさほど気にならないが、どうして彼女と結婚しなかったのかということは気になっている。その理由を知っておきたい。いつまた自分の立場が危うくなるか分からないから。


イグナシオは誓約したから、エアハルトを殺すことはない。嫡子であることも公的に認められた。でも、エアハルトが将来公爵になれるかどうかは別の話。


リリアンナとしてはエアハルトをどうしても公爵にしたいわけではない。エアハルトが望まないならば、別の者を立ててもらうように進言するつもりでもいた。あくまでもエアハルトが望まないならば。


いまエアハルトが受けているのは貴族子息としての教育。これがこの先、ドゥヴァリス公爵になるための教育に変わっていく。公爵になる教育を受ければ、公爵になる未来をエアハルトは意識する。エアハルトが公爵になるのだと思ったあと、他の誰かにその座を奪われるのは許せない。あのときの自分のような思いをエアハルトにはさせたくなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。ブクマや下の☆を押しての評価をいただけると嬉しいです。次回は10月20日(月)20時に更新します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ