第15話「旅のはじまりに、朝の光を」 〜眠りの余韻と、新たな約束の声〜
朝の光は、眠りの余韻をやさしくほどき、
静けさの中に新しい響きを連れてきます。
その光の先に、まだ見ぬ扉があるのかもしれません。
どうぞ、その一歩を共に。
スイートルームの窓辺に、やわらかな朝の光が射し込んでいた。
薄いレースのカーテンが風に揺れ、夜の熱をゆっくりと溶かしていく。
玲央はベッドに背を預けたまま、まだまどろみの中にいた。
シトロンが用意してくれたバスローブを羽織り、
テーブルに並べられた朝食の香りに、ふと目を細める。
温かいクロワッサン、
半熟のエッグベネディクト、
甘酸っぱいルバーブのコンフィチュール。
ルームサービスのカートが静かに部屋の片隅に控えている。
「……朝、って、いいな」
玲央がコーヒーカップに口をつけながら呟く。
「俺がいっしょにいるからか?」
隣で脚を組んだシトロンが、いたずらっぽく笑う。
琥珀の瞳は、まだ夜の続きを覚えているような光を宿していた。
玲央は顔を赤らめ、クロワッサンをひとくちちぎって口に運んだ。
その仕草に、シトロンがわずかに目を細める。
「……ねえ、そうやって目を伏せて誤魔化すの、もうバレてるよ?」
玲央はコーヒーカップに唇を寄せたまま、小さく睨むように視線を向けた。
「……朝から、からかうなよ」
「からかってなんかないよ」
シトロンはさらりと笑う。
「ただ、好きな人が“好きな顔”をしてるのが嬉しいだけ。
──それだけだよ」
その言葉に、玲央の頬がさらに赤く染まった。
けれど、今度はもう口を塞がなかった。
シトロンの視線が、彼の胸の奥に静かに触れていることが、伝わっていたから。
静かな笑いがこぼれ、ゆったりとした朝が流れていく。
ベルリンの街も、まだ静かだった。
だが、次の一歩はもう迫っている。
そのとき──テーブルの上の電話が突然鳴り響いた。
玲央とシトロンが顔を見合わせる。
シトロンがゆっくりと受話器を取ると、向こうから聞き慣れた声が響いた。
『……私だよ』
「……アラン?」
『おはよう、ふたりとも。
起きてると思って電話したんだけど、邪魔だったかい?』
シトロンが小さく吹き出す。
「いや、ちょうどクロワッサンの時間だった」
『おっと、邪魔してしまったなら、
君たちの“あま〜い朝のバターの香り”を台無しにしたかもしれないね?』
「……どこで聞いてた」
玲央が思わず声を漏らす。受話器の向こうのアランが笑った。
『昨日のコンサート、君たちの登場はすでに“ベルリンの夜”を騒がせてたよ。
金の髪の青年と、漆黒の燕尾服の美貌──まるで映画のワンシーンだってね。
玲央、君は気づいてないのかもしれないけど、写真が何枚か出回ってるよ。』
玲央は目を見開いた。
「……ちょっと待って、なんであのホールにいたことまで……?」
『今、ホテルのロビーにいる。上がってもいいかな?』
シトロンが笑いながら返した。
「好きにしろ。ベルリンは君の街じゃないけど、どうせ迷わず来るだろう」
*
5分後、ドアがノックされた。
姿を現したアランは、グレーのロングコートを翻しながら、両手に紙袋を提げていた。
「お土産。ブランチ用のラズベリーベーグルと、
僕の最新お気に入り──ヴィーガンカカオバナナケーキ」
「……ほんと、どこから嗅ぎつけてくるの」
玲央が呆れ混じりに言うと、アランは肩をすくめて笑った。
「まさか、
この二人がドイツに来てるのに放っておくわけないじゃない。
僕も昨日からベルリン入りしてたんだ。
仕事半分、君たちに会いに来るのが半分」
シトロンがソファの背にもたれながら訊いた。
「で、何の用だ?」
アランはウインクし、すっと人差し指を立てる。
「君たち、次はポーランドに行くつもりだろ?
だったら……僕も同行させてもらおうかと思って」
玲央は瞬きをした。
「……え?」
「旅は三人のほうが楽しい。
それに、あの写真に写っていた“もう一人の若者”のこと──
僕も、彼の足跡をこの目で確かめたいんだ」
アランの言葉には、真剣な熱が宿っていた。
静かな朝の空気が、すこしだけ引き締まる。
次の扉が、そっと開いた気配がした。
「ようやく、そろったわけだな」
シトロンが立ち上がり、カップをテーブルに戻す。
玲央は小さく笑った。
「……じゃあ、行こう。僕たちの旅の続きを」
朝の光が、テーブルの上の楽譜と、白い皿の上のベリーを照らしていた。
À suivre.
読んでくださり、ありがとうございます。
やわらかな時間の中で交わされた言葉は、
まるで未来へ渡す約束のように、
胸の奥に静かに灯ってゆきました。
旅は続きます。
光と影、祈りと声──
そのすべてを抱きしめながら、物語は次の朝へ向かいます。




