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第11話「記録の中の声」〜祈るように、猫を描いた人の名を〜

言葉にならなかった祈りが、記録となって残されることがあります。

今宵の猫恋は、遠い夜に描かれた“ひとつの猫の絵”が、誰かの名前をそっと呼ぶお話。

まだ終わらない想いが、またひとつ、未来へとページを開いていきます。


窓の外には東京の夜景がひろがり、無数の灯が遠く瞬いていた。

ワイングラスの底に残った赤が、琥珀のランプの光に揺れている。

玲央はそっと体を起こし、テーブルの上に置かれたノートパソコンを開いた。

「……アレクシからだ」


低く告げる声に、シトロンが片肘をついて隣から覗き込む。

件名には、冷ややかな文字列。

《調査データ転送:音楽家生存者リスト/報告書》

玲央は深く息を吸い、クリックした。

無数の名前が並んだ表が現れる。

淡々としたリストなのに、どこか墓碑銘のように冷たく見えた。

しばらく目を走らせて――玲央は、かすかに声を震わせた。


「……やっぱり……ない。……ミミの.....名前が、どこにもないんだ」


シトロンは言葉を返さず、ただ玲央の肩に手を置いた。

温かな重みが、無言の慰めのように伝わる。

続いて玲央は、ファイルのもう一つの添付を開いた。

調査報告書。

その末尾には、署名があった。

Hélène-Claudia Seifert(エレーヌ クラウディア ザイフェルト)

母・玲那が学生時代に出会った友人の名だ。

玲央は小さく呟く。


「……やっぱり、母は彼女に頼んでいたんだ」


画面に映る文章を、玲央は声に出して読み始めた。


『私は長い年月をかけ、戦争を生き延びた音楽家やその家族に会ってきました。

ある人々は語らず、沈黙の中で亡くなりました。

ある人々は勇気を振り絞り、記録を残しました。

そのひとつに、晩年のある女性の手記があります。』


次のページに、揺れるような筆跡が載っていた。


『……彼女はよく地面に小さな猫の絵を描き、

その猫に向かって話しかけていました。

祈るような声で、愛する者の名を呼ぶように。

やがて病が進み、最期の夜、誰かの名を呼んで静かに逝きました。』


画像の片隅には、拙い猫のスケッチが添えられている。

玲央は息を呑み、机の引き出しからアントワーヌの手帳を取り出した。

乱雑に挟まれたページをめくると、そこにも同じような猫の絵。


「……似てる。まるで、同じ想いが描かせたみたいだ」


シトロンはその横顔を見守り、低く囁いた。


「……残響は確かに残ってる。

祈りも想いも、全部。お前が今、触れてる」


玲央は瞼を伏せ、唇を噛んだ。


「……母は、ここまで辿り着いていたんだ。僕に渡す前に」


二人の間に、静かな夜が降りた。

都市のざわめきが遠くに揺れ、窓の外の灯りが瞬く。

玲央はシトロンの手に自分の手を重ね、そっと囁いた。


「……まだ続きがある。僕たちが確かめなくちゃいけない」


シトロンは黙って、その手を強く握り返した。

答えはいらなかった。


アレクシからの着信。


『よろしければ……クラウディアさまと、お繋ぎいたしますか?

実はすでに連絡を取らせていただいておりますが……』


玲央は息を呑んだ。


「……繋いでくれ」


短い沈黙ののち、スピーカーから響いたのは、深いビロードのような声。

暖かく包み込むメゾソプラノ。


『……Bonjour. Vous êtes bien Reo? 

Enchantée, je suis Claudia… une amie de Reina.』

(こんにちわ、あなたがレオ?

初めまして、レイナの友人のクラウディアです。)


低く、温かく、豊かな余韻を残す響きが、玲央の胸に直接届いた。

その瞬間、彼の瞳に驚きと涙が同時に滲む。

シトロンは静かに微笑み、肩越しにその声を受け止めていた。

――未来へと繋ぐ、新たな扉が開こうとしていた。

À suivre.

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

描かれた猫の絵に、声にならなかった祈りが宿っていたとしたら──

それを受け取った手のぬくもりが、また新たな扉を開いてくれるのかもしれません。

次回もどうぞ、玲央とシトロンの旅路を見守っていただけたら嬉しいです。

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