エピローグ「アントワーヌの鍵」 〜月の記憶を継ぐ朝〜
月の光が、過去と未来をそっと繋いでいきます。
物語は静かに、ひとつの季節の幕を閉じようとしています。
今回は、《猫と暮らせば、恋がくる。》Season3その最終話となるエピローグをお届けします。
シトロンと玲央が辿った記憶の旅の終わりに、もうひとつの“鍵”が開かれます。
月の間を出たとき、空はすでに夜と朝のあいだに滲みはじめていた。
白んだ空気の中を、玲央とシトロンは並んで階段を降りていく。
サロンは静けさに包まれ、廊下に射し込む月明かりも、もう薄くなっていた。
ふたりの足音だけが、時折、絨毯の下の床を優しく震わせる。
階段を降りた先、サロンにはマルセルが静かに立っていた。
ふたりの姿を見て、ほんのわずか、表情を緩める。
「──お帰りなさいませ。リュシアン様が、山荘でお待ちです」
それだけを伝えると、マルセルは静かに微笑み、深く一礼した。
*
その言葉に、玲央は一度だけ小さくうなずき、ふたりは本館をあとにした。
石畳を渡り、庭の中を少し降っていく。
湿った朝露の気配が草に広がり、虫の声も、まだ眠っていた。
*
「……あれ?」
シトロンがふと立ち止まる。
森のなか、小さな坂の先に──これまで見たことのない建物がひっそりと佇んでいた。
「……こんな建物、前からあったか?」
玲央が足を止め、微かに眉をひそめる。
「たしか、いつも木陰に隠れていて……
納屋か何かとばかり、気に留めたことがなかった」
そんな会話の途中、静かに誰かが現れた。
「おはよう。朝ごはんの前に、少しいいかい?」
リュシアンだった。
いつもの穏やかな声。
けれどその手には、ふたつのものがあった。
──古い革張りの手帳。──そして、細いリボンのついた銀の鍵。
「これを、渡したかった」
ただ、それだけを言って、玲央の手のひらにそれらをそっと置いた。
手帳の革は柔らかく、幾度も開かれ、触れられてきたことがわかる質感だった。
鍵は小さく、けれど重みのある銀細工で──見慣れない装飾が、細やかに彫り込まれていた。
「私の父アントワーヌの、ものだよ」
それだけを言って、リュシアンは小さく息を吐いた。
「……彼の人生には、いろいろなことがあった。
すべてを話すのは、また今度にしよう」
そう言って、リュシアンは少しだけ遠い目をした。
玲央は、言葉もなくただ頷き、手の中の鍵をゆっくりと握りしめた。
朝の光が、すこしだけ強くなってきた。
森の向こうから、鳥の声がひとつ響いて──それはまるで、長い祈りの終わりと、新しい始まりを告げるようだった。
小さく風が吹き、銀の鍵のリボンがゆれていた。
玲央は、それを見つめながら、そっと言葉にした。
「……ありがとう。受け取ります」
その先に何があるのか、まだわからない。
けれど──それでも、進んでいける。
誰かがくれた祈りを、今度は自分が守っていく。
それが、彼に託された「鍵」なのだと、玲央はもう知っていた。
手帳の表紙に、ひとつの名前が刻まれていた。
Antoine de la Lune──アントワーヌ・ド・ラ・リュンヌ
その名を心に刻みながら、玲央は朝の光のなかを歩き出す。
玲央は小さく息をつき、隣にいるぬくもりをそっと感じた。
シトロンは、ただ静かに微笑んでいた。
「──お前なら、きっと守れる」
目が合った瞬間、ふたりはわずかに笑い合った。
やわらかな土を踏みしめながら、ふたりは朝のひかりのなかを歩き出す。
静かに寄り添う気配だけが、そっと後ろに影を落としていた。
La saison 3 s’achève. La suite vous attend dans la saison 4.
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
《猫と暮らせば、恋がくる。》Season3、
今回の物語では、戦争という過去の傷にも触れる回が多く、いつもより重い場面もあったかもしれません。
それでも、悲しみの中にある祈りや、繋がりを信じる気持ちを描きたくて、ひとつひとつ丁寧に綴ってきました。
読んでくださるあなたの心に、静かな灯がひとつでも灯っていたなら、これ以上の幸せはありません。
そして――次回、《猫と暮らせば、恋がくる。》Season4近日公開予定です。
舞台は再び、過去と現在をつなぐ記憶の扉へ。
新たな季節の始まりを、どうぞお楽しみに。
Merci beaucoup, et à bientôt…




