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第5話 「銀のオルゴールに眠る記憶」 〜それは“祈り”から始まる恋〜

静かに降り積もる想いがあります。

言葉にできず、形にもできず、けれど確かに受け継がれていくもの。

玲央はひとつの扉を開き、時を超えて届いた「祈り」に触れます。

それは、ただの記憶ではなく──

彼の心に灯る、あたたかなはじまりの物語でした。


ほんの少し前まで、自分には「未来」なんてものはないと思っていた。

8歳の記憶。白い光。叫び声。崩れる車体・・・そして、母の腕の中。

あの瞬間から、自分の時間は止まっていた。

愛されることは、失うことと同義だった。

誰かを好きになれば、またいつか、壊れてしまう。

それが怖くて、ずっと、殻の中に閉じこもっていた。


でもいま。


この館に満ちている、遥かな想いの残り香。

月の光に似た、静かな祈り。

そして、隣にいる人の、確かな温度。

自分の中で、何かが、ほんの少しずつ・・・溶けていく音がする。

記憶の奥底に封じ込めた痛みが、やわらかく揺らぎはじめる。

そうしてようやく気づいた。

愛されることは、たしかに怖い。

けれど、それ以上に・・・

「誰かを愛したい」と思えることが、こんなにも、生きることに似ているなんて。

……もし、この気持ちが本物なら、

もう一度、人生を選び直せる気がする。

失うかもしれない未来ごと、差し出してもいいと思える誰かがいる。

その手を、離したくない。


──そう思った玲央は、そっと息を吸った。


マルセルに案内され、玲央とシトロンは洋館の一階奥、重厚な扉の前に立っていた。

扉の中央には、真鍮で象られた月の紋章。 その下に、小さな鍵穴がある。

玲央がポケットから取り出したのは、母・玲那が遺した黒革の手帳。 その表紙の内側に仕込まれていた、細い銀の鍵を鍵穴に差し込むと、 静かに、しかし確かな音を立てて錠が開いた。

 

薄暗い階段を、ひと足ずつ確かめるように降りていく。

地下の書斎・・・そこはかつて真澄が使っていた空間であり、今はひっそりと時を止めたように静まり返っていた。

重厚な木製の書棚には、洋書と和書、古びた帳面や香水瓶が整然と並び、空気には紙とインクと、微かに沈香のような香りが残っている。

その奥にある机の上。ぽつんと、ひとつの小さな銀の箱が置かれていた。 

玲央は息を飲む。

それは、手のひらほどの小さな箱。蝶番がついており、オルゴールの仕掛けが施された、繊細な装飾の品だった。

そっと手を添えて、蓋を開く。

 ──カチリ。

次の瞬間、淡く美しい旋律が、静寂を破るように鳴りはじめた。

それは、懐かしくもどこか切ない、優しいメロディ。


「……オルゴール?」


シトロンが囁く。

玲央は音に耳を傾けながら、そっと中を覗き込んだ。

そこには、白麻のハンカチがたたまれ、何かを包んでいる。

ハンカチには銀色の鍵が包まれていた。


玲央は、ハンカチをそっと広げた。


月の光を浴びたその布地は、時間の流れを忘れたように静かに輝いている。

指先が、角に縫い込まれた細やかな刺繍に触れた。

淡い金糸で綴られていたのは、フランス語の古風な筆記体・・・


『N’est-ce point la même lune que jadis ?

 Dans l’éclat profond de la nuit,

tu m’apparais — vestige d’un songe évanoui.』

(かつて見たあの月と、今夜の月は同じではないのだろうか?

深く静かな夜の光の中に、君の姿が浮かぶ──消えゆく夢の名残として。)


その瞬間、空気がわずかに震えた。

耳元で、風でもない、声でもない何かが囁く。

視界の端がにじみ、香のような柔らかな気配が、玲央を包む。

玲央の意識がふっと遠くへ引かれていく。

 

──やわらかな春の朝。

ガラス張りのテラスで、広がるレースドレスに身を包み、金糸を刺しているクロエの横顔。

淡い陽光に包まれながら、 ふくらんだお腹を愛しげに撫でるその手。 

言葉ではない、祈りのような愛の動作。

──夢ではない。これは、確かに生きていた“愛”の記憶。

 

意識が戻ったとき、玲央の手の中にはハンカチがあった。

その金糸が、まだ温もりを持っている気がして・・・

 

気づけば彼は、無言のままシトロンの方へ一歩、近づいていた。

マルセルがすぐ傍にいることなど、もはやどうでもよかった。

何も言わず、ただシトロンの体を、そっと両腕で抱きしめた

シトロンの肩が一瞬わずかに揺れた。 

それは驚きの反応だったが・・・ふざけた言葉も、軽い冗談も、一切返ってこなかった。

ただ静かに、シトロンの両腕が玲央の背中に回される。

そして、ごく低く、やわらかく、耳元で囁くように。

「Je t’aime──」

玲央は小さく息を吸い、そっと言葉をこぼした。

「……ずっと、そばにいてくれ」

その声はかすれていたけれど、 誰にも聞き間違えることのできない、本物の願いだった。


......to be continued...


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

このエピソードは、玲央が「想いを受け取る」ことに真正面から向き合う、はじめての瞬間でした。


傷ついた過去を抱えながら、それでも誰かを想う気持ちが、彼の胸に静かに芽生えていきます。

たった一枚のハンカチ、たった一曲のオルゴール──けれど、それは何よりも深く、やさしい贈りもの。


“愛を信じることは、過去を愛することから始まるのかもしれない。”


そう感じていただけたら嬉しいです。

次回は、鎌倉での温かな宴。そしていよいよ、パリへの旅立ちへ──。

引き続き、ふたりの物語をどうぞ見守ってください。


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