第1話「ボーン家からの招待状」〜未来に触れる鍵、朝の香りとともに〜
朝の光とともに届いたのは、一通の封書でした。
それは、過去からの招待状であり、未来へとつながる扉でもあったのかもしれません。
プロローグを経て、いよいよ本編が動き始めます。
『猫と暮らせば、恋がくる。』シーズン3 第1話──新たな旅のはじまりを、どうぞご一緒に。
「お届け物です。ボーン家から」
アレクシが銀の盆を差し出したとき、カップの縁から立ちのぼる甘い湯気はまだ漂っていた。
クロワッサンに塗ったチョコレートの余韻と、搾りたてのクレモンティーヌの酸味が、口の奥にかすかに残っている。
その豊かな朝の香りの中で、封蝋の赤だけが、妙にくっきりと目に映った。
シトロンの視線が、炎のような金色をひそかに細めた。
その視線を受け止めるように、僕は指先で厚い紙の感触を確かめ、静かに封を切った。
『親愛なるレオ・イチジョウ・ド・ラ・リュンヌ様。
我が館にて催す小さなお茶会に、ぜひご出席くださいませ。
心よりお待ち申し上げます。
イザベラ・ド・ボーン』
読み上げると、朝の光がわずかに冷えたように感じた。
静けさに満ちていた空気の奥に、かすかな緊張の糸が張りつめていく。
「……断ることもできる」
シトロンの声は低く、熱を抑えた氷のように響いた。
「どうして?」
「あの家は、いつも裏がある。呼ばれるときは、こちらが何かを試されるときだ」
金の髪を無造作にかきあげる仕草さえ、光をまとったように鮮やかだった。
その姿を見ていると、僕は自然に微笑んでしまう。
「君が一緒なら、僕は大丈夫だよ」
その言葉に、シトロンはふっと小さく笑った。
「……お前は本当に厄介だな」
招待状をテーブルに置いたまま、僕はふと思い出す。
瑠璃――僕にとっては、ずっと昔の祖母にあたる人。
前にボーン家を訪れたとき、アトリエには多くの遺品が残されていたが、手にできたのは“鍵”ひとつだけだった。
美術品の保管を任されているロジェなら、何か知っているかもしれない。
そして、あの夜のことも。
鎌倉の祖父リュシアンがグラスを傾けながら語った、意味深な言葉を。
『祖母の家には古い手紙がいくつも残っていてね。
その中に、Rurieが“満月の夜にこのシャンパーニュを開けて、未来の誰かに願いが届くように”と書き残していたものがあったんだ』
彼が開けてくれたのは「Champagne Delamotte Blanc de Blancs」。
『これは、私の祖母――Rurieが好んでいたシャンパーニュなんだ』
「未来の誰かに」――その言葉が、静かに胸の奥で響き直す。
もしかすると、それは僕たちのことなのかもしれない。
「にゃあ……」
テーブルの下から、白い毛並みがのびをしながら現れた。
眠そうな目をしたシュウが、当然のように椅子に飛び乗ってくる。
「お前まで聞いてたのか?」
シトロンが、わずかに肩を揺らした。
シュウは喉を鳴らし、前足で封筒の角をちょいとつつく。
そのときだった。
「……行った方がいいだろうな」
低い声が、確かに響いた。
振り向いても誰もいない。声は――シュウの奥から漏れていた。
「黒川先生……?」
僕は名を呼ぶ。
「失礼。シューを通じて話している」
落ち着いた声が答えた。
「ボーン家の美術品は、前から気になっていた。
すでに館の関係者とも連絡を取っている。私が同行しても不自然ではないはずだ」
一拍おいて、さらに静かに続く。
「心配はいらない。式を二体連れていく。学会発表の準備よりも簡単なことだ」
その声音には、穏やかさと同時に確かな意志があった。
「……それに、レミーに頼まれたのだ。玲央くんを無事に、と」
その言葉に、胸の奥があたたかくなる。
シュウは金の瞳を細め、先生の言葉をなぞるように小さく鳴いた。
招待状は、もはやただの封筒ではなかった。
瑠璃が残した言葉や、まだ見ぬ記憶のかけらへと繋がる、扉のように見えた。
シトロンは小さく息をつき、そして肩をすくめる。
「決まりだな。――厄介ごとの始まりだ」
その口調は軽やかでも、金の瞳の奥には真剣な光が宿っていた。
À suivre.
最初の一話は、少しずつ時が動き出す朝の描写から始まりました。
ボーン家の名が再び現れたことで、玲央とシトロンが向き合う“過去と現在の継ぎ目”が少しずつ姿を見せていきます。
シーズン3では、遺された想いと新たな記憶が交差し、ふたりの絆がさらに深まっていく旅路を描いていきます。
次回も、静かな光と共にお届けできれば幸いです。




