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第4話 『あはれの人、月の贈りもの』〜...oui... 言葉より深く、君に届いたもの〜

玲央とシトロンは、“クロエの部屋”へと足を踏み入れます。

そこに残されていたのは、銀の鏡と櫛・・・

そして、刺繍のほどこされた巾着・・・

それは、百年前のパリ。

月の夜に交わされた、ある「贈りもの」の記憶。


ふたりの物語は、いま静かにその始まりへと向かっていきます。


静かな朝食の余韻が残るテラス席。

玲央はマルセルから手渡された黒革の手帳を手にしていた。

手帳の表紙には、月を象った銀箔の紋が光を帯びて刻まれていた。


「……これは、玲那様が遺されたものです」


マルセルの声には、どこか祈るような響きがあった。

玲央はそっと手帳を開く。

その瞬間、彼の胸元に淡い光が浮かび上がる。シトロンの胸にも、同じように印が共鳴していた。


「……反応してる。これ……」


「“月の記録帳”と呼ばれるものです。月の契約に関する記録が綴られております」


マルセルが説明を続ける。


「ただし、全てが読めるわけではありません。契約の印が共鳴することで、少しずつ開示されてゆきます」


ページをめくると、見慣れた筆致で記された母・玲那の文字。 フランス語と日本語が混ざった、独特のリズムを持つ記述だった。


『契約は、死によって終わらぬ。結ばれし心が、ふたたび目覚めるのを待つ』


「……これ、母さんが……」


玲央の指が一節の上に止まった。 その瞬間、胸元の印がまた淡く光る。


「これって……」


シトロンが声を落とす。


「まるで、導かれてるみたいだな」


手帳の中ほど、銀のインクで書かれた一節が浮かび上がる。


『クロエの香袋のなかには、勾玉のかけらと共に、一首の和歌が収められていた。  

それは、真澄様が初めてクロエ様に贈った“誓い”だったという──』


玲央は目を見開いた。


「……和歌?」


「はい。湯原王が詠んだ古歌でございます」


マルセルがそっと答える。


月読つくよみの光に来ませ あしひきの  山きなりて 遠からなくに』


「・・・月の光を頼りに、逢いに来てください。山が隔てているようでも、それはほんのわずかな距離なのですから……これ....ラブレターだ....」


玲央の声がかすかに震える。


「しかも筆で……パリで初めて会ったときに渡したなんて……」


「クロエ様は日本語がわからなかったはずなのに、なぜかその歌を理解されたと伝わっています」


シトロンが静かに言った。


「もしかして……その勾玉のかけらに、なにか……」


「はい」


マルセルは頷いた。


「真澄様は、日本を発つ際、月読命を祀るご実家より受け継いだ勾玉のかけらをお持ちになりました。

それは“契約の守り”としての霊的な力を持ち、クロエ様に贈られたのです」


「……それで、クロエは和歌の意味がわかった?」


「明言はされておりませんが、その夜以降、クロエ様はご自分でその和歌を刺繍した巾着袋を作り、勾玉とともに大切に保管されておりました」


「その巾着袋……どこに?」


「本館・クロエ様の私室の引き出しにございます」


玲央とシトロンは顔を見合わせた。


「行ってみよう、シトロン」


「うん……きっとそこに、君たちの記憶が繋がる鍵がある」


* * *


西館の二階・・・月の光が最も美しく差し込むといわれた、ひときわ明るい角部屋。


扉を開けた瞬間、玲央は小さく息を呑んだ。

そこにあったのは、華美ではないけれど、繊細で息を呑むほど美しい空間だった。


フランス風の家具のあちこちに、日本の和布を思わせる淡彩のクッションや裂地があしらわれている。

壁には、草花と月の刺繍が施されたタペストリー。

窓辺には香を焚いた形跡があり、淡く白檀の残り香が漂っていた。


「……ここ、なんか……月の光のなかに、誰かが暮らしてたみたいな……そんな感じだな」


シトロンがぽつりと呟いた。

玲央は、静かに鏡台へと歩み寄った。


そこには・・・


銀の手鏡と、同じく銀製の櫛が、布張りの敷物の上に整然と置かれていた。

鏡の裏には、精緻な植物文様とde la Lune家の家紋。そして、古い契約の印のような刻印が微かに光を帯びている。


「……これは……」


玲央がそっと手鏡を手に取った瞬間、胸の印がかすかに脈打った。

けれど、何かが“開く”にはまだ早い──そんな気配を、玲央は本能的に感じた。

彼はそっと鏡を戻し、今度は鏡台の引き出しへと手を伸ばした。


 そこに・・・

月の模様が金糸で刺繍された、小さな巾着が、静かに収められていた。

何かに導かれるように、それを手に取る。軽い、けれど中には何かが入っている。

絹のように柔らかな和紙。懐紙だった。

玲央が巾着の中の和歌と勾玉を手に取っていると、

いつのまにか傍らに立っていたマルセルが、ふと懐かしむような声音で語り出した。


「……あれは、パリでの晩餐会の夜でした。

 クロエ様と真澄様が、初めて出会われたときのことです。


 ・・・百年ほど昔、パリ。

華やかな晩餐会が開かれていた館の、月のよく見えるバルコニー。


クロエ様は、賑わいの中に少し疲れたように、ひととき静かな風にあたりにいらしたのです。

そして……その姿を、真澄様がご覧になったのです。


……“あはれを纏ったひと”と、真澄様は、そうおっしゃいました。


東洋の羽織袴を身に纏った美しい青年が、静かに近づき、そっと声をかけた。


『お待ちください』


その声にクロエ様が振り返った瞬間、

ふたりの間には言葉を超えた静かな気配が生まれていたように思います。


真澄様は、その場でおもむろに懐紙を取り出し、筆を走らせました。

それが、今あなたの手にある、あの和歌です。


・・・『月読の 光に来ませ あしひきの

    山き隔へ なりて遠からなくに』・・・


懐紙と共に、彼はもうひとつ・・・

一條家に代々伝わる“月読命の加護を受けた勾玉”を、静かに差し出しました。


……日本語が読めないはずのクロエ様は、しかし、

和歌を目にした瞬間、ふと微笑まれ、頬に朱を差されたのです。

その刹那、勾玉が淡く光を放ちました


そしてクロエ様は、小さく囁くように、ただ一言。


『……Oui』


それは、まるで最初から意味を知っていたかのような、確信ある返答でした。


そして……そのままご自身の指輪を外して、真澄様の掌にそっと置かれたのです。」


玲央は巾着を胸に抱きながら、そっと目を伏せた。

それは、どこまでも静かで、どこまでも深い・・・

魂と魂の出会いの記憶だった。


「言葉を越えて、想いが届くというのは……あのような瞬間のことを言うのでしょうね。

……Oui......たった一言で、ふたりは結ばれたのです。

あれは、“恋”というより、もっと深く静かな……“祈り”のようなものでした。」


その言葉に、玲央の胸の奥がふっと締めつけられた。

なぜだかわからない。でも、あのときクロエが見た光景が、今、確かに胸の中で揺れていた。


......to be continued.

読んでいただきありがとうございました。


今回は、玲央とシトロンが“クロエの部屋”で遺された巾着を見つけ、

真澄とクロエの出会いに触れる回となりました。


バルコニーに差し込む月の光、静かに交わされた和歌と勾玉・・・

言葉を越えて伝わった想いが、たったひと言「Oui」で結ばれる。

それは“恋”というより、“祈り”に近いものだったのかもしれません。

この静かな出会いの記憶が、玲央とシトロンの心にどんな余韻を残すのか・・・

どうぞ、次回もお楽しみください。

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