第17話「封じられし王たちの記憶」 〜聖なる祈りと、目覚める封印〜
今回はサン=ジェルマン=アン=レーの城館にある、特別な礼拝堂へ向かいます。
地下なのに光が差し込む、自然と一体化した神聖な場所。
そこで玲央たちは──再び“羽”と向き合い、封印の奥に隠された扉に辿りつきます。
静かな空気の中に漂う香りや光、そのひとつひとつが物語を押し進めていく回です。
朝の空はまだ淡く、薔薇色の気配を宿したまま、静かに目を覚ましていた。
深い緑に囲まれたd’Altavilla家の城館。その一角、かつて修道女たちの祈りが捧げられた地下礼拝堂の前に、玲央たちは静かに立っていた。
「……少しだけ待っていて」
式神のシューが、手のひらからぴょんと飛び降りる。小さな白い体はふわりと宙を舞い、地下へと続く古びた石段を軽やかに降りていった。
しばしの沈黙。やがて戻ってきたシューは、ぴたりと玲央の肩にとまり、低い声で告げた。
「──結界がある。中に“何か”が封じられてる。しかも、相当古くて強いものだよ」
その瞬間、黒川の視線が、ふとシトロンに向けられる。
まるで光の揺らぎのように──見えた。
「……シトロンさん。君の背に……羽が、ある」
玲央も息を呑んだ。
あの夜、熱に浮かされたような意識の中で、確かに見た“光の羽”。
今、それは薄く、しかし確かに現れていた。目を凝らせば、陽の差さぬこの地下にもかかわらず、淡く金の輝きを纏って揺れている。
「これは……フェリノアールの印……?」
黒川がそっとつぶやく。
すると、シューが前へ出て、シトロンの背を見つめながら口を開いた。
「そう。これは“封印が綻び始めた証”だよ。
瑠璃の香、玲央の指輪、そして……この“愛”でね。長い眠りから、少しずつ、神の記憶が戻ってきてる」
玲央は息を詰める。
「愛で……?」
「うん。契約の核はいつだって、祈りと愛さ」
小さな式神はそう言いながら、ふと首を傾げた。
「でも、まだ完全じゃない。名前も、記憶も、羽も──ほんの一部が戻っただけ。でもね、もう“始まって”しまったんだ」
シトロンの金の瞳が、玲央を見つめる。
そのまなざしに、ふと心が熱を帯びる。
「俺が“ここにいる”のは、お前が呼んだからだ、レオ」
囁きのようなその声は、まるで神話の一節のように、石造りの空間に静かに溶けていった。
*
礼拝堂の扉を開ける直前、玲央がそっと手を差し出す。
シトロンはわずかに笑って、その手を包んだ。
「……離すなよ」
「離さない」
二人の手の温もりが、そのまま結界を越える決意になる。
扉が開いた瞬間──
玲央以外の全員が、ほんの一瞬、息を呑んで立ち止まった。
冷たい空気。
それは単なる温度ではなく、肌の下を這うような、記憶の深層に触れる“なにか”だった。
「……この感じ、まずいね」
シューがぽつりとつぶやく。
「封印されたままの“強い意思”が、この空間に残ってる。玲央くんだけが平気なのは、たぶん……鍵を持ってるから」
「鍵?」玲央が問い返す。
黒川が頷き、そっとレミーの手紙の一節を読み上げた。
“王は再び冠を戴かん。月と共に生まれし者の手に、鍵は託された。”
その瞬間、玲央の指に嵌められた指輪が、ほんのわずかに、光を宿した。
*
奥へと進む。
礼拝堂の奥には、天井の高いドームのような空間が広がっていた。
城の地下でありながら、崖をくり抜いて造られた構造のため、側面の高窓から自然光が差し込む。
白い壁と大理石の床、ところどころに残る自然な岩肌。人工と自然が一体となった、静謐で神聖な場所だ。
壁や床には、レミーが残した記号や絵、文字がびっしりと刻まれている。
褪せかけた色彩の中に、冠を戴く王、剣を掲げる者、猫の姿をした神──その全てが、時を越えて息づいていた。
「……これ、父が……」
玲央は目を細める。絵のタッチが、確かにレミーに似ている。
「違う、これは遥か昔の写本にある図像に近い」
「だけど、誰かがあとから手を加えた痕跡がある……この“金の羽”とか──」
そのとき。
玲央が、ふと右手を掲げ、指輪をそっとフレスコ画の前にかざす。
すると──淡い金色の光が、指輪から羽へと、静かに重なった。
シトロンの背が、ふっと光に包まれる。
金の羽が柔らかに広がり、礼拝堂全体を照らすように、淡い光の輪を描いた。
*
「見て……!」
壁の一部が、まるで生きているように脈打ち、浮かび上がるように変化していく。
フレスコ画の裏に、さらに奥があることが示されたのだった。
「……扉だ。封印の下に、まだ何かが隠されてる」
黒川が小声で呟く。
その瞳は、知識欲と畏怖、そして敬意に満ちていた。
「この扉の先に……本当の“契約の核心”があるのかもしれません」
玲央はそっとシトロンの手をとった。
「行こう。僕たちで確かめよう。すべてを」
淡く、香が漂った。
それは──懐かしく、優しい香り。
「……瑠璃の香だね」と、シューがつぶやいた。
その香は、まるで玲央たちを導くかのように、奥へと続く光の道を照らしていた。
――À suivre
最後まで読んでくださってありがとうございます。
今回は、礼拝堂という舞台を通して、シトロンの“変化”と玲央の決意が少しずつ形になっていく様子を描きました。
自然光の差す地下、白い壁と大理石、岩肌、そしてレミーが残した数々の記号──
静けさの中に、過去と未来をつなぐ気配が確かに息づいています。
次回は、この扉の向こうに眠る“契約の核心”へ足を踏み入れます。
どうぞ、お楽しみに。




