第3話 『夢の余韻と、月の朝ごはん』〜今日のレシピ:マルセルの朝食 "Un matin pour deux”〜
月の寝室で迎える、ふたりだけの朝。
シトロンと玲央が見たのは、どこか切なくやさしい夢・・・
そして訪れるのは、マルセルが用意した静かで気品ある朝食の時間。
夢と現のあいだで、ふたりの想いが静かに重なってゆきます。
朝のレシピも、よければぜひご一緒に。
・・・ほんのりとした光が、薄いカーテン越しに差し込み、静寂の寝室をやわらかく包んでいた。
玲央は、ひと足先に目を覚ましていた。
月の寝室・・・クロエと真澄が愛を育んだという、天窓から月を望む部屋。
その同じベッドの上で、いま、玲央は息を潜めて隣に眠るひとを見つめている。
シトロンの金の髪は、朝の光のなかでほのかに輝き、白いシーツに溶けていくようだった。
長く濃い睫毛が落とす影が美しくて、玲央は思わず小さく囁いた。
「……綺麗だな」
そして。 その額に、そっと唇を寄せた。 触れるか触れないかの、羽のようなキス。
……ぱちり。
「っ……!」
シトロンの瞼が開き、金色の瞳がまっすぐ玲央を見つめ返した。
「……おはよう、レオ」
玲央は咄嗟に顔を伏せ、枕に埋もれるようにしてごまかした。
「い、今のは……っ、起きてたのか……!?」
「うん。寝たふりしてた」
「なっ……それ、反則だろ……っ」
玲央の耳まで真っ赤になる様子に、シトロンは声を立てて笑う。
「だって、こんなチャンス二度とないかもって……ドキドキしちゃった。すっごく、うれしかった。」
そう言って、背中から玲央に抱きつく。 柔らかな髪が頬に触れ、あたたかいぬくもりが背中に広がった。
「朝から抱きつくな……って言っても、どうせ聞かないよな……」
「うん、ぜんぜん聞かない」
玲央は小さくため息をついたが、頬にはほんの少し笑みが浮かんでいた。
シトロンのぬくもりを感じた瞬間、玲央の胸に、ふと昨夜の夢の欠片がよみがえった。
あの、白く淡い光に包まれた夢・・・
白いドレスをまとった女性が、月明かりの中で微笑んでいた。
その腕には、ふわりとした白猫が抱かれていて、猫は静かに目を閉じて、まるで眠るように彼女に身を預けていた。
髪はやわらかく波打ち、瞳はやさしくて、でもどこか寂しげだった。
声は聞こえない。ただ、唇の動きが、ゆっくりと語りかけているようだった。
『──Reviens sous la lune, mon aimé.』
『月のもとへ還って、愛しきひとよ。』
その言葉だけが、胸の奥に残っていた。
玲央は静かに体を返し、まるで大切なものを包むように、シトロンを前からそっと抱きしめた。
・・・シトロンは玲央の頬に唇をふれさせながら、まるで夢の続きを語るように、静かに囁いた。
「……今、夢を見てた気がする」
シトロンがぽつりと呟く。
「白猫を抱いた、綺麗な女の人の夢……」
「……ああ。僕も、そんな気がする」
ふたりはしばらく、何も言わずに目を見つめあった。
夢の記憶は、もうすでに霞みかけているのに、そこに込められていた“想い”だけが、まだ体のどこかに残っているようだった。
* * *
寝室を出ると、館はすでに朝の準備を整えていた。 長い回廊には透き通るような光が満ち、温室のような空間にはハーブの香りが満ちている。
ガラス張りの天井からは、朝日がきらきらと差し込み、ゆっくりと動く時間のなかに、静けさが漂っていた。
「おはようございます、ご主人様方」
姿を見せたのは、マルセルだった。
深いグレーのスーツに身を包み、完璧な所作で一礼する。
「ご朝食の準備が整っております。よろしければ、温室のテラスへどうぞ」
「ありがとう、マルセル」
玲央が穏やかに頷くと、マルセルは微笑みを浮かべて案内した。
朝食は、白いクロスが敷かれたテラス席で。 紅茶の香りとともに焼きたてのクロワッサン、ハーブと果実のサラダ、オムレツ、フロマージュ……。
すべてが静謐な空気とともに並べられていた。
「……ここ、本当に鎌倉?・・・なんだか、パリにいるみたいだ……」
「ようこそ、鎌倉=シュル=セーヌへ」
「そんな地名、聞いたことない」
「俺が今つくった」
(ふたりの間にくすりと笑いが生まれる)
玲央とシトロンがそう呟いていると、マルセルが音もなく現れた。
「おくつろぎのところ失礼いたします。……玲央様に、お見せしたいものがございます」
手にしていたのは、黒い革張りの小さな手帳。
「……これは、玲那様が遺されたものです」
玲央は手帳を受け取り、そっとページを開いた。 その瞬間、淡く銀の光が一閃、手帳の内側を走った。
「これは……」
「“月の契約”に関わる、記録室への鍵となるものです」
マルセルの声は静かだが、その言葉には重みがあった。
「記録室・・・」
「“月の間”と呼ばれております。その扉は、玲那様にも開けられませんでした。しかし、今の玲央様なら、もしかすれば……」
玲央はその言葉に、無意識にシトロンの手を握った。
ふたりの契約の印が淡く浮かび上がる。
・・・新たな扉が、今、開かれようとしている。
......To be continued.
〜今日のレシピ〜
『マルセルの de la Lune の朝ごはん
“Un matin pour deux”(月の静寂にふさわしい、五感を目覚めさせる朝食〜ハーブと花の香り、光を受けたガラス食器、控えめな甘さと温かさ〜)』
1.ハーブバターとクロワッサン
▶︎材料(2人分)
市販のクロワッサン 2個(焼きたて推奨)
無塩バター 40g(常温)
レモンの皮少々
タイム(乾燥or生)少々
塩 ひとつまみ
▶︎作り方
バターを常温で柔らかくしておく。
そこにすりおろしたレモンの皮とタイムを混ぜ、塩をひとつまみ加える。
ラップに包んで棒状に整え、冷蔵庫で冷やす。
焼いたクロワッサンに添えて、香りと一緒にどうぞ。
▶︎ポイント(マルセル風)
「タイムは控えめに。香りは支配するものではなく、目覚めを導くためにあるのです」
2.フルーツとハーブのモーニングサラダ
▶︎材料(2人分)
白ぶどう 10粒(皮つきOK、種なし)
洋梨 1/2個(薄切り)
お好みのハーブ(ミント、バジルなど)適量
オリーブオイル 小さじ2
レモン汁 小さじ1
蜂蜜 小さじ1
食用花少々
▶︎作り方
フルーツは一口大に切る。ミントなどのハーブはちぎっておく。
ドレッシングを混ぜて、軽く和える。
食用花を飾れば、一気に“de la Lune家”のテーブルに。
▶︎マルセルのひとこと
「果実は香りが命。冷蔵庫から出して少し置くと、甘さが引き立ちますよ」
3.卵白のふわふわオムレツ・ブランシュ(白のオムレツ)
▶︎材料(2人分)
卵白 4個分
塩 ひとつまみ
粉チーズ(またはとろけるチーズ) 大さじ1
タイム(あれば)少々
バター 小さじ1
▶︎作り方
卵白をボウルでふんわり泡立て、チーズと塩、タイムを混ぜる。
フライパンにバターを溶かし、卵白を流し込む。
蓋をして弱火で3分、ふわっと仕上げる。焦げ目はつけないのがコツ。
▶︎マルセルの美学
「白は、味ではなく“余韻”で楽しむもの。やさしさをそのまま皿にのせて」
読んでいただきありがとうございました。
今回は、夢と香りの余韻をまとった、静かでやわらかな朝を描きました。
登場したレシピは、実際にご家庭でも楽しめるようにアレンジしています。
マルセル風に、ぜひ優雅な朝のひとときをお楽しみくださいね。