第8話 『運命の指輪と、目覚めの刻』 〜千年の記憶が囁くとき、ふたりは新たな扉を開く〜
ひとつの夜に、そっと差し出された、名もなき贈りもの。
記憶と記録のあいだで揺れる心に、やさしく灯るものがありました。
ふたりが見つめた“かたち”は、言葉にできない想いを宿していて――
今宵もまた、新たな気づきが、静かに扉を開きます。
玲央とシトロンは、“玲央”と名付けられた像の前に立ち尽くしていた。
像の手は、まるで何か大切なものを胸に隠すように、静かに組まれている。
窓から差し込む月の光が、その手元をそっと照らし出していた。
玲央がそっと手を伸ばすと、指先に、ひんやりとした金属の感触が触れる。
「……これは?」
シトロンが覗き込む中、玲央が像の指を丁寧に動かしてみると、そこには――
古びた金色の指輪が、静かに眠っていた。
指輪には、十字架、月、猫、騎士の姿――
細やかな彫刻が、時を越えてなお鮮やかに刻まれている。
「父さん……本当に、ここに残してくれていたんだ」
玲央の声は、微かに震えていた。
その指輪の重みと冷たさが、まるで父の手そのもののように感じられる。
シトロンはそっと玲央の肩に触れ、やさしく囁いた。
「ほら。見つけただろ。お前のためだけの、宝物を」
玲央は静かに頷く。
その瞳には、幼い日の記憶と今ここにある愛が、静かに重なっていた。
玲央が指輪を像の指から外し、手のひらに乗せると、
金色の地に浮かび上がる文様が、ふたりの血と記憶を呼び覚ます。
「……この騎士の横顔、どこか父さんに似てる」
玲央が呟くと、シトロンは微笑みながら応える。
「その指輪がレオの手に収まる瞬間を、きっと父上もどこかで見てる。
……いや、むしろ、今この夜に、お前を見守るためにここにいるのかもな」
玲央は、手紙の最後に綴られていた詩の一節をふと思い出す。
――『夜を解き放ち、心の真の願いを聴くことができる。』
月の光に指輪が淡く輝くのを見つめながら、玲央は小さく息をのんだ。
「……僕は、ようやく父が遺した“願いの形”に触れた気がする」
シトロンは、玲央の手をそっと握りしめて、静かに言った。
「この宝物も、お前自身も――全部、俺が守る。これからも、ずっと」
玲央は頷き、そのままゆっくりと、指輪を自らの薬指にはめる。
その瞬間――
シトロンの瞳が、ふいに遠い時間の記憶を映すように、深く翳った。
アトリエの空気が、一変する。
シトロンは低く、祈りのような声で、古いイタリア語を紡ぎ出す。
「Colui che porta questo anello, eredita il patto del re e della luna.
Sei pronto a portare tutto sulle tue spalle…?」
(この指輪を持つ者は、王と月の契約を継ぐ。
すべてを背負う覚悟はあるのか……?)
玲央はその言葉の響きに、驚きと共に、胸の奥に熱いものが芽生えていくのを感じた。
そのときのシトロンは、まるで千年の王たちを見守ってきた猫神そのものだった。
「……君が選ぶなら、俺は何度でも力を貸す。
けれど、これは“愛”だけの物語じゃない。
君自身の覚悟を、見せてほしい」
玲央はその金色のまなざしをまっすぐに受け止め、静かに――だが確かに、頷いた。
*
一瞬の沈黙の後、シトロンの表情がふっと緩み、
いつもの気まぐれな笑みが戻ってくる。
「……なーんて、ちょっと俺らしくなかったか?
玲央、今の顔、けっこう真剣だったぞ」
玲央は思わず吹き出しながら、内側に残る“何かが動いた”余韻を噛みしめていた。
その横顔には、いつもの余裕が戻っていたけれど——
玲央には、ほんの一瞬、シトロンの瞳に揺れを見た気がしていた。
何か大切なものを思い出したような、あるいは、何かを見送るような。
……それでも、今はそっと黙っていた。
わかっているよ、という代わりに。
「今日は少しだけ……僕のわがまま、付き合ってくれる?」
「もちろん。俺もちょうど、美味いワインが飲みたいと思ってた」
ふたりは静かに扉を開け、
夏のパリの夜へと歩き出す。
街にはまだ淡い夕光が残り、
重ねた指先には、指輪のあたたかな重みが静かに宿っていた。
玲央は、自分の手を見つめながら、ふと囁く。
「……これは、約束の指輪だね。
愛の、祈りの、そして――未来の」
シトロンはその横顔を見つめ、微笑んで応える。
「そして俺は、そのすべてをお前と分かち合う。
だって――レオ、お前こそが、俺の運命なんだから」
ふたりの背中に、月の光がそっと寄り添う。
やさしく、あたたかく、次なる章の扉を照らしていた。
*
そして今日もまた、祖母の絵本
**『Il Piccolo Incanto di Nonna Eleonora(ノンナ・エレオノーラの小さな魔法)』**より、
物語に寄り添う言葉をひとつ――
「Un anello, una promessa sotto la luna.」
(指輪は、月の下で交わされた約束よ。)
――À suivre
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第8話では、玲央の父が遺した“約束の指輪”が、ついにふたりの手に届きました。
それはただの遺品ではなく、血と祈り、そして愛に導かれた【未来への鍵】。
そして今日もまた、祖母の絵本
**『Il Piccolo Incanto di Nonna Eleonora(ノンナ・エレオノーラの小さな魔法)』**より、
物語に寄り添う言葉をひとつ――
「Un anello, una promessa sotto la luna.」
(指輪は、月の下で交わされた約束よ。)
その約束が、ふたりの未来を優しく照らしつづけますように。




