第20話『扉の先に、誓いの歌が響く』〜Conclusione》結び〜
深い森の奥。
霧が晴れ、夏の光が差し込む道の先に、千年の眠りを抱く城が姿を現します。
玲央とシトロンがたどり着いたのは、すべての“記憶”と“契約”が封じられた、de la Lune家の心臓──ブリュム城。
今、3つの鍵が揃い、封印された「月の記憶の間」へと歩を進めます。
扉の向こうに待っていたのは、懐かしくも切ない・・・忘れかけていた記憶の断片。
それは、玲央の中に眠っていた記憶を呼び覚ますために――
深い森を抜けた先に、千年の眠りを宿す古城は静かに姿を現した。
かつてこの地に降り立ったという先祖たちの記憶が、風に溶けているかのようだった。朝の光は霧を払い、空は高く澄みわたる。城の周囲には月の泉から流れ出す清らかな水が、細くきらめく光の筋となって巡っていた。
「……あれが、ブリュム城」
玲央がつぶやくと、シトロンは無言で微笑む。
その横顔は光を受けて、どこか幻想的な気配を帯びていた。
城のエントランスには、歴代のde la Lune家当主たちの肖像画が厳かに並び、城の気配がゆるやかに玲央たちを迎える。
執事マルセルとアレクシが出迎え、手渡されたのは城の見取り図と、いくつかの古い記録だった。
「この先の“月の間”まで、お供いたします。そこから先は……わたくしたちでは、結界を越えられません」
アレクシは、どこか神聖な儀式を前にした神官のように深く一礼した。
二人を見送るその眼差しには、静かな敬意と、希望が宿っていた。
* * *
“月の間”の扉の前に立つと、重厚な石造りの壁に、三つの鍵穴が縦に並んでいた。
「……扉は、一つだけ……鍵穴が三つか。なるほど、そうきたか....ふっ....」
玲央は皮肉にも似た知的なほほ笑みを浮かべた。
シトロンは扉の表面を軽くなぞりながら、
「まったく……この格式高い家系は、常に我々の“思い込み”を裏切ってくるな・・・
さあ、開けてみろ。お前の手で、この“重なり”をほどくんだ」
それぞれの鍵穴の上には、静かにフランス語が刻まれている。
最上段には──Porte du Souvenir《記憶の扉》
玲央は、玲那の鍵をそっと差し込む。カチリ──柔らかな光が溢れるように広がった。
続く鍵穴の上には、Porte de la Prière ancienne《古の祈りの扉》
玲央の手の中で、ボーン家かにあった瑠璃の鍵がわずかに熱を帯びたように感じられる。
まるで導かれるように、鍵は音もなく差し込まれた。
最後は、Porte de la Prière de l’origine《始まりの祈りの扉》
そこに、クロエと真澄の銀のオルゴールの鍵を差し込むと、わずかな旋律が空気を震わせ、光の粒となってほどけていった。
* * *
その奥の空間に、玲央とシトロンは静かに足を踏み入れる。
円形の部屋だった。
壁という壁はすべて、透明なガラスでできていた。
古いはずの城の奥に、こんな場所があるとは思えないほど、異質な空間。
360度、森の深奥を一望できるその場所は、まるでこの世とあの世の境界のようだった。
中央には、小さな台座のような“契約の円環”が月光に照らされ、淡く輝いている。
けれど、その“円環”に至るための透明の扉、
そこには──鍵穴が、存在しなかった。
玲央とシトロンは、顔を見合わせた。
「……鍵じゃないのか?」
玲央が呟く。
「たぶん、これは“物”じゃない」
シトロンの声は静かだった。
ガラスの扉の前で、ふたりは言葉を失って立ち尽くしていた。
ふと、玲央の視線が止まった。
──ガラスケース??? その中に、見覚えのあるギターが置かれていた。
「……これ、あの時のギター?」
音楽室で見た、玲那が愛用していたものと同じギター。
あれは部屋に置いてきたはず・・・
手にとってみると、その裏側──
無意識に指先でなぞると──何か、彫られている感触が・・・
《Conclusione》(結び)
フレットの木部に、ひとつの文字が彫られていた。
「……また...イタリア語……なぜ……」
玲央は震える指先で、その文字をなぞりながら、記憶の奥に沈んでいる何かを掴もうとする。
(……誰かがよく歌ってくれた……)
心の中に、柔らかな旋律が浮かびあがる。誰かがそっと囁くように――
“Oh, dolce gattino…”
玲央の瞳が、わずかに潤む。
それは──あの歌の最後・・・
玲央の喉が、ふいに震える。
このギターには覚えがあるけれど、弾いた記憶はない。
なのに、なぜか指が自然に動いた。
弦の一本に触れ、軽く爪弾くと──
胸の奥から、ふいに言葉が漏れた。
"……Sotto il cielo stellato, danziamo leggeri……"(星空の下、軽く踊る)
玲央の声に合わせるように、シトロンの胸元に浮かぶ契約の印が、淡く光りはじめる。
玲央の胸にも、同じ紋が呼応するように煌めく。
彼は一小節、また一小節と、記憶のままに旋律を追い、やがて確かな声で・・・
最後のフレーズに・・・
”Conclusione(結び)!”
…Quando il mattino… arriva…
その時玲央は記憶の奥に沈んでいたとても身近にいた人の声。
(僕が眠りにつくまでそっと歌っていてくれた誰か・・・)
小さな声。最初は掠れて、届かない。
それでももう一度、震える声で、紡ぐように。
”Quando il mattino arriva… con la sua luce…”
(朝の光が訪れるとき)
目を閉じると、微かに──誰かの声が、重なる。
”…Io abbraccio… il tuo sogno… che mai si riduce…”
(僕は君の夢を抱きしめる──決して色褪せぬその夢を)
シトロンが、そっと傍に近づいてくる。
玲央は歌いながら、ふいに思い出す。
この声、この音、この感覚。
──これは、子どものころ。
夜、どこか遠い部屋で。月明かりに照らされた中で、優しい声が歌ってくれていた。
まだ知らない何かに守られていたころの記憶。
「Nel cuore porterò… questi momenti d’amore…」
(この愛しきひとときを、心に刻んで生きていこう)
指は、迷いなく次の弦へ。
旋律は完全に戻ってきていた。
「…Io e il mio gattino… un eterno splendore.」
(僕と仔猫は、永遠にきらめく輝きの中に)
最後の一節を歌い終えた瞬間…
玲央の胸の奥がかすかに震えた。
(パパ……)
はっきりと声の主が浮かんだ。忘れていた、けれど深く愛されていた記憶が、今、旋律の中でよみがえる。
父の歌声だった。静まり返っていた空間に、歌が満ちた。
まるで扉の向こうから応えるように、透明の結界がほどけていく。
それまで静かだった扉が、音もなく開いた。
風が吹き抜ける。
玲央の後ろから、そっと包むようなぬくもり。
「……思い出してくれたんだね」
シトロンの声が、低く、温かく、耳元に響いた。
いつもよりも静かで、どこか神聖な響きを帯びていた。
「君の中に息づいていたあの歌が、
……ついに“あの人”の祈りを現実にしたんだ。」
玲央は、抱きしめられながら、胸の奥に確かに灯るものを感じていた。
これは、ずっと閉ざされていた扉。
そしてようやく、開かれた“願い”の場所。
その先には、契約の円環──ふたりだけの、真実の誓いの場が、静かに待っていた。
.....to be continued...
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
玲央が歌い継いだ旋律は、かつて父から贈られた“祈り”の記憶。
忘れていた声とぬくもりが、静かに玲央の中で息を吹き返し、
長い時を越えて、封印の扉がついに開かれました。
そして──
次回、第21話では、
いよいよシトロンと玲央が“ふたりだけの誓い”を交わすときが訪れます。
この出会いのために、幾世代も巡ってきた魂たちの記憶。
契約の円環の中心で交わされる、ひとつの選択と、ひとつの愛。
なろうの規約に沿った範囲で、
読者の皆さまへ、少し特別な“ご褒美回”となるよう心を込めて描いております。
ぜひ、大切な人と過ごす夜のように、
静かに、ときに熱く、見届けていただけたら嬉しいです。