第13話 「満月のランウェイ」〜時を越える月の記憶〜
満月の夜、光はすべてを包みこみ、影はすべてを赦す。
計算と策略が渦巻くステージの上で──
ただ、美しさだけが真実になる瞬間がある。
シトロンの光。
玲央の静かな闇。
そして、ふたりが踏み出すその一歩が、運命の扉をひらく。
騒然となる控室。
「代役は?」「無理よ!彼女の代わりに出られるモデルなんていない!」
「このライン、**“月”のシトロンに釣り合う“影”**じゃないと成立しないのよ。
サイズや雰囲気だけじゃ無理!」
アランの顔から血の気が引いていく。
「……どうして今なんだ……彼女は完璧だったのに。あれがいないと……最後の意味が、成立しない……」
フィナーレは「二人」であることに意味がある。孤高の月と、それを照らす影。
その構図がなければ、全ての美学が崩壊する。
だが時間は容赦なく進む。
定刻、ショーは幕を開けた。
重厚なクラシックが流れ出し、白く冷たいスポットがランウェイを照らす。
次々と現れるトップモデルたち。
荘厳なムードのなか、会場からはどよめきとため息が絶えない。
エミリオは、客席からその光景を眺め、口元に嘲笑を浮かべる。
(フフ……どうせ、フィナーレは台無しだ。いくらあの子猫が美しくても、ひとりじゃ“月”は輝かない)
そして・・・ついに、舞台袖にひとり立つシトロンの番がやってくる。
アランが頭を抱える。
「……シトロン……君ひとりじゃ、あれは……」
そのときだった。
シトロンがふとラックの奥へ歩き、ひとつの衣装を取り出す。
それは、マリーナ・ブランシェのために仕立てられた“影”の衣装だった。
黒曜石のように深く艶めくロングローブ。
布地はまるで月光を吸い込むように光を拒み、裾には夜の森を思わせる繊細な刺繍が這う。
動くたびに闇がゆらぎ、背中には“翼の名残”を象る透ける黒紗が流れるように重ねられていた。
それはただの衣装ではなく、月に寄り添い、引き立てる“影そのもの”として選ばれた一着。
「……玲央」
シトロンはそっとそれを、玲央の肩にかけた。
「これ、お前にしか似合わない」
「……僕が……?」
シトロンは静かに頷いた。
「俺が光を引き受けるなら、玲央は……そばにいてくれればいい」
声には一切の迷いも、戯れもなかった。
その手はまっすぐに玲央の手を取り、迷いなくランウェイの奥へと導いていく。
「待って……っ、僕はモデルじゃ……!」
だが玲央の目に映ったのは、すでにスポットライトを浴びながら数歩、歩き出したシトロンの背中だった。
ゆっくりと、凛と、光の中へと溶けていく。
(……なぜ...僕が……)
玲央は立ち尽くす。
だが・・・ふと見上げた天井の高窓。そこには、丸く、美しい満月が浮かんでいた。
・・・その光が、玲央を呼ぶように、そっと背を押した。
静かに、一歩を踏み出す。
黒のローブが、影のように揺れた。
シトロンが、白銀のような光を纏ってランウェイに現れた瞬間。
会場が、息を呑んだ。
「あれは……」「神話から抜け出したみたいだわ……」
そして・・・
その背後から、まったく正反対の存在が現れる。
玲央。
漆黒のローブに包まれ、静けさをまとった“影”。
まるで月のために生まれた夜。
その完璧なコントラストに、観客たちは震えた。
……その瞬間だった。
玲央の胸の奥に、ひどく懐かしい・・・いや、“知っているはずのない”感情が、ふいに波のように押し寄せた。
視界の端で、シトロンの髪が月光をはじく。
その光がふわりと揺れたとき、ふと目の前の光景がにじみ、重なった。
*
……静かな中庭。
水のせせらぎ。
金色の髪をした少女が、噴水のそばで立ち止まり、
その向かいに、紋付きの和装を着た青年が立っている。
言葉は交わされない。ただ、視線だけが、強く引き合っていた。
あたたかい風が吹き抜け、ふたりの間に、香のような、月のような匂いが流れた。
(……誰……?)
玲央は目を凝らす。
だが、その光景はすぐに溶けて消えた。
まるで、水面に映った月が、波紋にほどけるように・・・。
*
次の瞬間には、再び目の前にはランウェイ。
月光に浮かぶシトロンの背が、そこにあった。
玲央の瞳には、ただひとしずくの涙がにじんでいた。
理由はわからない。ただ、
あの出会いは、きっと……はじまりだったのだと、そう思えた。
(……僕も……)
胸の奥から、ゆっくりと何かが湧き上がってくる。
冷たく閉ざされていた心の奥、
長い間、蓋をしていた感情の層が、
あの月の光とともに、静かに融けていく。
(……僕も、始まりたい……)
次の瞬間だった。
玲央は歩き出していた。
音もなく、舞台の上を・・・まるで導かれるように。
その背に触れた指先は、かすかに震えていた。
だが、ためらいはなかった。
シトロンの肩にそっと腕を回し、
その背をしっかりと、強く抱きしめた。
ざわついていた会場が、息を呑むように静まる。
シトロンがゆっくりと振り返る。
目を見開く彼に、玲央は微笑を返した。
「……僕は“影”なんかじゃない。
君と、並ぶ光になる」
その声は静かだったが、深く、強かった。
そして玲央は、そっとシトロンの頬に手を添え、
顔を寄せる・・・
ほんの一瞬、唇が触れ合うかどうかという距離。
そのままシトロンの額に自らの額を、まるで祈るように、そっと重ねた。
満月の光が、ふたりを優しく包む。
そして二人の胸の印が密かに輝きを増していた。
その姿は、まるで神話の“婚礼”のようだった。
*
観客席では・・・
アランの目が見開かれ、言葉を失う。
次の瞬間・・・
「キャアアアアア!!!」
「ブラボー!!!」「なに今の!?」「天使と天使!!」
歓声が嵐のように沸き起こる。
鳴りやまない拍手。フラッシュの嵐。
この瞬間、**ショーはただのファッションを超えた“伝説”**になった。
エミリオが苦々しく立ち上がる。
だが、その顔にも、敗北を認めざるを得ない・・・圧倒的な芸術の前で、跪くような静けさが宿っていた。
.....to be continued.
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この第13話では、ついに玲央が“本当の意味で”舞台に立つ覚悟を決めました。
突然のアクシデントのなか、シトロンの手が差し出された瞬間。
玲央の目の前に浮かんだのは、
真澄とクロエ──二人の“出会いの光景”でした。
あのとき、運命に導かれるように並んだふたりの姿。
今、自分の目の前にあるこの背中も、同じように光を纏っている。
それに気づいたとき、玲央はようやく、自分の足で歩き始めたのかもしれません。
「ただ隣にいる」だけではなく、
「隣に立ち、共に未来を選ぶ者として」──。
自分にとっての“契約”とは何か、
シトロンと生きるとはどういうことか、
その答えを探す旅が、ようやく本当の意味で始まったのだと思います。
この物語は、ふたりの恋の物語でありながら、
記憶と祈り、そして選択の物語でもあります。
どうか、ふたりの歩みに、
引き続き優しく寄り添っていただけたら嬉しいです。
次回も、どうぞお楽しみに。