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第10話 「その手紙は、今日の僕へ届いた」〜18年分の涙がこぼれた朝〜

パリの朝。

玲央は、母の遺した部屋へと向かいます。

銀の鍵が開いた扉の向こうにあったのは、祈りと記憶、そして――。


サン=ルイ島の邸宅の上空には、淡い霧がゆるやかにたなびき、空気はどこか祈りに似た静けさを帯びていた。

玲央は、昨夜そっと帛紗に包んでおいた銀の鍵を手に、階段を上る。

アレクシが先導しながら、静かに言った。


「玲那様のお部屋は、ご本人以外、最後まで施錠されたままでございました。……ご遺族であるあなた様にのみ、お開けいただくよう、本家からも厳命がございました」


厳かな気配をまとった扉の前。シトロンが無言で隣に立ち、玲央の横顔を見つめている。

玲央は鍵を差し込み、ゆっくりと回す。「カチリ」と音を立て、扉がわずかに軋んだ。

その瞬間、香がふわりと流れ出た。白檀のような、けれどそれだけではない、どこか“月”を想起させる澄んだ香り。

一歩踏み入れた瞬間、空気が変わる。

まるで時間が止まったような、誰かの記憶の中に入り込んだような静けさが、そこに広がっていた。

部屋の中には、まるで時の考古学のように、祈りと調査の軌跡が整然と並んでいる。

机の上には分厚い資料ファイル、書きかけのノート、写真、手帳。壁には家系図、民族資料、詠まれた和歌とその翻訳、そして“クロエの記憶”と題されたスケッチが貼られていた。

香炉には、昨夜まで焚かれていたかのような灰が残っている。

それは、玲那という存在が、この部屋で確かに「祈っていた」証だった。

シトロンがふと足を止め、視線を巡らせる。


「……この部屋、覚えてる。前に来たことがある気がする」


玲央は答えず、まっすぐ机に向かった。

一切の迷いもなく、彼の指先が、真ん中の引き出しに触れる。

するり、と音を立てて開いたそこには、紙の束や万年筆、ノートが丁寧に納められていた。

その一番上に、ひときわ新しい封筒があった。


『玲央へ』


その文字を見た瞬間、胸の奥が締めつけられた。

封を開け、便箋を取り出す。そこには、懐かしい筆跡が、確かにあった。


『玲央へ


今日は朝からとてもいいお天気でしょ。

でも、さっきにわか雨が降ったでしょう?

きっと今、虹が出ていると思います。


あれから、18年が経ちましたね。


ここまで来るのに、本当にいろんなことがあったでしょう?

寂しい思いをさせて、一人にしてしまって、ごめんなさいね。


でも、ちゃんと今日、あなたはここに来るとわかっていました。

だから、こうして手紙を書いておきます。


シトロンも一緒に来ているのでしょう?

大事に、大事に、愛していくのよ。


あなたはとても聡明で、何でも自分でできて、解決できる人。

でも、どうか・・・シトロンと一つになって、未来を開いていってください。


玲央なら、大丈夫。


愛してるわ。  母より』


玲央は、そっと目を伏せた。

涙が、一滴、便箋の端を濡らした。

そしてそのまま、窓の外へと歩き出す。

白いレースのカーテンが風に揺れていた。

空を見上げると、たしかに・・・大きな虹がかかっていた。

風が香を運び、玲央の頬をそっと撫でる。

その瞬間、胸の奥に閉じ込めていた言葉が、ふいにこぼれた。

声にはしなかった。

けれど、たしかに――


――生き返って、もう一度……僕を抱きしめて。


やっと言えた。

八歳のあの日、言えなかったたったひとことを。


玲央は、そっと目を閉じた。

シトロンは玲央の手からそっと手紙を受け取り、目を通す。


「……これ、“予想”じゃない」


シトロンの声は、低く、けれど確信に満ちていた。


「これは……見えてたんだ。未来が」


玲央は、もう一度空を見上げた。

虹の向こうに・・・

かつての母の瞳が、たしかにある気がした。


「……母さん……本当に、今日僕たちを待ってたんだね」


それは、十八年という時を越えて、ようやくたどり着いた“再会”だった。

背後で、シトロンが静かに寄り添う。

何も言わず、玲央の肩に手を添える。

その温もりが、あまりにも優しくて、

玲央は、静かに涙を流し続けた。


その余韻の中・・・


ぶ、ぶん。


玲央のスマートフォンが震えた。

画面には "Paris HQ" の表示。


玲央は一瞬戸惑いながら応答する。

受話器越しの声は、穏やかなフランス語だった。


「Bon soir , Reo-san? パリにご滞在とのことで失礼いたします。

実は……ご紹介したい方がいらっしゃいまして。

〈Maison Montreuil〉のアラン・モンレアル氏です」


「……アラン・モンレアル?」


「はい。彼が、あなたが同行されている方をどうしても今回のショーに出演させたいと。

本社も了承済みです。お時間、いただけますか?」


通話を終え、玲央が振り返ると、

シトロンが眉をひそめて立っていた。


「また……仕事?」


玲央は、かすかに微笑んだ。


「……今回は、そうとばかりも言えないな」


シトロンが肩をすくめ、天井の月を一瞥して、いたずらに笑う。


「いいよ。明日はこの顔で、世界を魅了してやる」


.....to be continued...


過去はもう戻らないけれど、

心は、言葉を超えて繋がっていた。


玲央がようやく触れられた「母の愛」は、

誰にも気づかれぬまま、そっと彼を見守り続けていたものでした。


そして今、彼の隣には――

その愛を、未来へ受け継ぐ者がいるのです。

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