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専属執事は悪役令嬢を観察する2

「止まって、ギル」

 同僚の声がした。



「ろ、ローラさん」

 ソフィアの専属メイドである彼女が、そこに立っていた。一般的な使用人の起床時間より早い。

「……お願いします」

 手に持っていた物を、彼女に渡した。すると、彼女はシーツの中に男の所持品を隠し、更に血の付着しているシーツが見えないようにした。

 そして、「今回は私だったから良かったけれど、今度からは気をつけて?貴方が居なくなったら困るのよ」と俺の耳元で囁き、シーツ達を持って歩いていった。

 相変わらず怖い。「貴方が居なくなったら困るのよ」が怖すぎる。……気をつけよう。



 元々鍛錬していた所に戻り、さっき的にした林檎を理由もなく見つめる。

 ちょくちょく、暗殺者はこの屋敷にやって来る。暗殺者になどなりたくはなかったが、多くの人を殺したくはなかったが、暗殺者の経験が役に立ってしまっている。

 南から風が吹く。徐々に強くなっていき、俺の髪が靡く。

「暖かい」

 風は、人肌のように温かった。



「ギル!」

 俺はとっさに振り向き、飛び込んで来た彼女を受け止める。

「そ、ソフィア!?」

「フフ、おはよう」

 そう笑う彼女は、俺からゆっくり体を離す。彼女は、髪の毛を一つの三つ編みに束ねており、商人の子息のような服を着ている。しかし、素材は明らかに商人の子息より上等そうだ。

 俺の視線に気づいたのか、彼女は「この服、良いでしょ。ズボンだから運動しやすいのよね。殆ど毎日使っているのよ」と答える。その言葉に、俺は疑問を覚えた。

「ソフィア、毎日朝早くから運動しているのか?」

「ええ。毎日5時半起きよ」

 夜もやっているのに、朝もやっているのか。

「令嬢として良いのか?」

「良いのよ!運動することによって痩せて、完璧な体型になるもの。体力と筋力もついて、自衛も出来るわ!」

 そう言って親指を立てる。令嬢としてはどう考えても駄目だが、ソフィアらしい。ソフィアの、そういう所が俺は好きなんだよな。



「そうだわ!ギル、私の相手してくれないかしら?魔術とかは無しで」

「分かった」

「……じゃあ、行くわよ!」

 ソフィアの宣言と共に、朝の空気が弾けた。

 彼女の踏み込みは鋭い。毎朝の鍛錬の成果か、令嬢とは思えぬ淀みのない動きで、俺の懐へと潜り込む。そういえば、レオン様誘拐事件で敵と戦っている時もしていたな。

 放たれた正拳を紙一枚の差で首を傾けてかわしたが、風が頬をかすめる。彼女は流れるような動作で左の回し蹴りを繰り出した。

 それを左腕の平で受け流し、勢いを利用して彼女の体勢を崩しにかかる。

 速いが、特に拳は軽すぎる。足は結構強そうだが。

 彼女が起死回生の一撃として、俺の胸元を狙った掌打を放つ。その手首を、俺は掴み取った。

「あ……!」

 彼女の力を受け流しながら、自身の足を彼女の軸足の裏に滑り込ませる。

 柔らかな、しかし逃れられない重圧。

 ソフィアの身体が宙に浮き、俺は羽毛を扱うような手つきで、彼女を背後から抱きとめるようにして支える。

「……うわー、負けた!うーん、強くなったと自負していたけれど、まだまだね。やっぱりギルには勝てないわ」

 ソフィアが観念したように息を吐き、力を抜く。



 ……俺は、もう何人も殺した。この手で。つい先刻も殺した。

 だが、ソフィアは、レオン様を救出して敵と戦う時も、殺さないギリギリまで調節していた。

「……ギル?」

 黙り込んだ俺を不思議に思ったのか、ソフィアが顔を覗き込んできた。

 ソフィアは高潔で、優しく、可愛く、強く、美しい。

 俺とは違う。まだ大丈夫。

 変わって欲しくない。


 ◇   ◇   ◇


 ギルは、少し笑んでから、そのまま音もなく地面に膝をついた。それは、執事が主人に傅く動作としては、あまりにも深く、重い。

 自分では笑っているつもりなのだろうけれど眉が下がっていた。どうしてそんな表情するのだろう。

 ギルは、時々、遠くの暗闇を見ているような目をする。その時は苦しそうで辛そうで、見ていて苦しい。何かを一人で抱え込んでしまっているのかもしれない。実のところは分からないけれど、そうだとしたら、私にも分けて欲しい。一人で抱え込まないで欲しい。一人で抱え込んでいたら、ずっと辛い。

 私は何も出来ていないけど、どうすれば良いかは分からないけれど、ギルには光を見ていてほしい。苦しそうな、辛そうな表情なんて、見たくない。

 幸せになって欲しい。



 彼の片膝が朝露に濡れた芝生に沈み込む。その瞬間、ギルの背筋は一本の研ぎ澄まされた剣のように伸びた。首を垂れるのではなく顔を上げ、私を真っ直ぐに見上げる。

 風が吹き止む。音が一瞬消えた。

「ソフィア。……ソフィアのことだけは、一生守るから。だから、ソフィア……俺に、守らせてくれ」

 目を見開く。


 ◇   ◇   ◇


 絶望の味など一つも知らないままの君を守ること。

 それだけが、俺がこの世界に生きていても良い理由で、俺の願いなんだ。



「うん。……私のこと、守ってみせて?」

 俺に合わせるようにしゃがみ込んで、ソフィアは微笑んだ。

 本音は違うだろう。ソフィアは、自分の手で守りたいだろう。俺のこともきっと。

 やっぱり、ソフィアは優しいよ。

 目が少し熱くなったが、自然と笑みが浮かんだ。

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