34.父たる公爵は許さない
華やかな憧れの場となる王城の地下深く、陽光の届かぬ最下層の牢獄。
湿った空気の中に、規則的な足音だけが響く。一糸乱れぬ足取りに合わせて、地下の冷気によって白く霞んで見えるハニーブロンドの毛先が優雅に揺れる。
春の訪れを告げる若葉のように、鮮やかでいて深みのあるエメラルドの瞳には何も映り込んでいない。
重厚なマントを翻して歩くその姿は、闇を切り裂く一筋の光のようであった。二十代前半という、本来なら輝かしい未来を謳歌するはずの若く美しい貌に、不釣り合いなほどの凍てついた殺気を宿しており、先程まで騒いでいた囚人達は息を止め、ただカタカタと震えていた。
サブジーナス公爵は、普段の慈悲深い微笑を完全に消し去り、死神のような無機質な表情で、ルドルフを従える。鉄格子の窓から差し込んできた日光に目を細め、彼は忌々しそうに顰める。一瞬立ち止まったが、直ぐに目的地まで歩き出した。
ある貴族牢の前に行くと、彼は立ち止まった。そして男に振り向く。
そこにはアーテル伯爵が居た。伯爵は、豪華な部屋着が煤けているのにも関わらず、その顔に卑屈な憎悪を滲ませていた。
「ハハッ!公爵閣下自らのお出ましか。公爵家の養子一人に、ご執心ですな。どうせ、私の要求を飲むのだろう?」
公爵は微動だにせず、伯爵の言葉を無視した。
「本題に入ろう、アーテル伯爵」
公爵の声は、穏やかだが地を這うように低かった。
「お前は、私の家族に手を出した。それだけで、お前の未来は既に断罪されている」
伯爵は、公爵のただならぬ気迫に、初めて顔色を変えた。
「ま、待て。私は、公爵家の相続権について議論したかっただけで...」
その言葉で、公爵はレオンを誘拐した理由を理解した。
元々アーテル伯爵はレオンを養子に取ることに反対しており、自分の息子を是非養子にと言っていた。ゆくゆくは公爵家を乗っ取るつもりなのだろうと思っていた為、のらりくらりと要望を躱し、レオンを養子にした。今、この判断は正しかったと公爵は思う。
公爵になることを目的としており、なった後に何をしたいのかすら考えていないと考えられる伯爵に、直ぐ後ろに控えているルドルフにしか分からないような溜息をつく。
「子供達の人生を狂わせてまで、公爵になりたいのか?」
「餓鬼の人生だなんてどうでも良いに決まっているだろう」
当然というふうに言う伯爵に、公爵は呆れの感情を顕にした。
「やはりお前とは相容れない」
人の人生を狂わせてまで公爵になどなりたくない。
少し間を空けてから、公爵は消え去りそうな声で問う。
「レオンとソフィアのことは既に分かっている。だが、四年、前……『_』もか?」
公爵の問いに、伯爵の顔は一瞬で恐怖に染まった。その瞳は大きく見開かれ、全身が震え始めた。伯爵は、封印されていたはずの闇を、公爵が掘り起こしたことに、戦慄した。
伯爵は、観念したように、低く、震える声で笑い始めた。その笑いは、狂気に満ちていた。
「ハハ...ハハハハハ!さすが、公爵閣下。気づいていたか!」
伯爵は、独房の鉄格子を掴み、憎悪に満ちた目で公爵を睨みつけた。
「そうだ!四年前、あの事件の首謀者は私だ!あの邪魔な存在が消えれば、公爵家の跡継ぎはソフィア令嬢ただ一人になる。そうすれば、いずれ公爵家と我が家を婚姻で結びつけ、公爵家の権益を我が手に収めるつもりだった!まあ、出来なくなりそうだったから暗殺しようとしたんだが……」
「『_』はどうなった」
公爵の声は、血の気が引いたように静かだった。
「どうなった、だと?ハハハ!やはり美形だったからな、他国に売りつけておいたわ!奴隷として!今頃死んでいるか、如何わしい趣味を持つ貴族に可愛がられているんじゃないか?公爵家は病死と発表したが、私の計画通りに動いてくれただけだ!自ら一つの罪を隠すなんて、滑稽だったなぁ!?」
伯爵は、自らの悪行を、誇らしげに、そして嘲笑をもって吐き出した。それは、公爵の四年の苦悩を、嘲笑い、踏みにじる行為だった。
公爵は、伯爵の告白を聞いた瞬間、顔を真っ赤に染め、その身体は震え始めた。彼の怒りは、理性を超越していた。
「よくも...よくも『_』を……!!」
公爵は強大な力で鉄格子を掴んだ。
「ギギギギ...!!」
鉄格子が、公爵の握力によって悲鳴を上げた。そして、ぐにゃりと曲がる。人が一人通れるくらいの隙間が空き、彼はふらつきながら足を踏み入れる。
伯爵は、まさか鉄格子を突破されるなど思わなかったようで、公爵を恐怖で一心に見つめた。
やっと少しは分かったのか、こいつは。
命の尊さを理解していない伯爵を睨みつける。
「お前など、この世界に存在していてはならない!私の家族の運命を弄んだ罪、万死に値する!!」
伯爵は、公爵の純粋な、底知れぬ激怒に、初めて真の恐怖を味わった。公爵は顔を真っ赤に染め上げながら息を荒くさせていたが、信じられない変化が訪れた。
公爵は、突如として静寂を取り戻した。
彼の全身から、激しい震えが消えた。顔の赤みは引き、常人には理解できないほどの速さで、感情の波が引いていった。公爵は、「激怒」という感情の頂点を経て、人間的な感情をすべて削ぎ落とした、「無」の状態になったようだった。
公爵は、無表情で、伯爵を見つめた。その瞳には、何の感情も宿っていなかった。それは、裁定者の目だった。
「や、やめろ……来るな!衛兵!誰か!」
「目障りだ」
ポツリと彼が言葉を溢す。彼の眉間には皺が寄っていた。
彼は、伯爵の眼前まで歩み寄り、その首に手を伸ばした。伯爵の首を片手で掴むと、一言だけ、囁いた。
「私の大切な人達を弄んだこと、絶対に許さない。_地獄へ落ちろ」
公爵は、寸分違わず、正確に、そして冷徹に、携えていた剣で伯爵の心臓を貫いた。
伯爵は血を吐き、白目をむいて力なく倒れ、その場で絶命した。
公爵は、伯爵が完全に息絶えたことを確認した後、まるで何事もなかったかのように、剣を彼の身体から抜いた。剣に付着した血をハンカチで拭き取り、そのハンカチを、無詠唱だが火魔術で燃やす。
静まり返った独房を、公爵は足音を響かせながら歩く。今回は、光は差し込んでいなかった。
続きは、来週もしくは来週より前に更新します




