26.悪役令嬢は執事に先導される
地下通路は、真っ暗だった。ギルは、警備兵から奪った松明に火をつけ、私を先導した。
「ソフィア、絶対に俺の後ろから離れなるな。ここからは密室での戦闘が主になるから、魔術も使うものを選んでくれ」
「ええ」
私は固く頷き、腰の剣の柄を握りしめた。
通路を進むと、やがて広間に出た。そこは、薄暗いオイルランプがいくつか灯された、地下牢の跡地のような場所だった。四方を石壁に囲まれ、湿気が肌にまとわりつく。
広間の奥には、鉄格子の牢がいくつか並び、その一つの前で、三人の私兵がレオンを見張っていた。レオンは、苦悶に満ちた表情で周りを注意深く観察していた。自我を保っている。
良かった。もしもレオンが恐怖に支配され、怯えた表情で涙を流していたら……と考えてしまっていたけれど、余計なお世話だったわね。本当に……良かった。レオンの眼の前で兵を虐殺してしまうなんてことにならなくて。
ギルは、静かに松明を地面に置いた。広間は、オイルランプの光と、松明の微かな光で、影と光のコントラストが際立っていた。
ギルが、光の中から影へと消えた。私兵の一人が、突然背中に強い衝撃を受け、前につんのめった。ギルが地面を這うように彼の足元に近づき、彼の重心を崩したのだ。一瞬の出来事だった。倒れかけた私兵の首筋に、ギルの短剣が正確に、しかし浅く当てられた。
「動くな。声を上げれば、お前の喉笛を裂く」
ギルは、低い声で囁いた。残りの二人の私兵は、驚愕して剣を抜いた。
「誰だ!どこから入った!」
ギルは、人質とした私兵を盾に、残りの二人を睨みつけた。
「レオン様を解放しろ。さもなくば、お前の仲間は死ぬ」
「断る!」
私兵の一人が、剣を大きく振りかざし、ギルに向かって突進した。ギルは、人質とした私兵の身体を壁に叩きつけ、その一瞬の隙に、突進してきた私兵の懐に飛び込んだ。ギルの動きは、視認できないほどの速さだった。
短剣を使っていないのは、私達に血を見せない為なのかしら。
ギルの優しさに胸が暖かくなる。
ギルは、突進してきた私兵の手首を掴み、一瞬のひねりで彼の剣を地面に落とさせた。そして、その勢いをそのまま利用し、私兵の身体を自分の背後に投げる。
「ドオォン!」
投げられた私兵の身体は、鉄格子の牢に激突し、鈍い音を立てて意識を失った。
残る私兵は、恐怖で硬直した。彼の目の前で起きたのは、人間離れしているが見事な戦闘術だった。
「……お前は...化け物だ...」
男の言葉に私は反論したくなる。
ギルは確かに凄いけれども!化け物は無い!シンプル悪口は良くない!
男たちに冷たい視線を向け、今まで聞いたことのないような低い声で言った。
「化け物でも構わない。お前たちの戯言に興味はない」
格好良い……。ギルがイケメンすぎる。一度で良いから、その台詞言ってみたいわ。
一発殴っとこうかと思ったが、目立っては駄目だと拳を落ち着かせる。
ギルは、最初の人質を解放し、二本の短剣を構えた。彼の身体から発せられる闘気が、地下の冷たい空気を震わせた。ギルは残る一人の私兵が剣を構える前に、二本の短剣を交差させながら、螺旋状に接近した。私兵は剣で防御しようとするが、ギルの短剣は相手の防御の隙間を縫うように、正確に私兵の腕の腱を狙った。
チャキン!
短剣が腱を浅く切り裂く音。私兵は激痛に耐えかね、剣を取り落とした。ギルは容赦なく、私兵の腹部に蹴りを入れ、彼を壁に吹き飛ばした。
三人の私兵が倒れ、レオンの周囲の敵は居なくなった。私はギルに駆け寄り、心配の声をかけた。
「ギル!大丈夫?怪我は?」
「問題ない」
その言葉に安堵したあと、私はレオンの元へと急いだ。牢屋の鍵は何処にあるのか知らないので、剣で取り敢えず斬っておく。
「レオン!大丈夫?連中に何もされてない?」
レオンは私の姿を確認すると、コクリと頷いた。
「何もされていないよ。それと、……二人とも助けに来てくれてありがとう」
いつもどうりの満面の笑みに私はレオンを抱きしめたくなる。ああ、わが愛しの義弟が尊すぎる!!
その時、地下通路の奥から、重い足音が複数聞こえてきた。
「見つけたぞ!何者だ、貴様ら!」
六人の私兵が、松明を手に、新たに現れた。彼らは、先ほどの三人よりも体格が良く、鎧を着込んでいる。私はひとまずレオンを背中に隠し、短剣を構えたギルに問いかける。
「ギル、どうする?魔術使っちゃ駄目かしら?」
「駄目だ。この砦が崩壊するかもしれないだろ」
その可能性は考えていなかったわ。砦が崩壊してしまったら私達は死んでしまう。…駄目ね。今世まだ七歳なのに死ぬとか最悪すぎるわ。お父様とお母様も泣かせちゃうし。
「レオンを連れて隠れておくわね」
「…絶対に出てくるな」
返答までの微妙な間はどういった心情の表れなのだろうか。
ギルは、逃げるという選択肢を完全に排除し、二本の短剣を両手に構え直した。彼の瞳は、獲物を前にした猛獣のようだった。
「来い。ソフィアに危害を加えることは、俺が許さない」
きゃー!大好き!乙女ゲームの攻略対象でギル居たら絶対推しにする。こんなに格好いいのに何故ゲームに出てこなかったんだろ。
六人の私兵は、ギルがたった一人で先の三人を無力化した光景を見ていたため、ただの雑兵ではないと理解していた。彼らは慎重に半円の陣形を組み、ギルと、その後ろにいる私とレオンを囲もうとしている。
「囲め!生かして捕らえろ!公爵令嬢とガキは、伯爵様への土産だ!」
指揮官らしき男が、野太い声で命令した。
あら?何で私が公爵令嬢って事分かったのかしら?あ、レオンが私のこと「お姉様」って呼んだからかしら。
「そんなことになるのはありえない」
ギルの声は、氷のように冷たかった。
私兵たちは、六人中三人が前衛として剣を構え、残りの三人が弓の援護射撃の準備に入った。地下の広間は狭く、集団戦にとっては非常に不利な場所だった。しかし、ギルのような一対多の専門家にとっては、それは利用すべき地形だった。
ギルは、地面に置かれた松明の火を、短剣の刃で素早く薙ぎ払った。
ボッ!
松明の火は消え、広間はオイルランプの不規則な揺らめきと濃い影に包まれた。視界が急激に悪化し、私兵たちの連携が一瞬途切れる。
ギルはその一瞬を逃さなかった。彼は、とても低い姿勢で、最も右翼の私兵に最短距離で突進した。
「しまった!」
私兵が剣を振り下ろすよりも早く、ギルは二本の短剣を、まるで獲物を狩る牙のように繰り出した。
一本目の短剣は、私兵の剣を持つ右腕を正確に狙い、深すぎず浅すぎない一撃を食らわせた。皮膚が裂け、私兵の剣がぐらつき、手の力が抜ける。
二本目の短剣は、その私兵の視線を奪った。短剣の切っ先が、私兵の顔の目前で止まる。私兵は恐怖で後退した。
ギルは、その私兵を壁側に突き飛ばすことで、他の私兵の邪魔をさせた。
「邪魔だ、どけ!」
ギルの狙い通り、私兵たちの連携が崩れた。
ギルは何でこんなに凄いのかしら。暗殺者集団に所属していたとはいえこれは……。元々戦闘の素質があったのかしら。
三人の前衛が三角形の陣形で、ギルを追い詰めた。三方から同時に剣を振り下ろす。しかし、ギルはまるで水の流れのように、狭い空間を縫って剣の攻撃を避け続けた。彼の動きは、人体の限界を超えていた。短剣の二刀流は、防御と攻撃を同時に行うための彼の専門技術だった。
ギルは一本の短剣で、右からの斬撃を受け流し、体勢を崩さずに攻撃を逸らす。逸らした勢いをそのまま利用し、左手の短剣で、目の前の私兵の膝裏を切り裂いた。
「ぐっ!」
私兵が膝をつく。ギルは、膝をついた私兵の背中を足場にし、垂直に跳躍した。頭上を通過する別の私兵の剣を、紙一重で避けた。
ギルは空中で身体を一回転させ、もう一人の私兵の首筋に蹴りを入れた。私兵は意識を失い、その場に倒れる。
残るは、前衛の指揮官格の男と、後衛の三人の弓兵。
うーん、ギルは凄いのだけれど、人数が多すぎるのよね。やっぱり魔術使ったほうが良いわ。
だけど、使っちゃ駄目だって言われたし…と魔術の使用の有無に悩んでいると、地下牢の壁際、以前の戦闘で倒れた私兵の一人が持っていた、オイルランプがひっくり返り、油が地面に漏れ出していることに気づいた。そして、そのすぐそばには、ギルが戦闘前に地面に置いたままの松明が転がっていた。
これだ!と私は閃いた。
私は黒い外套の奥から、護身用の小型ナイフを抜き出した。そのナイフは、公爵家で護身術を習った際に渡された、華奢な女の子の手に馴染むように作られたものだった。
私は短剣を持った右手を自分の前にかざし、オイルランプの油が漏れている場所まで、音もなく移動した。
指揮官格の男がギルの一瞬の隙を突き、剣でギルの短剣を弾き飛ばした。ギルの左手の短剣が、石壁にカチンと音を立てて落ちる。ギルは片手になり、絶体絶命の窮地に立たされた。
「終わりだ!化け物め!」




