プチ解呪
明日で本編完結です
「セレーネさん、眠い?」
トントンと優しく背中を叩くと、だいぶ脱力したセレーネがコックリ頷いた。
仕切りに欠伸を繰り返して睡魔に抗うセレーネだが、きっと彼女は後一分もしない内に眠ってしまうだろう。
ケイ的には少し恥ずかしい話なのだが、彼に自力で腕の中に眠るセレーネを寝室へ運ぶことができるほどの力はない。
「ごめんね、セレーネさん。ベッドまで運ぶから背中に抱き着いて」
コクリと頷いたセレーネが膝の上から降り、テトテトと頼りなく歩いてムギュッと屈んだケイの背中に抱きつく。
ケイは小さく息を吸い込むと彼女を背に乗せたまま立ち上がった。
何気に、肩甲骨の辺りにムニッと引っ付く柔らかい球体二つが天国である。
しかし、長い間彼女を横抱きにしていたせいで既に腕や膝がプルプルと震えて限界を訴えているケイに、セレーネからのプレゼントを堪能する時間はない。
ベシャッとセレーネごと床に崩れ落ちる前に、何とか彼女を運ばなければ。
「ケイさんの背中、ポカポカで大好きです。重くないですか?」
「平気だよ」
呑気にケイの後頭部に頬をすり寄せるセレーネへ優しく笑いかけるケイだが、その声は少し上ずっていて焦り気味だ。
ケイは早足で廊下を駆け抜けると幸いなことに少し開いていた寝室のドアの隙間へ足先を滑らせ、スマートに扉を開けると素早く室内に入り込んだ。
そして、迅速かつ丁寧にセレーネをベッドの上に乗せ、横たわらせる。
セレーネを運びきることができたケイはホッと息を吐いた。
すると、相変わらずケイの心のうちなど知らないセレーネがクイクイと彼の上着の裾を引っ張った。
「ケイさん、抱っこ。一緒に寝ましょう」
「いいよ。お隣、失礼するね」
快く頷いて自分の隣に入り込むケイをセレーネがギュッと抱きしめる。
セレーネは、んふふ~と上機嫌に鼻歌を歌っていた。
「セレーネさん、意外と眠らないね。寝るんじゃなかったの?」
自分の髪をモチャモチャと掻き分けて弄り出すセレーネに、ケイが少しくすぐったそうにしながら問いかけた。
「寝ますよ~。眠いですから。でもね、ケイさん。なんか私、変なんです。体は疲れて眠いのに、なんだか頭が元気で眠れません」
「そっか。それなら、子守唄代わりにお話をしてあげる。途中で眠ってもいいよ。代わりに、いつかもう一回、ちゃんと話を聞いてね」
優しい笑顔でセレーネの前髪を掻き分けて額にキスをする。
それからケイが穏やかな声色で語ったのは自身の幼少期の話だ。
父親から「お前は幸せにはなれない」と呪詛を投げかけられた育った話を丁寧に、のんびりとした口調で語った。
優しい口調とは正反対の地獄が淡々とケイの唇から零れ落ちる。
シッカリとかつての暮らしぶりを語ったケイは最後に、
「俺たち兄弟は三者三様に育った。スイ兄さんは人間が、特に女性が駄目になって動物を愛でながら暮らしているし、カイ兄さんは心配なほど素直に育った。それで俺は、ちょっと捻くれちゃった。兄さんたちが全然違う風に育ってるからさ、全部を父さんやほとんど顔も覚えていない母さんのせいにすることはできないんだけれど、でも、俺が人を疑いすぎるのは、気を抜くと兄さんたち以外から与えられる愛情を疑ってしまいそうになるのは、もしかすると、ここから来てるんじゃないかと思うんだよね。全部じゃないけどさ、でも、ちょっとだけでもさ。違うかもしれないけど、俺が駄目なだけなのかもしれないんだけどさ」
と、悲しそうに結んで話を終わらせた。
初めにセレーネへ宣言した通り、ケイはあくまでも子守唄のつもりで自身の過去を語っていた。
セレーネは五分程度で眠ってしまうものだと考えていたし、彼女に本気になって話を聞いてもらうつもりも毛頭なかった。
ただ、ケイはセレーネの前で己のルーツを吐きだしたいという自己満足を満たし、かつ彼女を寝かせるために、退屈で少し複雑な話として自身の過去の話をしていた。
いつか、セレーネにはきちんと自分の話をしたいと考えていたケイだが、それは別に今日でなくても良かったのだ。
だが、柔らかい体の中にギチギチとケイへの愛情を詰め込んでいるセレーネが彼の幼少期に対する好奇心を抑えられるわけもなく、彼女は最後まで静かに話を聞き続けていた。
そして案の定、過去のケイを想って心を痛めていた。
ケイが泣いていないのに、自分が号泣してボロボロと涙を流すわけにはいかない。
そう考えたから、セレーネは彼の胸板に顔を押し付けて声を押し殺して泣いた。
「ごめんね、セレーネさん。途中で寝ちゃうと思ってたし、そういう風に泣くと思ってなかったから、嫌な思いさせちゃったね」
小さく震えるセレーネの肩に罪悪感が湧いて、ケイが彼女の頭を優しく撫でる。
セレーネはフルフルと首を横に振った。
「ケイさんの話なのに、私がいっぱい泣いちゃってごめんなさい」
涙声のセレーネが小さく謝る。
だが、今度はケイがフルフルと首を横に振った。
「大丈夫だよ。俺のために泣いてくれたの、俺は嬉しかったから」
「そうですか。でも、ご主人様は泣きませんでしたね。いや、泣かなきゃいけないわけじゃないんですが、泣いてもおかしくない話だったので」
「そうなの? でも、俺は兄さん二人に守ってきてもらったから、二人に比べるとそんなに苦しい幼少期を過ごしたわけでもないはずなんだ。それこそ、俺とカイ兄さんを守って父さんを抑え続けてたスイ兄さんは、もっときつい思いをしたと思うし。それに、その、小さい頃に苦しい思いをして、昨日もあんな風に裏切られてしまったセレーネさんと比べると……俺が落ち込むのっておこがましいんじゃないかなって」
ケイは自分の過去や心に付けられた傷を過小評価している。
兄たち二人に比べると自分は守られていた方だからと「父」が原因で泣くことや過度に過去を嘆くことを拒絶してきた。
父が原因で「今後、自分が愛されることはないんだ」と落ち込むことはあっても、父親そのものや当時の養育環境を恨むような言動や態度はほとんど見せていなかった。
だが、だからだろうか。
ケイは今更、自分の過去を可哀想だと思えなくなっていた。
自分の過去を哀れがって泣くことができなくなってしまっていたのだ。
幼き日の恐怖は思い出せても「悲しみ」は上手く思い出せない。
悲しみという感情自体はケイの中にもあるし、他者との共感能力にも問題はないのだが、過去のこととなってしまうと彼は途端に鈍くなってしまうのだ。
そのため、セレーネが自分のために泣いてくれても、
『それほどのことが自分の過去には起こっていたのだろうか?』
と、キョトンとしてしまった。
しかし、セレーネの同情を共有することはできなくても、泣いている彼女を見ているとケイはセレーネが自分の代わりに悲しんでくれているような錯覚を覚えて、心の奥がほっこりと癒されるような感覚を覚えた。
「こういうのは比べるもののじゃないですけどね。こういう言い方も変ですけれど、ケイさんの過去はかなり残酷だなって思います。親に捨てられるのも怖いですけど、親から酷い言葉を投げつけられるのだって、本当に……こういうのはどっちとかないですよ」
「理屈ではわかるんだけれどなぁ」
ケイが苦笑いを浮かべていると、セレーネがギュッと彼の体に巻き付けていた腕の力を緩めて、彼の方へ改めて両腕を広げた。
「抱っこ」
「え? もう抱っこしてると思うけど、もしかして、もう少しギュッと抱きしめてほしいの?」
甘えん坊だなと笑うケイにセレーネがブンブンと首を横に振る。
「ケイさんを、抱っこ」
ペシペシと背中を叩くセレーネにコクリと頷いたケイが照れながら彼女の胸元に潜り込む。
すると、セレーネはギュッとケイの頭を抱いた。
「ケイさん、いい子、いい子」
ヨシヨシと頭を撫でてつむじの辺りに何度もキスをする。
セレーネの声や態度は転んでしまった幼い子供をあやすようで成人男性に行うには不釣り合いなのだが、少し前にケイから「いい子」と声をかけてもらって胸の傷を癒した彼女は、どうしても同じことを彼にしてやりたかった。
麻痺して痛みすら感じなくなった傷口を縫って、慰めてやりたかったのだ。
頭を撫でる汗ばんだ優しい手のひらに、顔を包み込むふわふわと柔らかくて良い匂いのする巨乳。
掛け布団要らずなほど体を温めてくれるセレーネの体温。
『頭にキスされるの、けっこう好きかもしれない』
ロマンチックなおとぎ話では、基本的にほとんど全ての問題をキスで解決する。
死人を蘇らせるのも、世界を掬うのも、悪質な呪いを解くのも大体はキスだ。
セレーネにキスをされると父親からかけられていた呪詛が緩和された気がして、ケイは無性に嬉しくなった。
だが、それはそれとして、あまりにも露骨に慰められると恥ずかしくなってしまうことも事実だ。
ケイは甘えと逃げを融合させてセレーネの胸の谷間にグリグリと顔を押し込んだ。
「ケイさん、息苦しくないですか?」
「平気だよ。ここが好きだから。俺、ここに住む」
「おっぱいを住処にするケイさん……かわいいですね」
「かわいい? 気持ち悪くない?」
「かわいいですよ」
クスクスと笑ってケイの赤く染まる耳をつつく。
すると、ケイは恥ずかしそうにシーツの中に潜り込んでモゾモゾと揺れた。
幼い子供というよりも巣穴に戻っていく小動物を思わせる姿でセレーネの胸がキュンと鳴った。
明日の投稿分で本編完結です
それ以降はケイたちのイチャイチャしたほのぼのデートなおまけ話やカイとアメリアの番外編等を投稿していく予定です
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