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第16話 ……もう1回、いい?

「お邪魔します……」


 塔矢は桃香の家に案内されて、玄関で小さく挨拶した。

 彼女の家は神社から歩いてほんの数分、外観は純和風の造りだった。


「どうぞー」


 先に家に上がった桃香が、塔矢に来客用のスリッパを出した。

 それを履きながら、塔矢は家の中を興味深く見回した。


「神社と一緒で綺麗にしてるんだね」

「だいぶ古いんだけどね。……今日は誰も家にいないから、気を遣わなくても良いよー」


 桃香は軽く言いながら、2階の自室へと案内する。

 彼女の部屋は洋室になっていて、ベッドと本棚、それに勉強机があるところなど、普通の高校生の部屋だ。

 ひとつ違いがあるのは、壁際に白衣と袴が陰干しされていることくらいだろうか。


「とりあえず飲み物持ってくるから、適当に座って待ってて」


 桃香はそう言うと、塔矢を部屋に残してもう一度階下に降りていった。


 塔矢は待っている間、どこかに座ろうかと、目についた勉強机の前のチェアに腰掛けた。


「……ん? なんだろ?」


 ふと勉強机に目を向けると、机の上には1冊のノートが置かれていた。


「if帳⑤? 英語のノートかな……?」


 タイトルが気になった塔矢は、ふとそのノートを手にとって、パラパラとページをめくってみた。

 よくわからないが、少なくとも英語ではなく、びっしりと何やら書き込まれている。彼女らしくはっきりとした綺麗な文字だ。


 最新と思われるページを見ると『もしも、塔矢くんが部屋に来たら』と見出しが書かれていた。

 自分の名前が書かれているのがどうしても気になって、悪いとは思いながら読み始めた。

 そこには――。


『最初に緑茶を出す。

 ベッドに並んで腰掛けると、彼が可愛いよと言ってキスをする。

 抱き合うと頭を優しく撫でてくれる。

 そのまま押し倒されて――』


 そこまで目を通したときだった。


「――――ぎゃぁああああああぁあああぁぁ!!!!」


 耳をつんざくような悲鳴が部屋に響き渡った。


 ◆


 ――ほんの少し前。


「ふんふふーん♪」


 お茶を淹れに行った桃香は、機嫌よく鼻歌を歌っていた。

 彼が来たときのことを事前にシミュレーションしていたし、朝からしっかりと身だしなみも整えていた。

 あとはうまくやって、もう少し彼との関係を深めるのが今日のミッションだった。

 正直、修学旅行の計画はついでのようなものだ。彼とならきっとどこに行っても楽しいのだから。


 彼が好きなお茶も、凛からのヒアリングでちゃんと聞き出している。

 計画に抜かりはないはずだ。


 事前に時間をかけて水出しして、しっかりと冷やしていたお茶をお盆に乗せて、桃香は部屋に戻った。


 そして扉を開けた瞬間、彼女の目に入ってきたのは――。


 事前のシミュレーションと言う名の『妄想』を、びっしりと書き記したノートを読んでいる彼の姿だった。


「――――ぎゃぁああああああぁあああぁぁ!!!!」


 桃香自身、自分でもどこから声が出たのかわからない悲鳴が出ていた。


(な、な、な、な、なんでぇ――――っ!?)


 仕舞っておいたと思っていたノートを、なぜ彼が手にしているのか、頭が混乱した。

 ただ、一瞬でも早く回収しないとと、急いで彼のところに走ってノートを奪取する。

 持っていたお茶が少し溢れたが、そんなことは些細なことだった。


 真っ赤になった桃香は、肩で息をしながら、ノートをしっかりと胸に抱いて叫んだ。


「――みっ、みみみ……見たぁ⁉」


 塔矢は彼女のその様子にたじろぎながらも、バツが悪そうに言った。


「……ちょっとだけ」


 その言葉を聞いて、桃香は絶望する。


(……ぁあ……終わった……! ……絶対軽蔑される……! 変なことを書き残すのが趣味の妄想女だって……!)


 そう思うと、桃香の目からは自然と涙が溢れていた。


「……ぅう……っ! ……うああああぁ……っ!」


 ノートを胸に抱いたまま、床にへたり込み声を上げて泣いた。

 なぜこんなヘマをしてしまったのかと、もうどうしようもないという2つが、桃香の頭の中をぐるぐると駆け巡る。答えが出ないままに、涙と嗚咽だけが溢れた。

 たぶん、彼はこんな自分を見て、そのまま部屋から出ていくのだろう……。


 ――そのとき、桃香は自分の髪に何かが触れる感触に気づいた。


 涙で潤んだ目を開くと、どうやらすぐ目の前に彼がいるようで、その彼が自分の頭を撫でてくれていた。


「……ぐすっ……塔矢……ぐん……?」


 泣き声で彼の名を呟く。

 塔矢は無言で桃香の首に腕を回し、そのまま彼女を抱きしめた。


 しばらくそのまま彼の胸に顔を埋めていると、彼は耳元で囁いた。


「……こんなくらいで桃香のこと嫌いになったりしないから、心配しないでいいよ。……むしろ、そういうのも含めて可愛いと思うから」

「ほんどに……? ……ずごく嬉しい……けど……すごく恥ずかじいよ……」


 彼の言葉に安心するが、ノートを見られた恥ずかしさは当然消えない。

 桃香は呟きながらも、涙で真っ赤に腫らした目を泳がせる。


 そんな桃香に塔矢は唇を重ねた。


「……んっ」


 小さな声を出して、桃香は泳がせていた目を閉じる。

 同時に溢れた涙が頬を伝った。

 そして彼女も彼の温もりを感じようと、彼の背中に腕を回してしっかりと抱きしめた。


 永いキスをしたまま、しばらく抱き合っていたが、どちらともなく顔を離して見つめ合う。

 彼の顔を真っ直ぐに見たまま、桃香は小声で呟いた。


「…………塔矢くん……大好き」

「……うん、僕も。……床は痛いよね? ベッドに座ろうか」

「ん。……そうする」


 塔矢の言葉に頷いた桃香は、ゆっくりと立ち上がってベッドに腰掛けた。

 まだ目は赤いが、だいぶ落ち着いたようで、塔矢も彼女の横に座った。


 潤んだ目で彼を見ながら、桃香は呟いた。


「……あのね、もう1回……いい?」

「うん、いいよ」


 塔矢は頷いて顔を寄せる。

 そしてそのまま、軽く触れるだけのキスをしたあと――。

 離れそうになった唇を追いかけるように、桃香はぐいっと顔を寄せて、もう一度少し強引な口付けを交わした。


「……こういうキス、初めてだけど……なんか、頭の中がゾクゾクした……」


 キスのあと、蕩けた顔で桃香が呟く。


「ごめん、もう1回。……もう1回だけ……確かめさせて……」


 彼女は小さく言うと、彼にのしかかるように覆い被さる。

 押し倒された格好の塔矢に、そのままもう一度、唇を重ねた。


「うん……やっぱり。……思ってたのと全然違ってた。……絶対癖になるよ、こんなの……」


 頬を染めて戸惑いながら言う彼女に、そっと手を伸ばして髪を撫でると、今度は塔矢からもう一度顔を近づけた。

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