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パラレル・ロマンス  作者: いち。
第1章 『愛のカタチ』
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【第1話】 悪夢と彼

 ――不特定人物銃撃事件 三日前


 あの悪夢のような日から、一体どれだけの年月が流れたのだろう。千年は優に超えているような気がしてならない。その日、私――中野美奈は全てを奪い、失った。あろうことか、生涯を与えてくれた人を、この手で殺めたのだ。厳密には、今も昏睡状態に陥っているだけではあるが、彼が目を覚ます保証はどこにもない。私は極悪人の殺人犯だ。

 人が人を殺すには、動機というものが必然的に付きまとうらしい。恋人を我が物とするため、理にかなわない人を押さえつけるため――といった根拠が、殺人には必須なのだ。ただ、私にそんな理屈はなかった。人間では無かったんだろう。目を閉じ、開いたときには彼が血に塗れ、横たわっていた。訳が分からなかった。

 何故、この手は生暖かったのか。何故、傍に居た少女が絶望の眼差しをこちらに向けていたのか。何故、周囲は阿鼻叫喚としていたのか。それを教えてくれるはずの彼は、眼前で今か、今か、と空へ飛び立とうとしていた。

 だから、己の白髪が血に染まろうとも、必死でその羽をもがこうとし、彼の世界からの離脱を防いだ。私なりの精一杯だった。それしかできなかった。けれど、羽を亡くした鳥は空を自由にできないのと同じように、彼もまた、意識の自由を亡くした。おかげで命を注いでやらなければ、世界との枷を外し、空へと簡単に身を投げ出してしまう。そのため、今もこうやって彼への奉仕を欠かさないでいる。

 こんなことで罪が償われる、なんていう、安直な発想は持ち合わせてはいない。あと、一億年こうしていても、自責の念が晴れる日は訪れてはこないだろう。一生、私は極悪人なんだ――と、理解はしていても『安直な発想』と言ってしまった手前、きまりが悪くはあるが、心の奥底では多少の褒美があってもいいのでは、とも考えてしまっている。例えば、


 ――彼が『おはよう』と一言笑ってみせてくれる


 とか、そんなこと考えていても意味なんてないというのに。


~=~=~=~=~=~=~=~=~=~


「三十九番、一つお願いします」


「かしこまりました。それでは、年齢確認の方をお願いいたします。――お客様?」


「え、はい。あー押します押します……」


 そんな感慨に耽っていると、意識が現実から遠のいている自覚を得る。とある、深夜のコンビニのレジ前、周囲の視線は、死んだ魚のような目の私に集まってきていた。運送業者であろうジャージ姿の中年は、黒スーツで浮き出ている輪郭をまじまじと見た末、私の手元にふと、目を見やる。


「へ?」


 手のひらには、『メフィスト』と書かれた箱があった。世間はそれを煙草と呼び、時に薬物とあだ名す。最近では稀有な代物になっており、値段の高騰も留まることを知らず、手にするには軽く四桁の金額は要する。そんなレアものではあるが、世間には忌み嫌われているため、所持しているだけで周囲の視線は冷ややかだ。


「本当に成人なのか? 彼女は――」


「別にいいですよ、どうだって。こんなゴミ、買ってくれるだけ有難いんですから」


 中年と若年の店員の、むさ苦しく、冷淡な会話にようやく目を覚ます。無自覚に煙草を手にしていた自分に、覚醒したばかりの意識が拒否反応を起こした。


「きゃっ」


 突然の出来事に手が震え、煙草が薄汚れた床に落ちていく。


「あーあ、何やってんだか。お前、店員だろ? 手、貸さなくていいのかよ」


「いいんですよ。ああいうのは、放っておけば勝手に死ぬタイプの奴だ。独りでいる自分が好きで、好きで、堪らないんですよ」


「そういうもんかねぇ――」


 耳に届かないようにする会話は、かえって、より色濃く、耳に残る。大した悪気も無いのだろうが、その言葉の棘は深く胸を抉っていた。


「ひとり、かぁ」


 あの悪夢のような日、私は彼と二人きりになってしまった。その彼が亡骸も同然なのだから、実質一人とも言える気がする。今もそれが変わることはなく、奉仕活動に勤しむ日々が往々と繰り返されていた。それ自体に不満は無かったし、そもそも罪人に満足もクソも無い。私は、世間にどれだけ煙たがられようとも、彼への奉仕を続けるだけ。


「君と私って、案外同じなのかもね」


 そんな哀れな自分を、煙草に映す。人間と物、という垣根を越えて、嫌われ者同士、仲良くやっていける気がした。友好の証に背中の埃を払ってやろう――、


「ご、五千円!? た、高ぁ――」


 友人間でも多少の優劣はどうやらあるらしい。無価値で無意味な私とは反対に、煙草はかなりの値段が付けられていた。裏切られた気分だ。一緒に走ろうと提案され、乗っかったのに、一瞬で距離を離された――そんな気分。


「あの、すみません。これって返品――」


「なんですか」


 返品の談判を行う前に、店員の怪訝そうな表情と言葉の圧にそれらは防がれる。その圧には、明らかに社会不適合者に対する嫌悪が入り混じっていた。私を出来損ない会社員だとでも、思っているのだろう。不機嫌そうな店員が、言葉を続ける。


「あのですね、一度買って頂い――」


「やっぱ、いいです。お手数おかけしてすみません」


「――――」


 どうせ、断られると分かっている交渉を長ったらしく続けるつもりもない。私は、早々に店を立ち去ることにした。


「――ありがとうございました!」


「なにそれ」


 店員の張り付いたような挨拶に、妙に腹が立ってしまう。やけに声は高らかだし、なにより纏わりつくような見下した感情が、その声には乗っかっていた。煙草というゴミ、をゴミみたいな人間が持ち帰ってくれた事が、よっぽど嬉しかったらしい。店員の感情など、心底どうでもよいが。


「綺麗――」


 コンビニの自動ドアを抜けると、嫌味ったらしい店員とは打って変わって、満点の星空が世間にはない温かさをもって、私を出迎えてくれる。流石、田舎と言ったところだろうか。都会とは違い、星々の光が鮮明に輝く。ここ二週間、野暮用により、都会で寝泊まりを済ますことを強いられていた、私にとっては久しぶりの景色だ。

 現在は野暮用を終わらせ、彼の待つ古民家へ車を走らせている最中だった。その寄り道で、煙草と出会ったという形だ。


「そうだ、煙草。ってこれどうすればいいんだろ」


 コンビニの店前、月が最も輝く真夜中、煙草の活躍には申し分のない場面だったが、肝心の扱い方が分からない。煙草の全盛期とされるバブル時代というのも、かれこれ何年も前の話だ。分からなくて当然とも言える。それに――、


「煙草には申し訳ないけど、こりゃもったいないよ」


 こんな煌びやかな星空を前にして、それを汚そうだなんて、風情が無いにも程がある。正直なところ、どんな味なのか興味関心が無かったと言えば嘘になるが、風情を建前に、扱いの知識不足を本音に、煙草をこの場で吸うのは辞めとする。


「ほら、煙草売れましたよ」


「マジか。けど、やっぱ未成年に売るってのは――」


「そうと決まったわけじゃないでしょ! それにあの顔見ましたか。いかにも学がなさそうというか――どうせ、脳の発達が遅れようともなんの支障もありませんよ」


 せっかくの星空のプラネタリウムに、騒がしい客が居たものだ。ドア越しだと言うのに、とんでもない声量――星々が綺麗なだけに、余計に店員の声が醜く聞こえる。


「さっさと帰ろ」


 その声から逃げるように、私は灰色のワゴン車へと足を滑らせた。


~=~=~=~=~=~=~=~=~=~


「家に着くの、四時くらいかな? 今回も結構な稼ぎだし、これでしばらくは持つよね」


 盗みを働いたわけでも無いが、逃走用の車にでも乗ったのか――と思われるような所作で、車へ乗り込む。実際、犯罪者ではあるのだろうが、盗難なんていう、ちっぽけな罪を犯すつもりはない。ただただ、店員の卑下するような感情に怯えていただけ――、


「――あんの、クソ店員」


 長針と短針がてっぺんで重なる。ここから車で、山道の紆余曲折を繰り返すとなると、日の出前には彼の顔を拝んでやれそうだ。彼との妄想をしていると、ついガードレールに突っ込む――なんていう過ちを犯しかねないため、あまり捗らせないよう心掛ける。ちなみに、これらは経験談から来るものだ。

 とは言うものの、そんなことは端から無理だと分かり切っている。他人と対峙する時でさえ、彼に見えてしまって仕方ないのだから――、


「今、行くから。待っててね」


 車のエンジンをかけながら、夜道を突っ切る予備動作を行う。この動作にも手慣れたものだ――アクセルとブレーキは未だ間違えそうになるが。


 ――あの時も間違えなければ


~=~=~=~=~=~=~=~=~=~


「ただいま!」


 早朝、彼の住まう古民家へ到着した。予定より三十分ほど遅れはしたが、大した問題は無いだろう。ただ、彼の返事は無い。当たり前の事だが、毎度のこと、その声を期待しては落ち込んでばかりだ。それでも、帰宅の合図を欠かすことは絶対にない、辞めたくない。辞めてしまったら、今度こそ彼の死を確定づけてしまう気がするから。


「元気にしてた? 昨日さ、ボーっとしてたら煙草買っちゃってさ。らしくないよね、ハハ」


 こんなところを誰かに見られでもしたのなら、おそらく『変人』と罵られるのだろう。人間というのは、そういう生き物だ。その場の出来事をあるがまま受け取る。つまり、この状況は物に話しかけているも同然、独り言を連ねているに過ぎない。おかしい、と揶揄されるのだ。でも、そんなことは気にしてはいない。


 ――私に今更、何を言うのか


 化け物と呼ばれ、ここ数年は生きてきた。慣れている。ただ、眠る前の彼との約束である『むやみに自分を責め立てるな』という契りは、未だかつて果たせたことはない。散々注意されてきたはずなのに、この習慣だけは、どうも抜けきれない。心の中だけに留めておくので、精一杯だ。


「まだ、寝てる?」


 彼の寝室兼、部屋である和室に、起きていないかの確認と共に、足を運ぶ。そこへ向かうと、布団に身を包んでいる彼の寝顔が見えてきた。


「っ!」


 艶やかな黒髪に、凛と澄んだ寝顔――何度も見てきた顔だというのに、やはり久しぶりだと緊張してしまう。

 

「――今からおまじないかけとくね」


 脚を折り曲げ、畳に膝を付け、彼の手を握る――、


「まだ、起きないの? 早く起きてきてよ……」


 起きる気配のない彼の手は、とても冷たい。だから、不格好ながらも、私の手で彼の手を優しく包み込むのだ。微弱ではあるが、手から送るエネルギーで、冷たく整った彼の手の平は、だんだんと温かみを持つようになる。非現実的と言われることもあるだろうが、実際温かくなってはいるし、この瞬間だけは自分の生も彼の生も感じられる気がして、至福に浸ってしまう。


 ――あの時も、こうやって少し手を伸ばせていたのなら


 いい加減、自己嫌悪に嫌気がさしてくる。私はここまで情けなかったか。


~=~=~=~=~=~=~=~=~=~


「よし、とりあえずこれで終わりかな。それじゃ、ご飯作ってくるね」


 そう言って、約四時間の彼への元気づけと、会話を済ませると、彼の寝る布団際を立ち上がり、開けっ放しだった襖の方へ向かう。すると、和室よりかは、わずかに広い、埃を纏った台所が視界に入る。この古民家は、彼に別れを告げる前日、徹底的に清掃をしているはずなのだが――二週間も空けてしまうと、古民家らしく、すぐ汚れてしまう。


「まずは、掃除からかな」


 そうぼやくと、錆びついた鉄製の掃除用具入れから、バケツと、ナイロン製の淡いピンクの雑巾を取り出し、台所の蛇口からバケツに水をひたひたに注ぐ。そして、そこに雑巾を投げ入れる。水が、少し溢れた。


「――痛っ。って、あー、傷出来ちゃってるじゃん。ミスなんてらしくも無い」


 自分は、あの日の失態を除けば、ミスとは縁遠い存在――これは、自意識過剰などではなく、紛れもない事実なのだ。なのに、何故こんな初歩的なミスをしてしまったのだろうか。振り返ると、その原因の出来事が頭にちらつく――おそらく、あの時だ。異様に肝が据わっていたあの男――、


「いやいや、そんなこと、どーでもいいし。てか、なにこの匂い、雑巾? いや、私か」


 先程から気掛かりだった、生臭さの犯人を見つけた所で、掃除が必要なのは古民家なんかではなく、自分であることを確認する。ここ二週間は、まともに風呂も入ることが出来ないでいた。異臭が漂っていても、何ら不思議な事ではない。

 彼には、この匂いがバレていなければ良いのだが――、


「なんか段取り悪くない? いつかは、こういうのも慣れておかなくちゃ、困らせちゃうよね――」


 この辺境――いわゆる田舎に住んで数年が経つが、中々、生活を営むというのも難易度が高いらしい。家事全般を器用にこなすというのは、どうにも苦手だ。こんなことをするようになった切っ掛けは、私自身にあることは承知の上、それでも家事は好きになれない。そんな向上心のない状態で、嫌々行ったとしても不格好になるのは無論である。


「お風呂行ってくる……覗かないでよ?」


 覗かれる心配など不必要だというのに、彼が起き上がる期待を込めて、心配する素振りをする。体一つ見せるだけで、起き上がってくれるのだったら、なんだって見せるつもりだ。だから、彼には早く起きて欲しくて――、


「ちぇ、起きてくれないの? まぁ、知ってるけど」


 それでも、魅惑に負けることのない彼に、頬を膨らました。自業自得、自分が蒔いた種だが、女としては結構、体を張ったつもりだ。なのに、眠る彼がそれに答えることはない。私は諦めて、カビだらけの風呂場に足を進めた。


~=~=~=~=~=~=~=~=~=~


「ふぅ……久々だけど、風呂も捨てたもんじゃないよね。すぐ汚れちゃうし、不要だと思ってたけどさ!」


 ヒノキの香りが漂う洗面所で、裸でずぶ濡れの私は、大声を出す。覗き魔が出た、わけではない。いや、彼が覗いてくれるのだったら、それはそれで良かったのだが――、


「てか、まだ掃除も済んでないじゃん。家事って、大変過ぎない?」


 彼が独り眠る和室、そこへ届くように声を荒げる。こんな時ぐらいは、独りにさせたくはない。声を聞いて、少しでも安心できるようにさせてあげたいのだ。それは、日々への愚痴も例外ではない。包み隠さず、私の全てを知っていて欲しい。


「可愛くできてるかな……」


 体を拭き、髪を乾かし、純白のワンピースに身を包む。そして仕上げに、蒼のペンダントも忘れてはいけない。この二つは、どれも彼が選び、プレゼントしてくれた、一生の宝物だ。が、それに似合う自分で居られているのかが、物凄く不安になる。それに普段は、外に出るとかなり服が汚れてしまうため、宝物は部屋着へと成り下がってしまっていた。その双方への杞憂の波が、私を襲う。


「でも、あの時は可愛いって褒めてくれてたし――自信持っても、いいのかな?」


 そんな不安を募らせながら、掃除の事を忘れ、彼へワンピース姿をお披露目しに行く。心配ではあるが――いや、心配だからこそ、女としては、彼の一言が欲しい。


 ――マジで可愛い


 彼の言葉が、一言一句間違えられることなく、頭の中で蘇る。その流れから、欲深い私は新婚生活への妄想も脳内で起こす。


「っー! 何考えてるの私、ここにはしけこんでる訳じゃないでしょ!?」


 目の前の襖が開けられ、裸姿の男が姿を現す。自身の妄想が具現化したのだろうか。私とて、化け物と呼ばれようとも、一応、人間の皮は持っている。卑猥な想像をするときも、あるだろう。

 が、彼を裸で寝かせているのと、この妄想は無関係なものだ。彼を寝かす際は、長時間家を空ける都合上、体温調節が効きやすいように、裸に布団を包ませてもらっている。昏睡状態なのだから、そんな配慮は無意味――だと考えがちだが、これが案外、勝手に彼が体温調節をしてくれていることも多い。夏場は布団が畳に落ちていたり、逆に冬場は布団をこちらが三枚ほど用意することもある。そう、彼が独りで立ち上がり、襖を開け、こちらを見つめてくることも――、


「おい、お前――」


「ち、違うの! ごめん、ごめん。これはね、そういう卑しいのじゃなくて――」


 一番、心を覗いてほしくない時に限って、彼は全てを見透かしたような口ぶりをする。本当にやめてほしい、と心の底から願う。


 ――え、今なんて


「今、なんて――」


「誰だ」


 これは幻か――いや、違う。どう見ても、裸の彼が目の前に立っている。長年、千年、待っていた出来事だ。とても喜ばしい、嬉しい、はずなのに、なのに――、


「へ? あー、うん。忘れちゃったか――美奈だよ……ミナちゃんって呼んでくれて……ひぐっ、た、んだよ?」


 大粒の涙が、視界を埋め尽くす。涙が止む気配は、微塵もない。今起きていることは、待ち望んでいたものに近しく、全くの別物だ。私は最悪の事態が発生していることを、一瞬のうちに理解した。なぜなら、予期していたからだ。


 ――彼が記憶をなくしているであろうことを

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パラレル・ロマンス(Parallel・Romance)だけに!?

……すみません(笑)


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