03:この大地?で
五分ほど窒息するかしないかの瀬戸際に立たされたが、どうやらようやく地面にたどり着いたらしい。地面というが、この世界の地面は宙を浮いている。どういった原理かはわからないが、昔見たアニメ映画のように、空中に支えなく存在しているのは事実のようだ。とはいえ、そのアニメの主人公の様に、『本当にあったんだ!』と感動してセリフが出てくることは無かった。立場の違いはあるが、この風景の問題もあるだろう。わりとそこら中に浮かんでいる小島そのものへ衝撃を覚えないことは無い。ファンタジーのような光景をこの目で見ることになるとは、今まで思ってもみなかったのだ。
ただ立ち尽くし、遠いところに来てしまったのだなと。
「きみ、どこから来たの?すごい高さから落ちてたみたいだけど……」
どこから来たのか、ある種の命題のような問いかけだなと思いつつ、常識的に考えれば言葉通りの端的な疑問のはずだ。しかし、月日も遠い世界のことが通じるとは思えない。それに、頭に一瞬よぎったタイムトラベルをテーマとしたB級映画では、未来へ来た主人公が何気なく言った出身地が、忌避される名称であった。なんとなく、情報をペラペラと話し出すのは、不安が残る。
「どこから……」
それに、もし通じないにしても、謎の単語を語りだされるというのは、相手の立場になって考えてみると少々苦いものがある。であれば、とりあえずは婉曲的な表現で返す方がよいだろう。
「そうだな、あえて言うなら、ずっと遠い……ん?」
いろいろ思考が遠くに行っていたが、焦点が一気に戻る。
今、言葉をかけられ、それを理解し、返しの言葉を並べた。
何かのきっかけで、今までわからなかった言語が理解できるようになるという話があるが、それではない。そもそも、その理屈を通すためには、言語が交わされる生活の中にある程度の時間、身を置く必要があるはずなのだ。
そうではなく、もっと純粋に、この少女は、翼を持つこの少女は、知っている言語を使っている。
「英語が、喋れるのか?」
「えい、ご……?」
少女は少し考えると、顔をしかめた。
「イマドキ、翼無しの言葉を喋れないヒトなんてそうそういないよ。#翼__コレ__#があるからって、田舎者だって言いたいの?」
彼女は翼を広げて、不機嫌そうに言う。翼の有無については言語とは関係ない気がするが、どうやら差別的に取られてしまったようだ。しかし、どんな発言に気を付ければいいのかがわからないため、これは仕方ないのではないだろうか。
また、確かに軽く訛りはあるが、知っている言語だ。システム構築にも用いられている言語で、母国語ではないが、元居た世界の半分以上を占める共通言語だ。それがこの世界でも使われている。
思考が味方機の信号のことに行きつく。自分がこの奇妙な星に到達するきっかけとなったものだ。ここにいる人々は、もしかしたら、元の星のことを知っているかもしれない。
「ねえ、なんとか言ったらどう?」
「……いや、悪かった。ところで、今は西暦何年だ?」
「……はぁ?」
「西暦。わからないか?西暦」
少女は顔をしかめて、腕を組んだ。
「……わ、悪かったね田舎者で! えっと? セキレキ、だっけ? "いつ"って訊くってことは……時間かな。……今は15時くらい……だよ……?で、いいよ、ね?」
暦は異なるものを使っているのか、それとも無いのかの二択だろう。
日の傾き具合を見る。この星の1日が24時間なのか、また、方角はどうなっているのか、時間がどのように定義されているかは定かではないが、地球での定義に照らし合わせると、何となく合っているような気がしなくもない。この星を照らす恒星は地平線に対して十分に高い位置に見える。あの位置で本当に24時間制での15時であるならば、ここは結構高緯度に位置すると考えられる。元居た星の基準でしか考えることができないが、時間の数え方などは共通ではないだろう。
時刻はともかく、言語は同一のものが利用されているようだが、全てが受け継がれているわけではない、ということなのか、それとも、この少女が知らないというだけなのか。文化というのか、文明というのか、自分の知識と同一性を見出せそうだが、実際はどうなのだろうか。
少なくとも、味方機信号を受けたということは、この星に人類の痕跡か、または人類そのものがいるはずだ。それらにコンタクトをとれば、何かが分かるかもしれない。
過去と今を結びつけるものがあれば、ただ生きているだけではなく、そこに生きる意味を見出せる。
そのためには、まずはこの少女の協力が必要だ。言葉が通じることの何たる幸運か。素晴らしいことか。ここまで違う世界でも、意思疎通ができる存在がいるだけで、安心感が段違いだ。自分は言葉の通じない海外へ旅行をしたことは無い。過去の同僚に砂漠地帯の町へ、人類のルーツを探しに行ってきたというやつがいたが、言葉の壁にはずいぶん苦労させられたそうだ。そこまでして「見つけたよ、人の根源は砂粒だったんだ!」とのことだった。それに比べれば、普通にしゃべって、通じない単語があるとはいえ障害無く言葉を交わすことができるため、大それた結論に至ることは無いだろう。
そして彼女は言った。この言葉を使えない者はそうはいないと。田舎者云々については、もしかしたら通じない地域があるのかもしれない。そこには注意するとして、おそらくは、一番発展している都市で用いられている言語が英語だ。そして、情報というものは都市に集まると相場が決まっている。
まずは、彼女の言う都会に向かう必要があるだろう。
「……何を考えこんでいるの?」
「いや、君の言う都会って、どうすれば行ける?」
「嫌味……?って顔じゃないね。都会……リラクトとか、エルスキーとか、アリアとかのことだけど、わかる……よね?わからない?」
「初めて聞く名前だ。国の名前、だよな?一番大きい都市がいい」
「そこらへん知らないって、どういうことなの?」
彼女は軽く一息ついて、数歩歩いて近くの岩場に腰かけた。
「……まぁいいや。大きい街かぁ……やっぱりリラクトかな。島が一番大きいし」
島というと、ここに降りてきた時に見た空に浮かぶ大地のことだろう。しかし、にわかに信じ難い。一番大きな都市が浮島にあるということは、地上に人が住める環境が無いということだろうか。いや、そもそも地上があるのかという点から疑いがある。一度見た海面はひたすらに続いていた。太平洋のど真ん中に落下したら、同じように一面波立つ暗い海を見られるだろう。
彼女の近くにちょうど良い大きさの岩などはない。仕方ないので立ったまま会話を続ける。
「そこに行きたい」
「……ここからだと、北の方の発着場に行って、そこから飛行機か何かで飛んでいけるけど。キミはさっき飛行機壊しちゃってるから、途中で何か手に入れるか、相乗りしてくれる人を探すか……」
少女は一度言葉を止め、こちらをじっと見つめる。
「そういえば、かなり軽装だけど……お金とか持ってる?」
ああ。
「持ってないわけじゃないんだが……これは使えないだろうな」
ズボンのポケットには、ステンレス製のマネークリップに挟み込んだ現金紙幣が数枚入っている。電子通貨による決済が一般的である元の世界でも、こういうものは、”いざというとき便利だから”という理由で持ち歩いていた。紙幣自体は、使えるところではそれなりの価値になるのだが、ここではおそらく使えないだろう。同じ通貨を採用していたとしても、時間が経ちすぎているから、通常のルートで換金することができるかは怪しい。
紙幣を開いて少女に見せる。
「翼なしのお金?でも見たことないなぁ。ラクト紙幣じゃないし、ミール、エル……違うなぁ。他の国?……偽札?」
疑いの目が向けられたので弁解する。
「いや、うちの国の貨幣だから、この星で同じものを使っているところは無いと思う」
「確かに、使えなさそう。こういうのは持ってないの?」
彼女は上着のポケットから紙幣らしきものを取り出す。どんな紙切れが出てくるかと思ったら、予想外にしっかりしたものが出てきた。まじまじと見てみると、印刷技術が十分にあることに驚く。ホログラムのようなものは無いが、透かしがある。インクもところどころ特殊なものを使っているようだ。ドル札に比べればそんなでもないが、こういった世界だ。どうも、イメージが相当に古代によってしまっていた。イメージする時代を修正するとしたら、もっと後、2度目の大戦あたりだろうか。そういえば、ヘイセイ時代もその辺りだっただろうか。いや、ヘイセイの頃の紙幣は色々な技術が導入されていたはずだから、もっと前か。
「それがラクトね。リラクトのお金」
名前まんまだが、そういうものなのだろう。
「お金がないなら、換金するものは持ってない?宝石とか」
「そうだな……」
一度自分の姿がどうなのかを見直してみると、なかなか、ひどい状態であることに気が付いた。急いで飛び出したせいもあり、普段から身に着けているアイテム以外は、全て置いてきてしまった。幸いにも、今着ている衣類は多環境対応型の高性能作業服だ。そのおかげで、”普段身に着けているアイテム”は、平和な日常で持ち歩いているよりは数が多い。先程出したものとは別に、ステンレスのマネークリップで挟んだ紙幣がある。マネークリップの方は多少の金額になってくれるのではないだろうか?他はというと……。
作業服の胸ポケットを叩く。電子タバコが出てくる。充電池で動き、香り付きの薬用蒸気が吸える。リラクゼーション効果があるが、残念ながら電池切れだ。次に薄型マルチプライヤー。これらはセールで買った物だし、大した金額にはならないだろう。むしろ持っていた方が役に立ちそうだ。また、電子タバコの充電は光充電だし、注水すればまだ使える。手放した後に手に入れ直せるかわかったものではない。それならば持っていた方が幾分マシだろう。
あとは、ズボンのポケットに入っている個人通信端末、なのだが、これは完全に沈黙している。そもそも長期間充電なしで放置されることが考慮に入れられている装置ではない。おそらく、電力を通しても内部のデータは完全に破損しているだろう。こんなゴミを欲しがる者は居ないだろう。居たとしても、万が一のことを考えると、絶対に渡したくはない。万が一、電源が入ってしまい中のデータが見られることがあれば、生きてはいけない……ことは無いが、それほどに中を見られたくはない。それならば壊した方がいい。
「……俺、本当に何も持っていないな」
「そうみたいだね。偽札を挟んでた金属も小さいから、クズ屋に持ってってもオヤツ代にもならないし。そのちっちゃい工具?みたいなのも、弱そうだし……胸ポケットに戻した白い石みたいなのは、うん、その反応を見ると宝石ではないね。つまりキミは、」
「つまり俺は、」
「「一文無しってわけだ」」
一方的に言われるのも癪だったので、言葉を合わせた。しかし、少女はというと、こちらの状態をしっかりと把握して自分の方が立場が上だと判断したのだろう。得意そうなニヤケ顔で、ふふん、と鼻で笑った。
さて……。