異世界の鬼将軍、現代日本に美少女転生して故国の同人誌を作る
民を、王を、国を守る為、身命を賭して戦った。
迫り来る敵勢に多くの仲間を失ったが、降伏も撤退も許さず戦い続けた。
長き争いの果てに終戦となった折、多くの人間の血で穢れたこの身を、王は英雄と讃え労って下さった。
戦果を喧伝するつもりは無い。喪った者達からすれば、私は名将とは言い難いだろう。だが私は後悔などしない。数多の死が無駄だったと断じて言わない。
あの時、王より賜った言葉は幾つもの勲章より重く我が胸中を戒め、そして生涯の誉れとなった。あの賛辞は一人の英雄へ向けられた言葉では無い。共に戦った者達に向けられたものなのだから──
「やっと、思い出した」
夢から覚めるように目を開く。無意識のうちに出た声はあの頃よりもずっと高く、流れ落ちる涙を拭う指は白く華奢になっているが、確かにこの記憶は私のものだ。いや、正しくは前世の私か。
決して忘れてはいけない大切な物をどこかに置き去りにしている。そんな感覚を常に抱えながら、この十五年間生きてきた。
名だたる将を知る度に胸が踊り、歴史を辿ればほのかな郷愁を覚えたが、心を覆う靄は晴れること無く私を焦らせた。
全てを思い出した今なら、前世の面影を見つけられないのも当たり前だとわかる。私が仕えた故国は、この日本……いいや、この世界には存在しない。
我が部隊は、俗に言う魔法と呼ばれる力を用い、この世界では伝説上の生き物とされる存在を使役していたのだから。
何もかもが懐かしい。それと同じく虚しさもこみ上げる。時が流れ国が滅びたわけではない。端から世界に存在していないのだ。あの戦いも、死した者達も、守ってきた民も、王も。
……いいや、違う。断じて違う。流した血は、あの骸の山は、夢が見せた泡沫などではない。私が憶えている。忘れなどしない。夢にも幻にもしない。私だけしか知らないのならば、世に知らしめてやろう。異世界と呼ばれる地に在った戦士達の英雄譚を。
前世の記憶を取り戻した今、新たな決意を胸に抱く。ふと、体の震えに気づいた。
……武者震いか。隊を束ねる地位に任命された頃のようだな。
滾りを鎮めようと起き上がれば、周辺を覆っていた幕が開き女性が顔を覗かせた。
「よかった、気がついたのね紡木さん」
「先生……はい、目が覚めました」
「意識もちゃんとしてるみたいね。あなた授業中に倒れたのよ。覚えてる?」
しっかり覚えている。完全に前世を思い出したとはいえ、いままでの自我が消えたわけではない。というより、欠損部分を補えた心地だ。
「一応確認させてね、名前とクラス言ってみて」
「一年二組、紡木真結です」
大丈夫そうねと一息つくこの女性は、私が通う高校の養護教諭だ。彼女がいるという事は、私は保健室に運ばれたのだろう。
体育の授業中、思わぬ方向から球が飛んできた。近くにいた男子生徒が私を庇ったのだが、当人は頭に球を食らったようでその場に倒れ伏してしまった。
その光景を見ると同時に、部下が自分を庇い敵の攻撃で屠られた記憶が甦り、連鎖的に前世を思い出した。だが、一度に記憶が溢れ出した事に脳が耐えられなかったのか、意識を失ったのだ。
お蔭で落ち着いて現状を整理できたが、助けられたにもかかわらず自身も倒れるなど、まるで深窓の令嬢ではないか。いくら今が脆弱な少女の身体だとは言え、これではあまりに情け無い。
兎にも角にも、まずはあの男子生徒に礼を言わねばならんだろう。
ベッドから出て周囲を見回すが、それらしき気配は感じられなかった。
「先生、私を庇った人は……」
「ああ井深君ね。彼も大した怪我は無かったから、もう授業に戻ってるわ」
「そうですか。安心しました」
「咄嗟に守るなんて中々できないことよ。お礼言っておきなさい」
「はい。先生もありがとうございました。それでは、自分も戻ります」
手を振る先生に礼をして退室する。
あと十分足らずで授業は終わるが、ここから校庭へは直ぐに行ける。恩人に礼を言うぐらいは間に合うだろう。
靴を履き替えて急いで出てみれば、木陰に立って授業を眺めている男子生徒を見つけた。
たかが学生の放った球とはいえ、他人を守るために体を盾にする男だ。どんな体躯をしているかと思えば、予想よりもひょろっとした細長い少年だった。
観察している視線に気がついたのだろう、男子生徒──井深がこちらへ声を掛ける。
「あー紡木さんじゃん。もう大丈夫なの? って、俺が言えた事じゃないか。あはは」
まだ木陰にいた方がいいと、笑顔で手招きされ隣に並ぶ。
「お蔭様で傷ひとつ無い、ありがとう。井深君こそ痛まないか?」
「へーきへーき。紡木さんみたいな美人を守ったんだからむしろ役得ってやつ? てか、そんな畏まらなくっていいって。同い年なんだし」
「いいや、井深君は私の恩人だ。それに自身の未熟さも痛感したからな、今日から訓練に励むつもりだ。」
「あっはは、なんだか軍人さんみたい……と、ごめん。女子相手に失礼か」
「いや、気にしなくていいさ」
彼の評価はあながち間違いではない。前世の私は中将として魔騎兵隊を率いていた。
そういえば部下達から影で鬼将軍と呼ばれていたと思い出し、自然と笑みが浮かぶ。
「よければ親しみを込めて将軍と呼んでくれ」
「親しみあるかな、そのあだ名……」
眉尻を下げて困ったように笑う井深に向き直り、深く頭を垂れる。慌てて頭を上げるように言われたが、頑として下げ続けた。
前世を取り戻せたのは、勇気ある彼のおかげだ。
自己満足だと理解していても、私だけの言葉では足りないと心が主張してくる。
『貴殿は私の恩人だ……ありがとう』
「えっ?」
困惑の表情で井深が呟く。私の言葉が聞き取れなかったせいだろうが、それも無理はない。なにせこの世界には存在しない言語なのだから。しかしどうしても、前世の言葉で謝意を伝えたかった。
「君のお蔭で、大切な人達の記憶を取り戻せた」
「将、軍……」
「なんだ、そう呼んでくれるのか?」
難色を示していただろうに使ってくれるのかと笑んだ直後、彼は両膝をつき自身の胸へ手を当てた。
これは我が故国の最敬礼……そんな、まさか!
「最期に賜ったお言葉をもう一度聞けるとは思いませんでしたよ……デアヴォール中将」
「ああ……君なのか、アドラ・シオン大尉!!」
滂沱の涙が視界を遮って、彼の表情などわかったものではない。しかし、きっと彼も同じだろう。愛した世界の記憶を持つものが、こんな近くに居たのだから!
「大尉には二度も庇われてしまったな……!」
「今回は矢じゃなくて、ただのボールでしたけどね」
「それにしても」とさらに続ける井深。
「前世の面影が全く無いですね、将軍。姫殿下が生まれ変わったと言われた方が納得できます」
「馬鹿者、殿下はもっとお美しい。大尉こそどこのお坊っちゃんかと思ったぞ」
大尉が貴族令息を揶揄う時に使っていた文句を引き合いに出せば、「これでも鍛えてる方なんですって……」と言いながらばつが悪そうに頰を掻いた。
「私はこれから故国について、この世界に広めていくつもりだ。シオン大尉……いいや、井深君。共に来る気はあるか」
「もちろんお供しますよ!」
前世での部下であり戦友だった男と熱く握手を交わしたところで、授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
教室へ戻る道中で井深と親睦を深めていれば、不意に彼から疑問を投げかけられる。
「故国を世に知らしめるとの事でしたが、一体どうなさるおつもりですか」
「その事だが、井深君は漫画を読んだ経験はあるか?」
「ええもちろん……って、冗談ですよね?」
「漫画という物は、多くの人々の胸を打つ。それに二人も生まれ変わっているんだ、他国に同胞達が居てもおかしくない。であれば、見ただけで理解できる絵の方がより効果的だ」
「それはそうですが……」
賛成しかねるという態度を隠さぬ井深をひと睨みし、私は一喝する。
「行動する前から二の足を踏むな! やって出来ない事などないのだ!」
「はっ!」
「早速、本日から制作に取り掛かる。明日は互いの成果を報告しよう」
「了解しました!」
意気盛んに散開した我々は翌日、放課後の教室にて膝をつけ合わせながら項垂れていた。
「いや予想はしてましたけど、全然ダメですね」
「絵が描ければ漫画を作れるというわけではないのだな……」
「俺の絵は漫画というより絵画って感じで違和感だらけですし、将軍はそもそも絵心が……」
「くっ……漫画が作れなければプロットがあっても無意味ではないか!」
「不勉強で申し訳ないのですが、プロットというのは一体……?」
「大雑把に言ってしまえば、物語の内容をまとめた漫画の元となる物だが……どうしたんだ?」
根幹と言うべき技術が足りず計画が早々に頓挫しかけた時、井深が一筋の光明を見出す。
「そのプロットさえ有れば、我々が描かなくともいいんじゃないですか?」
「なるほど、絵描きに依頼するのか。しかし、人材に心当たりは……」
「俺にお任せください、打って付けの男を知ってます」
大口を叩いた井深は、プロットを持ち出して教室から駆け出す。慌てて追いかけると、辿り着いた場所は美術室だった。
勢いのまま扉を開ける井深に続けば、一人の男子生徒が怯えを孕んだ表情でこちらを見つめていた。
「居た居た! なぁ剣持って漫画描いてるんだよな?」
「いきなりなにィ?! 陽キャによるイジリという名のイジメか!? 描いてたとしても井深君に関係ないし見せる訳ないだろ、人に読ませるために描いてるわけじゃないし、というか完成もしてないし……って紡木さんまで居るゥ! 学校一の美少女が何故漫画研究部に??」
よく回る口に呆然としている間に、井深は話を進め始める。
「このプロットから漫画を作って欲しいんだよ。将軍……紡木さんが書いたんだ」
「将軍ってあだ名なの? こんな美少女に正気か? 陽キャのセンス謎すぎん??」
「いいから読んでくれ!」
半ば無理矢理にプロットを押し付けられ、剣持は半泣きになりながらも読み進める。
「プロットというより最早小説レベルの書き込み……ていうか戦記物て、紡木さんのギャップがエグすぎる……ええと、中将のオルグ・デアヴォール目線で進むのか……ふうん……ほうほう……」
「……なあ井深君、彼は果たして請け負ってくれるだろうか?」
「いや〜この反応は予想してなかったと言いますか……教室じゃ楽しそうに漫画描いてたんで頼めば一発だと思ったんですが」
我々の心配と裏腹に、私のプロットを読み終えた剣持は初めの頃とは異なる涙で頰を濡らしていた。
「どうしてアドラ・シオン大尉を殺しちゃったんだよ紡木さァん! あんな、あんな良い奴を……ううっ、どうしてェ……」
「どんな詰責も受ける。全ての罪過は未然に防げなかった私にあるのだから……」
「怒ってるわけじゃ、ないんだ……ただ、悲しくて。うっ、俺はシオン大尉にっ、生きててほしかったんだァー!!」
大尉の死を受け慟哭する剣持の姿に胸が熱くなる。
ただ故国の存在を広めるだけではなく、物語として人々へ届ければ、同胞達の死も報われるのではないか。咽び泣く彼を見ている内に、私はそう考えるようになっていた。
「……この漫画描く、描かせてくれ。大勢の人にシオン大尉の活躍を見てもらいたい!」
「いやあ、愛されすぎちゃって照れるわ〜」
「井深君には言ってないし書いたの紡木さんだし、そもそも俺が好きなのはシオン大尉……何その目ェ?! なんでニヤニヤこっちを見てんの俺そんな変なこと言った!? 陽キャ訳わからなさすぎて怖いィ!!」
その後、作画担当となった剣持はプロット冒頭部分に当たるネームを数日足らずで描き上げ、私と井深を大層驚かせた。本人曰く、筆は速いが話がまとまらずに未完作ばかりだったと恐縮していたが、剣持は期待以上の戦力となった。
こうして原作は私、人物と演出の作画が剣持、資料用イラスト作成と背景アシスタントを井深が担当し──デアヴォール戦記の一巻目が完成したのだ。
剣持と井深の発案によりデアヴォール戦記の個人サイトを設立。認知を広げるため漫画投稿サイトでも細々と連載を初め、SNSで作品の情報を発信し続けた。
そして井深の「まだ知名度が低いけど、手に取る機会は多いほど良い」という進言に同意し、大規模な同人誌即売会へ参加を決意する。
学生の身であるためあまり予算は賄えなかったが、僅かばかりの同人誌と期待を胸に、今世での戦場へと参じたのだ。
「いよいよ始まるんだな!」
「き、緊張する……大丈夫かな……」
「出るならこの即売会にしようって言ったのは剣持だろー? ほら背筋伸ばせよ!」
「もう猫背は生まれつきみたいな物だから……キャアア!? 陽キャパワーで背骨が真っ直ぐにされちゃう!! ヤメテェ体が耐えられない!!!」
「はしゃぐのはそこまでだ! これより設営を開始する!」
「はっ、了解しました!」
「エッ……井深君もそういうノリするんだ……いや陽キャだからやるのか?」
初めて訪れた会場の熱気は、どこか前世を想起させた。
もちろん戦場はこんな穏やかなものではないが、会場に居る者達の士気が伝わり気分が高揚していく。
サークルカットには故国の言語でメッセージも書いてある。もちろん各サイトでの告知も済ませた。
となれば人事を尽くして天命を待つのみだ。
来場者達が猛者さながらに会場を巡る。けれど、所詮は新参無名サークルだからか、同人誌を手に取る者は中々現れなかった。
見本誌を手に取った者は居たが、井深や私が視界に入るなり目が飛び出しそうなほど仰天して去っていってしまう。
「ええっと……井深君と紡木さんさ、ちょっと会場回ってきたら? 次回の参考になるかもだし」
「……剣持君の言う通りだな。暫し抜ける、ここの陣営は任せたぞ!」
「エッアッ、了解です!」
井深を連れ敵情視察よろしく会場を巡る。設営一つ取っても特色が出ており、確かに勉強になった。
他サークルの冊子を購入できる程の金銭を持たずに出てきたため飲み物だけ買って剣持の所へ戻ると、何やら揉めている様子だった。
『メッセージを読んで来たんだ! なあ、将軍なんだろ!』
「オアッ……ソ、ソーリーアイキャントスピークイングリッシュ……」
『なんで通じねぇんだ! あれが偶然だって言うのかよ!』
「もうなにィ!? 本買わないしずっと捲し立てられるし何語かわかんないしィ!」
「一人にしてすまなかったな剣持君、私が変わろう!」
泣き喚く剣持を井深に任せて前に出る。
手に余るのも仕方あるまい。何故ならば──
『すまない、同胞よ。彼は記憶を持たない協力者なんだ』
『それじゃあアンタ、いや貴女は……』
『ああ。私こそオルグ・デアヴォールだ』
『鬼将軍かよ!! 姫殿下かと思ってときめいちまったクッソ……!』
前世と異なり威厳も何も無いこの姿に落胆したか、男は嘆息し肩を落とす。
私が本当に姫殿下であれば、きっと失望させなかっただろうにと臍を噛んだその時、男がその場で慇懃に礼をとったのだ。
──それはいつかの井深がやったように、変わらぬ忠誠を示す最敬礼であった。
『ランツ・カムラッド中尉、遅ればせながら参上しました。ま、今はアルヴィンって名ですがね』
前世では多くの戦友を喪くし、今では巨躯も地位も……何もかも持っていない私に、ついて来てくれるというのか。
次々と溢れる流れる涙が頰を濡らしていく。この身体になってから涙腺も脆くなってしまったようだ。
『私の部下は、忠義者ばかりだな……』
『あの鬼将軍が涙を?! 止めてくれ脳ミソがおかしくなる! 見た目が美少女でも元は野郎だぞ耐えろ俺!』
「アワワ紡木さんまで泣かされてるゥ!? た、たすたすっ助けに行かな!!」
「あー大丈夫だって。どっちかと言えば男の方に同情するわ俺……」
即売会参加により新たな仲間を加え、サークル活動もより活発になっていく。
カムラッド中尉もといアルヴィンの加入により、翻訳版も作成し国外展開も進められた。
微々たるものの、かつての同胞達から連絡も入る様になりサークルの規模も徐々に拡大。中には自作ゲームで盛り立てる者まで出てきた。
この反響は予想を上回っていたのか、最近の剣持は常に慌てふためいている。いや、これは普段通りだったかもしれないな……。
現在に至るまでを一人追想していれば、背後から声が掛かる。振り向いた先には、コーヒーを持った井深の姿があった。
「次回の即売会申し込みが完了しました。それにしても、当初と比べて随分人手が集まりましたね。中には同胞以外もちらほらいますし」
「ああ……井深君のお陰だな」
「なに言ってるんです。ぜーんぶ将軍がいなきゃ始まりませんでしたよ」
井深の返答に、私は頭を振る。
「君が身を挺して助けてくれたからこそ、今があるんだ……この先も共に歩み続けてくれるか」
「将軍……」
真摯に胸中を告げれば、井深は胸の辺りを握りしめて苦しげに口を開いた。
「その顔でそういう台詞言わないでください、脳が処理落ちするんで」
「感謝の意すら伝えてはならないのか?!」
「最後みたいな雰囲気出してますけど、むしろこれからですからね? プロットまだ上がらないんですか?」
「くっ、もう暫し待ってくれ……殿下の美しさを表現しきれなくてな」
「あーもう剣持君がイイ感じに描いてくれるから大丈夫ですって」
「いやしかし──」
全ての始まりは前世が切っ掛けだった。
故国の軌跡を残すため、喪った戦友達の弔いのため。この志が変わる事は決してない。
……けれど今は、それだけでもないのだ。
仲間達と作り上げた作品を目にした時、言い知れない感情が湧き出した。本を手に取ってもらえた時、胸が震えた。作る喜びを覚えた。
きっと私は昔も今も、人と共に在りたい質なのだろう。
いつか世界中の人々へ故国の英雄譚を知らしめるその日まで、私は仲間達と共に進み続ける。