喪失の悼みと、夜明け。
「でも、亡くなったなんて、聞いてなかったよ?」
聞いてないどころか、様子の変化に気づけもしなかった当時の自分に…ああ、それでもシシリーは当時小学生か…。
『気づけ!』と言いたいけど、わからないよね。
自己嫌悪に陥りそうになって、思わず吐いたため息で、エルネストの耳の長い毛が月明かりにきらきらとしながら、揺れる。
「そうだね…言わなかった。母親が亡くなったのを知った時だって、エルほどじゃないけどショックだったし、すぐ里に戻ろうかとも思ったけど。でも、それよりも…僕は、みんなの傍にいる事の方が、嬉しかったから」
「カイはすごいね……色々考えてて」
私には…『母親の記憶』はあまり無い。
今までの転生の中で、両親の姿は無かった。
知っているのは、前世の母親と、今の母親。
前世の母親に関しては、幼い頃に亡くなるなんて事はなく、持病はあったものの、しっかりと大往生だった。
(母親の死を知っても、取り乱すこともなく『頑張ったね。お疲れさま』としか言葉は出てこなかった)
ああ、ショックはあったのよ?
やっぱり悲しかったし。
でもね、もう私も独り立ちして、自分の家族もいたし、きっとエルネストの悲しみとは違うと思うんだ。
それは愛情の加減と言うわけではないのだけども。
母親が嫌い、というわけでもないし。
エルネストのように小さな子供の『母親的存在』は子供にとって『世界の全て』だから。
そして、当時の私の『母親の存在』は、自分を産み、育ててくれた大切な人ではあるけれど『私の世界の全て』では、無い。
多分、その違い。
……当時、独身で母親と同居していた歳の離れた末の妹は、ずっと泣いていたし。
いつも一緒にお出かけしたり、ちょっとした小旅行に行ってみたりと、母親とずっと一緒にいたから。
近距離別居の、結婚し子育て真っ盛りの、中の妹がヤキモチを焼いて、私に愚痴電話を延々とかけてくるくらいには、母親は末の妹の世界の大半を占めていた。
中の妹も泣いていたが、私は泣かず。
(そういえばあの時、妹たちに『冷たい!恩知らず!』とか、軽く八つ当たりされたりしたんだっけ)
思わず、苦笑いが浮かんでしまいそうになるのを、こらえる。
正直、泣くより…葬儀の手配や、死亡の書類…お金の管理等々、そちらに奔走していてそれどころではなかった!とも…少し言い訳はしたかったな。
死亡から火葬するまでの手続きだけでも、テレビドラマなら一瞬で終わっちゃうようなシーンでも、実際はものすごく煩雑な手続きだらけなんだよ……。
っと…思考が暴走してしまった。
でもさ、やっぱり、幼い頃に親を亡くすのは…精神的なダメージが大きいと思うんだ。
それを、1人で乗り越えたカイルザークは、頑張ったと思う。
「えらいよ、本当に」
「……褒めても、なにも出ないよ?」
少し、はにかむような、照れている声の色に変わる。
……直後に『いい加減、重いっ!』と、再度ゼンナーシュタットの毛布の中に、引きずり込まれそうになって、すごい勢いで逃げていく姿に、思わず笑ってしまったけどね。
(……本当に、こんなに可愛いのに、どうしてそこまで我が子を嫌えるんだろうか)
今、抱え込んでいるエルネストにしてもそうだ。
思わず抱える腕に力がこもってしまう。
無意識に、その柔らかな髪、そしてひょっこりと顔を出すケモ耳とを優しく撫でる。
この銀にも近い淡い藤色の髪の色が、彼らの種族では特異だった、というのは聞いた。
それが『この子の個性だ』で、済まなかったのだろうか?
それほどまでに、種族内で忌み嫌われる容姿だったのだろうか?
子を守り切れないほどに、母親を取り巻く環境からの圧が強かったのだろうか?
(想像つかないし、そもそも理解もしたくはないけれど)
非難は…きっと、できない。
ただ、一つだけ思うのは……感謝だ。
殺さずに、いてくれてありがとう。
ここまで、育ててくれてありがとう。
(……今までの私なんて、追い出されるどころか、殺されてたからね)
シシリーの時は、死ぬ直前に助けられた。
そのまま魔導学園へ保護されて…あれ?
そういえば、私は…『なに』から、助けられたのだっけ?
……『誰』に?どうやって?
歳かしら?
自分が助けられた時のことを、覚えていない。
でも、助けられたのは覚えてる。
とても辛かったはずなのに、全く記憶に、ない。
あれ……?
******
昨日は、考え込んでいるうちに寝てしまったみたい。
ぼんやりと広がった視界には、いつの間に戻ってきたのか、隣には寝ている父様の大きな背が見えた。
腕の中にはエルネスト……って、あれ?
私、縮んでないじゃない。
……まだ、お姉さんのままだった。
朝日までもうすぐ、という感じの白み始めた空が目に入ってくる。
まだ、ぎりぎり星の光も存在する。
日の入りを示すオレンジと夜空の藍の色と、それに混ざる空の白とで、えもいわれぬ表情を見せる、この時間帯の空は、何とも幻想的で好きだ。
日の出が始まると、空の色は目まぐるしく変化する。
あれほど世界を埋め尽くしていた美しい星たちの光景は、元から存在していなかったかのように、幻のようにその姿を消してしまう。
天蓋のゆらりふわりと風に揺れる、シフォンのようなカーテン越しで見つめる夜明け。
「ぅ…ん?…朝?……うわぁああっ?!」
私の身じろぎでエルネストを起こしてしまったみたいで、胸に顔をすりすりとしていて……ふと動きが止まったと思った瞬間、叫びと共にじたばたとし始めた。
「…あ?…朝か。セシー、おはよう…姿は…戻ってないね?」
その振動で、隣に寝ていた父様まで起こしてしまったようで、大きな背が動くと、こちらへ向き直った。
「えっと…セシー?…エルが、もがいてるから、そろそろ解放しなさい……」
「はい……」
顔を無意識にだろうけど、擦り付けてくる仕草がとても可愛らしくて、思わず私もエルネストの額に頬をすりすりとしていたら、父様の少し呆れた声をもらってしまった。
残念!
でも、なかなかに幸せな時間でした。
「可愛かった…!」
「えぇと…。兄だからな?一応、義理にはなるが、エルはセシーのお兄さんだからね?……そうやって襲っちゃ、いけません……」
父様、弟だったら良いのかしら?
なんの気なしにカイルザークに視線をやると、両の手を顔の下に綺麗に揃えて、小さく丸くなって寝ている姿が見えた。
ぽよぽよのぷっくりした頬の下に、揃えて添えられている小さな手。
やだ、可愛すぎ。