side シシリー。可愛い後輩。
執務室で作業中、ぼりぼりと掻く……いや、強く掻き毟る音が響いてくる。
ぼりぼりを通り越して、ごりごり聞こえる。
『ねぇ、さっきから凄い音が聞こえるんだけど……痒み止めか保湿の軟膏用意しようか?』
『あ……すいません、違うんです』
今、執務室にいるのは、シシリーと、今年からシシリーの研究室に加わった、後輩のカイルザークだ。
他の研究員たちは、研究施設で頑張っている。
私は執務室で、溜めに溜めてしまった書類の整理と作成をしていて、新人でもあるカイルザークは、そのお手伝いにきてくれていた。
この書類も本当は研究所のデスクでやるのが良いんだけど、向こうは向こうでレポートの山があるから、書類が混ざってしまった日には目も当てられないし。
そもそも研究がしたくて研究室……つまり学園に残ってるわけで、研究員が動くのが目に入ると思わず参加してしまうので、作業にならない。
なので、ある意味、隔離されるかのように執務室での作業となった。
(まぁ、そもそもこの執務室自体も、シシリーが大半を私室として使ってしまっているために、執務、という意味ではあまり効率的な機能は期待できなかったりするわけなのだけど)
違う。の言葉に、思わず首を傾げながら…改めて書類から目をあげると、視線をカイルザークの方へと向ける。
『違う?痒いんじゃないの?』
『違うんです、あ、いや、これ……生え変わりの時期で、痒くて』
手が届かないあたりが特に…と背中を指しながら、苦笑まじりに微笑む。
カイルザークの言葉に思わずぽかんとしてしまったのだけど、そう言えばカイルザークは獣人だった!と思い直し、つまりは被毛の季節ごとの生え替わりのことだと理解する。
……換毛期ってやつですね。
『生え変わり?……あ!生え変わるんだ……』
『変わらないと、暑いです』
『……前も、生え変わってたの?』
『子供の頃は、そうでもなかったんですけど』
そういえば、花の季節が終わって、そろそろ果実がたくさん市場に並ぶ季節なんだよね。
最近は暑くなってきたもんなぁ。
どうやらカイルザークは、夏毛に変わるところ、らしい。
(生え変わりがあるの、知らなかったわ)
でも、まぁそうだよね。
獣人の被毛って服の目的も兼ねるから、生え変わりが無いと辛いよね。
ふと思い立って、席を立ち、背後にある戸棚をごそごそする。
『梳こうか?少しは楽になるんじゃない?……スリッカーがあったはず…あ、あった!』
『それ、ペット用…ですよね……』
少し遠い目をされてしまった。
ちなみに、獣人をペット呼ばわりすると怒られます。
まぁ当たり前か。
そういうつもりではなかったのだけど、そもそも獣人に換毛期があることを知らなかったから……あ、そうだ、それなら学園の支給品にあるのかな?
下着とか、制服とか、必要最低限の生活の品は、ブランド等を選り好みしなければ、支給される。
学園には様々な種族が所属しているので、それこそ多種多様な形状のものがある。
支給品のリストを出して、スリッカーっぽいものを探し始める。
『やっぱり、これじゃダメ?』
『駄目と言うか……毛足の長さが違うんで、すぐ使えなくなりますよ?』
毛足……カイルザークのしっぽの毛は長かった。
透明感のある白に近い淡い紫色で、ふわふわなのだ。
滅多に見れないけどね。
それでも人化の際に、その特徴は引き継がれるようで、カイルザークの頭髪はやはり透明感のある淡い紫色だし、後ろでまとめているにもかかわらず、少しの風で猫毛のようにふわふわと動くたびに舞う。
『しっぽ、すごいふわふわだもんね。カイの完全獣化をしたとこを見た事がないんだけど、背中も結構長い?』
『……同じくらい、ですかね?浄化魔法で汚れはとれるんですけど、生え変わりの毛は取りきれなくて……』
ふっと目を伏せるようにして肩をすくめてみせる。
いつもにこにこと営業スマイルなカイルザークには珍しい表情だった。
抜けちゃった毛は、浄化やクリーンっていわれる、体を清潔に保つ魔法で除去出来るんだけどねぇ。
生え変わりの毛って、まだ生えてるから。
完全に抜けないと除去できないしで、取り切れないんだろうね。
『えっと[獣人・長毛用]のスリッカーで良いかな?』
『はい……って、本気だったんですか?!』
よし、注文、っと。
私の名前で、生活用品の項目にあった[獣人・長毛用]のスリッカーの発注をかけた。
これでスリッカーがもう少ししたら、運ばれてくる。
その様子にカイルザークは目を見開いて、何かびっくりしてるようだけど。
そんなにびっくりする事かな?
びっくりついでにケモ耳が出てる!
……しっぽがぶわっとなってる!
茶に近いオレンジ色の瞳がまん丸になってるよ?
(見た目は年相応なのに、反応が妙に幼くて可愛らしいんだよなぁ)
カイルザークは、ちょっと珍しい狼の獣人らしい。
……仕草や表情がとても人懐こくて、可愛らしくて、どちらかと言えば、犬っぽいけど。
一般的な犬系の獣人と比べて、ずば抜けて魔力が高いのだそうだ。
実際、魔導学園に研究員として残る獣人は珍しく、まぁ……いる事にはいるけどね。
基本的には体力勝負な部門にいることが多くて、外見も筋骨隆々なタイプばかりなのに対して、カイルザークは線が細くて、耳や尻尾を隠していれば、本人から獣人だと言わない限りは誰も気づかないと思う。
『痒いんでしょう?作業は一段落したし、良いよ?』
『えっと……獣化って……』
ケモ耳がぴこぴことせわしなく動いてて可愛い。
カイルザークは耳と尻尾の隠蔽があまり得意では無いらしく、ちょっとびっくりしたり動揺すると、すぐにこうやって隠蔽が解けてしまう。
しかも、解けている事に気づかない。可愛すぎる。
そんなケモ耳が、くいっと背後を向く。
これは何か不安があるときの仕草だ。
こういうところは、昔から変わらないなぁと思いつつ。
(ていうか、ぴょこぴょこケモ耳が動くものだから、可愛くて思わず目に入っちゃって……ね。見ているうちに、なんとなくわかるようになってしまった)
カイルザークとは、彼がこの魔導学園に入学する少し前からの知り合いなんだ。
つまり、彼が4歳の頃から。