エンカウント。
飾り彫りの柵越しに、ゆっくりと降下していくルナの姿が見える。
上昇気流でもあるのか、ふわりふわりとルナの漆黒の艶髪を吹き上げる。
『悲しい力の使い方はしなくて良いんだよ。…私が絶対にさせないから』
そう約束して、私の契約精霊になってもらったのに、悲しい顔させちゃってるよね。
……ルナもフレアも、もっと笑っていて欲しい。
彼らの目指す幸せが、私の目指すものと一緒とは限らないけれど、それでも私と一緒にあるうちは笑っていて欲しい。
『……フレア、聞こえてたらというか、来れそうなら手伝って欲しい』
魔力を込めて呟いてみるも、フレアの反応は……なかった。
ユージアと教会内の探索に回っていたから、一緒に『監獄』内へは来ていない。
「やっぱり精霊の通過を阻む仕掛けがある施設型の魔道具か……管理者の声ですら、外まで届かないのかな?」
「そもそも暴走してるからなぁ。聞いてくれることの方が珍しいのよ?」
「それって…以前から思ってたけど、契約してる意味があるんだろうか」
涙目になりながらカイルザークがあたりを見回す。
刺激の強い臭さだけではなくて、その刺激で目も開けてられないらしい。
私としては、確かに臭いかな?と感じる程度だから、いまいち分からなんいんだけどね。
「フレアに浄化のお手伝いをして欲しかったのだけど……そういえば、カイも光の精霊連れてたよね?あの子は?」
「いや…いたけど、というか居るけど、そこら照らすしかできない子だから、むしろ出したらうちの子の方が、汚染されちゃうと思う」
「そう…でした。光だからいけるかと思ったんだけど……」
カイにも契約精霊がいた。
ただし、人前では滅多に呼ばないし、使わない。
確か、課外授業の一環で偶然、契約することになった精霊だ。
それは本当に偶然で、とても珍しくて、とても可愛らしい存在だ。
ルナとフレアのように、属性検査の結果に記載されるほどの影響力すらない、幼い存在。
……そう、幼いんだ。
魔力も意志も、とても希薄な精霊の赤ちゃんだった。
ただただ強い魔力に惹かれて、その周辺を楽しげに漂うだけの、ぼんやりとした存在のはずの精霊の赤ちゃん。
課外授業で偶然にも遭遇して、そんな存在だとは知らずに契約を持ちかけた。
するとぼんやりしているはずの、その精霊の赤ちゃんが、カイルザークの声に反応してくれたんだ。
ただ、赤ちゃんなので…精霊としての能力はほとんどなくて、召喚しても、あたりをふわふわ漂って、その自ら発する光で周囲を照らし出す、その程度しかできなかった。
それこそルークの風の乙女みたいに単独で伝書鳩のような書類のやり取りや、戦闘時の補佐や後方支援が思いっきり期待できる用な優秀さというものが全く無くて、ただその場にいる、というだけだった。
(何しろ赤ちゃんだから、喋れないし、こちらからの意志の疎通も言葉だけでは通じないし。だから、暴走はしていなくても、お手伝いなんてもってのほか)
でもね、知ってるんだ。
その精霊をとても大事にしている事。
とても可愛がっている事。
意志の疎通が難しくても、ちゃんと契約には応じてくれて、呼び出したら、精一杯頑張ろうとあたふたと動く。
お手玉程度の大きさの、小さな光の綿毛のようなかたまり。
ライトの魔法なんて、初級だから自力で簡単に使えたのに、わざわざ精霊を呼び出しては『お手伝いありがとう、助かったよ』と喜んで見せていた。
……まぁ、精霊魔法学では、使役する精霊への格の評価もあったから、そこら辺の評価は最下位だったけど、精霊とのコミュニュケーションでの評価はトップクラスだった。
(ここら辺は私と真逆だったんだよなぁ)
むむむ…と昔を思い出して、思わず唸りそうになってしまう。
精霊魔法学という学科としては、カイルザークのように幼い精霊を使役するなんて、役に立たないし、なんの利益にもならないものだから評価は低い。
ただ、シシリーのように希少で、なおかつ優秀だろう精霊が、本人の技量足らずで制御できていないのも、同様に評価が低い。
まぁどれだけ使役できるか?というのが評価のメインだからね。
私は盛大にへこんだけれど、カイルザークはそもそも、精霊を使役することを望んでいなかったから、全く気にしている様子ではなかった。
ただそこにいてくれるだけで良い、そういうスタンスだったと思う。
精霊からのフォローを受けて自らの魔術の向上を狙うのが基本だったのだけれど、カイルザークの場合はむしろ自分のことより、精霊が興味を持ったものを、いろいろ体験させてあげたりとか……精霊を『使役する』という関係よりは『育児する』と言った感じに見えていた。
(まぁ確かに実用性という意味では評価は良くなかったけどさ、あれはあれで、ほのぼのしていて可愛かったんだよなぁ)
そうこう考えているうちに、ルナが地表近くまで降下が完了していた。
ゾンビっぽい肉塊から、すれすれで触られない位置にいるのが見える。
ゾンビたちにしてみれば、美味しいご馳走が手のギリギリ届かない場所にいるものだから、我先にとその足元に集まり、ルナに向かって手を伸ばしている。
しかも見る間見る間にその量は増えていく。
……ルナに助けを求めずに、あの場所へ落ちていたら……カイルザークがふざけて言っていたように一瞬で彼らの『ごちそう』に…なっていたのがありありと想像できてしまい、ゾッとした。
ルナはあたりを見回して、フロア内のゾンビたちのほぼ全てが自分の周囲へと集まっていることを確認し、遠目でもはっきりと分かるほどに嬉しそうに──くしゃりと目を細めて笑った。
そして何かを呟きながら、とても美しい所作で深く礼をする。
旅の吟遊詩人が、たくさんの観客に囲まれて、嬉しそうに素敵な旋律にのせた詩を披露するときのように。
すると、不思議なことにゾンビたちの動きが、群全体での動きが一瞬、止まる。
「ルナ……凄いな。下手な魔術師より優秀だ」
ポツリとカイルザークが呟く。
いまだに涙目のままに、それでも必死に階下のルナの様子に見入っている。
何が優秀なのかが分からずに、キョトンとしていると、カイはルナを見つめたままに、状況を説明してくれた。
……いや、その手順が見てるだけで読めちゃう時点で、カイもすごく優秀だと思うよ?
「セシリア、ルナが浄化を始めたよ。終わったやつから眷属に返却、という形で『監獄』の外に運ばせようとしてる」
実際、ルナを取り囲むように集まっていたゾンビたちが、輪の中心部にいる者から順に、形が崩れるように沈み込んでいく。
溶けたのかと一瞬焦ったのだけれど、どうやら眷属が運び出すために地面に引っ張り込んだだけのようだった。