side エルネスト。旅立ち。
『……本当は、二度と里に戻ってくるな!と言わなければいけないのだけど。こんな小さな子供を寄ってたかって差別するような大人しかいない偏狭な里に戻ってくる必要なんてない……戻りたいなんて思う暇がないくらい、大切な仲間をたくさん作りなさい…』
笑顔を作ろうと細められた養母の瞳から、ぽろりと涙が転がり落ちていった。
『おまえは…身体こそ弱いが、里1番の聡い子だ。里の者達がおまえを追い出したことを後悔するくらいに……幸せになりなさい』
それだけ言うと、ぎゅうっと抱える力が強くなって、養母の言葉はそれきり途切れて無言のまま、時間が流れていった。
馬車が到着する頃には、いつも通りの養母に戻っていて『頑張っておいで』とだけいうと、ボクが馬車に乗り込むのを確認した後、見送りもせずに帰ってしまったと御者のおじさんが話していた。
(……大丈夫、ちゃんと別れはすませた後だったんだよ)
ボクは養母の優しい温かさを憶えている。
寂しさに凍えないように、抱えて眠ってくれていた温もりを知っている。
だから大丈夫。
これからもこうやってたくさんの小さな子供たちを全力で守っていくだろう養母の事だから、きっと数年も経てばボクのことなんて忘れてしまうのかもしれないけれど。
それでも、さっきまではボクの養母だった事実は変わらない。
それに、ボクは絶対に忘れないから……会えなくてもいいから、どうか元気でいてください。
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1人きりになった馬車の中で、改めて二度と会えなくなってしまった寂しさに気づいて…少し泣いてしまった。
初めての馬車移動での物珍しさに気分を誤魔化していたのに。
あの後、半日かけて次の大きな街へと移動し、そこでも魔力持ちの認定を受けて孤児院行きを希望する子を乗せるために半日待機、そして出発。
夜は街道に設置されている野営地での野営……これを数度繰り返して王都の次に大きい街といわれるベリーズヒルに到着した。
(人族は魔力持ちがちらほらいるって聞いてたのに、ほとんどいなかったんだよな。貴族の子ってのが数人魔力持ちだって言われてたが、孤児院を希望するはずもないから、結局ベリーズヒルに着くまで、馬車はボク一人だったし)
ベリーズヒルは王都から見て真南に位置する場所にある港町だ。
ヒルって名前に使われてるので、山や丘が近いのかと言えば全く。
メアリローサ国は大陸単位で見ると辺境の地と呼ばれていて……理由は険しい山脈に他国との陸路が分断されてしまっているためだった。
中央に広がる『死の森』を経由すれば、各国へ最短でつけるのだけど……。
非常に危険な地帯になっていて、冒険者の護衛をつてたとしても通ることができないと言われている。
(ま、そんな森を単身抜けようとしてきたって言うカイルザークがいたわけだけど……物凄い無謀なヤツだと思う)
そのために他国や周辺地域との交易で栄えた港町だ。
元々は寒冷な気候を活かしてのフルーツ栽培がメインの長閑な町だったそうだ。
春から夏にかけて、果樹達が競い合うように一斉に開花する様が、そして初夏から秋にかけてその果樹一面に見事な果実が揺れる様が、視界一面に広がっていたのが街の名の由来なのだそうだ。
そんな街にある孤児院で、これから……魔法学園入学までを過ごす事になる。はずだった。
(3日だ。この3日後には鉄格子の入った荷馬車に放り込まれていた。なにか粗相をした覚えもない。初対面の助祭やシスターがボクを見るたびに驚くように目を見開いていたのが印象に残っていたが、それだけだ。耳もしっぽも完全にしまっていたから、それらを見られたわけでもない)
そこから数日、脱出しようと叫んだり暴れたりを試みたが、外に音が漏れなくなっているのか、誰にも気づいてもらえなかった。
それどころか、日を追うごとに同乗者が増えていった。
幼い子供ばかり。
挙げ句の果てには、我が子の目の前で売買の相談をしている親すらいた。
人族とは、同族の子ですら物として扱えるのだろうか?
『忌み子』として存在を嫌がられたボクですら、生まれてすぐには殺さずに、最低限生きていける力がつく程度には育ててくれようとしていた。
そんな獣人の里よりも、人族はずっと薄情なのかもしれない。
そう思い始めていた時に、最後にこの荷馬車に放り込まれてきたのが、レイとセシリアの兄妹だった。
終始にこにこと穏やかに笑みを浮かべている癖毛気味の金髪のレイと銀髪のセシリア。
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この牢のような荷馬車は、こちらからの音や声は全く外へと届かないのに、外の音はとてもよく聞こえてくる。
そのおかげで、この子供達を詰め込んだ荷馬車は、農村へと寄っては子供を買い上げながら、ゆっくりと王都を目指しているということがわかってきた。
この荷馬車に放り込まれてから何度目かの夕方を迎えた。
野営をするためだろう、馬車の揺れが止まって護衛の冒険者や、人買い達の酒盛りや食事の音に混じって『幼い兄妹だけで野営をしているのが見える』と、会話が聞こえてきて嫌な予感はしていた。
案の定、その兄弟が就寝したのを確認する会話の後、2人が放り込まれてきた。
文字通り放り込まれてきたので、怪我を心配して声をかけようとすると、兄はひょこりと起き上がって、「初めまして」と、にこりと笑った。
平民と言うには上等すぎる服を着た兄妹……だと思ったら、自己紹介を聞いてみると兄妹ではないらしい。
子供達だけでの移動というのも、王都へと急いでいたからだったようだ。
ただ、レイも初対面でボクをみた時に、一瞬目を見開いてびっくりしたような表情をしていた。
……人族にも『忌み子』がいるのだろうか?
一方、放り込まれた衝撃すら気づかず、妹だと思っていたセシリアは熟睡を続けていた。
まぁ、他の同乗者となっている子供達もみんな寝静まった後なので、レイと少し会話をした後ボクも寝てしまった。
朝になって、それぞれが目を覚まし始めてもまだ寝ていたセシリア。
彼女が起きて、状況に理解が追いつけずに呆然としているのを見ると、レイはにこりとわらって鞄からパンを出してみんなに振る舞った。
余裕ある兄のようなレイは、セシリアのことを『大切な子』だと言っていた。
そして爽やかな笑みを浮かべながら爆弾発言を落とした。
『行き先は王都だと言っていたので、歩くよりは早く安全に着くかなぁと思って。そのまま寝たフリをしてたんだよ。王都に着いたら、魔法か何かで騒ぎを起こして、どさくさに紛れて逃げてしまおうかなぁなんて……ちょっと考えてたんだけどね。ここ、魔法封じられてるんだよね。どうしようか?』
……ダメだろ、この兄妹。