side カイルザーク。その6
そんな半ば化け物じみた精霊が『好意』でルークに従っているのは、ひとえにユージアの為だけである。
そう言い切られてしまうルークだが、彼もまた、魔力も技術も、もちろん知識も非常に優秀な人材だ。
そのルークすら差し置いてまで、まだ未熟なユージアに執拗なまでに付き纏う時点で、完全にあの水の乙女との相性の一致からの行動なのだろう。
『ねぇ、あの子はどうして私たちをとても怖がるのかしら?』
「……僕も教えてもらえないんだけど、風の乙女を極端に怖がっているように見えるから、風の乙女と何かあったのかな?って思ってます」
『……私が嫌われている原因じゃなくて良かったわ。あの子、とても愛らしいものね』
愛らしい……愛子ですかね。
本人のもともと持っている属性的な相性とはまた別に、なぜか精霊にモテまくる。
モテまくると、その存在に気づいて欲しくて、それこそ妖精はもちろんだけど精霊にまで悪さをされてしまったりする。
……好きな子に気付いて欲しくて、アピールが意地悪の方向に走ってしまう。
「えっと……それは、風の乙女に全力で可愛がられたのが原因って事でしょうか?」
『あの子は風と水の愛子だわ。傍に置いておきたかったのかもしれないわね』
肯定するようにこくりと軽く頷き、すっとエルネストへと視線を向けると、指をすっと上げる。
エルネストの背に、洗い流し損ねて付いていた泡の塊が、突如現れた湯によって流されたのが見えた。
「うわっ?!……え?」
……飛び上がらんばかりの悲鳴も同時に聞こえたが。
その様子に思わず笑ってしまうと、水の乙女も同じように、ふわりと笑う。
『ほら、本当に愛らしい……』
小さく呟くと水の乙女は浴場の端の湯船へと冷たい水が注ぎ込まれているであろう位置に移動していき、湯船の縁に腰掛けると、読書を始めたのが見えた。
風の乙女に何をされたのだろうか?
ユージアも同じように怯えているのだけど……同じように、全力の愛情表現をされての結果なのだろうか?
もしかして、精霊の可愛がりって嗜虐性が高いのか?!
少し気にはなったが、愛子に下手に関わると、余計なとばっちりを受けかねないので触れないでおくことにした。
……ヤキモチを妬かれることも、多々あるからだ。
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元来、風呂はリラックスする場なのだと記憶しているのだが、エルネストは終始ビクビクと怯えつつ身体を洗い、湯船に浸かる。
(本当に風の乙女の片思いが、この状況の結果だったとは)
好かれたい。ただ一心だったろうに、エルネストのその後の反応の滑稽さに、じわじわと笑いがこみ上げてしまうのを必死に堪えている僕も、かなり辛い。
その風の乙女からの行動だって、本当に困っているのであれば、契約主であるルークに苦情を言えばいい。
我慢しているのか、まだ許せる範囲だったのか……?
ただ、1つだけ分かった事は、エルネストは優しい子だという事。
なんだかんだ怯えつつも、僕のペースを見て動きを合わせて待っていてくれている。
でもごめん、僕は長湯が好きだ。
先に出て脱衣所にあった休憩スペースで待っていてくれたほうが、よかったんだけどね。
「水の乙女見守りありがとうございました!」
「うわわっ…って…こえぇ…」
風呂から出る時に、水の乙女がいる方向へ向かって声をかけてから退室をしようとすると、またもやエルネストの悲鳴じみた声が響いた。
水の乙女が、何かを呟きながら指をくるくると回しているのが見えての悲鳴のようだった。
そんなくるくると回された指の動きに合わせて、水の球がエルネストと僕の周囲を数回素早く回り、その水球が弾けるように霧散すると、湯に浸かって濡れていた身体は綺麗に拭き上げられたように乾いていた。
「ありがとうございますっ」
お礼を言う僕の手を、凄い勢いで引っ張って、脱衣所へと退室していくエルネスト。
「愛らしい」と気にしている相手から一挙手一投足に至るまで怯えられるのは、流石に傷つくと思うのだが……水の乙女は嬉しそうに笑みを浮かべると、湯船中央まで移動して手を振ってくれていたので、再度軽くお辞儀をして退室した。
「お風呂っ!楽しいねっ!ありがとねっエル〜」
「はいはい…わかったから、部屋に戻るぞ。僕は早く寝たい……」
ぎゅーっと手を握ると、力無くだが握り返してくれた。
……抵抗する気力すら、削れる程に疲弊してしまったようだ。
いたずら好きな妖精ならともかく、精霊であれば……仲良くすれば素敵な隣人でいてくれる存在なのに。
風呂上りのすっきりさっぱり!な僕とは対照的に、なぜかぐったりと死んだ魚のような虚な目をしているエルネストにふらふらと手を引かれて、自室へと戻った。
少し手が熱い。
僕の長湯で湯当たりをさせてしまったのだろうか?
「じゃあ、寝るぞ……おやすみ」
「おやすみなさい」
エルネストは僕がベッドに寝転がると毛布をかけてくれた。
そして部屋の入り口にある照明のスイッチを落とし、シャンデリアからランタン状の小さな魔石光へと切り替え、自分のベッドへと向かっていった。
やっぱり優しい。
面倒見の良い子だ。
……ある日いきなり、父様に母様、セグシュ兄様という優しい兄という家族ができて、下にはやんちゃ盛りの弟妹まで出来てしまう気分とはどんなものなのだろうか?
僕もその弟に含まれているのだけど。
これからが、エルネストにとって充実した、楽しい毎日になりますようにと願わずにはいられない。
僕も、里を単身……何も持たずに追い出された時はとても悲しかったけど、シシリーとルークと出会い……そして、魔導学園入学後はもちろん自分も努力はしたし、小さな嫌がらせ等はあったけど、それでも本当に幸せだったから。
******
どうしよう…明日の勉強会が楽しみすぎて眠れない。
寝なければと思うほどに眠れない。
体力的にも……子供は無限の体力と言われてるとおり、全く疲れを感じていない。
エルネストの机の上に文字通り山と積み上げられている、ルークからの宿題と思われている物も気になるのだけど……エルネストはベッドに潜り込むと同時にすやすやと、とても気持ちの良さそうな寝息を立てていた。
完全に熟睡のようだ。
何度も寝返りを打ったり、寝る姿勢を変えてみたりもしたのだが、全く眠くならない。
どうしたものかと布団の中でもがいていると、隣の部屋のドアがかちゃりと開閉する音が耳に届く。
小さく小さく、音が広がらないように細心の注意を払って、ドアのノブを微妙に押さえながらの開閉音だった。
不思議に思い、僕もベッドを抜け出し、そーっとドアを開けると隙間から周囲を見渡す。
……白い小さな布のような物が、ふわふわと暗がりへと移動していく。
セシリアの部屋のさらに奥にある、少し細くなっている廊下へと、吸い込まれるように消えていった。
「……オバケ?古い建物だしなぁ…古物や遺物も大量に飾ってあったしなぁ…いくつかは呪われてても……あ、いやいやいや…オバケは足音なんか立てないし、ドアを開けなくたって通れるよね?!」
あまりの恐ろしさに、思わず考えが声に出てしまった。
全身の毛が総毛立っているのが、はっきりと認識できる。
……昔、こういう状況になった時に、背後からすごい勢いで|シシリーに抱きつかれた記憶がある。
『5割増しで毛並みがふわふわっ!』
ぎゅーっと抱きしめられて、グリグリされて……突然の出来事と対峙していた恐怖のあまりに、思いっきり悲鳴を上げてしまった記憶だ。
うん、1人で良かった。
これでまたいきなり抱きつかれたら、同じ状況になりかねない。
背後に人の気配も感じなかった。
まぁ……まだ子供だし…もし叫んじゃっても、可愛いわねってことで許されると…思いたい。
そう思いつつ、白くふわふわと移動していく物体の正体を見極めるために、そっと部屋を出て、廊下を走りだす。
……実際はかなりへっぴり腰になりつつ、だが。