143 海中に潜むもの
身体に水圧がかかる。だけど先程よりは波が落ち着きを見せ始めたお陰か、思っていた程身動きが取れないと言う訳では無い。とはいえ未だに腰に何かが巻き付いているせいで海面に出る事は出来ない。
何か手は無いかと身体に巻き付いているものを確認する。水の中でよく見てみると身体に巻き付いているのは長く少し弾力のあるものだった。言ってしまえば触手的なもの。水中に引き摺り込む時はかなりの力だったけれど、今は既に水中に引き込んだ後だからなのか引き込む力は其程強くは無い。
とはいえ、強くなかろうと状況はよろしくない事には変わりない。此処が水中で有る限り、このまま捕まっているのは危険だろう。水上とは違ってフィールドエフェクトによる減少は無くなったが、今度は呼吸制限である。一部を除いて基本的にプレイヤーは長く水中に留まれない。取り込む空気が無いからである。実際に此の世界でそういう経験が無かった故にその先がどうなるのか知らないが、恐らく現実と同じだろう。
「(兎に角、抜け出さないと…!)」
引き込む力は弱まっているが締め付ける強さは変わってはいない。力尽くで抜け出すのは無理そう。攻撃をすれば締め付けが緩む可能性はある。だけど此処が水中である以上使える方法は限られている。防水性があっても此の状況で呪符が使えるとは思えないし、スキルにしても……火が出ないから。
「(…そうだ)」
幸いにも、巻き付かれているのは腰だから其れより上の手は自由に動く。
水中でもメニューウインドウは問題無く呼び出すことが出来、其処から装備欄を操作する。現在装備中の呪符『水脈の霊符』を一旦インベントリに移動させて、入れ替わるように別のアイテムを装備する。
其れによって手元に現れるは、以前に作成した包丁という名の短剣『柄長包丁』。其の包丁を逆手に持ち、腰に巻き付いているものに思い切り突き刺した。
「(…よし)」
予想通り、包丁を突き刺すと少しして巻き付いていたものは動き出し、締め付けが解けた。その隙を逃すまいと一気に抜け出した。そしてそのまま水面に出ようと泳ぎ出す。
しかし、其れを遮るように先程迄巻き付いていたものが先回りしてきた。逃がさないという事らしい。
「(厳しいけど仕方な……なっ!?)」
上がる隙を作るしかないと考え直し、敵の正体を知るために伸びている先に視線を向けようとして気付いた。海中には既に自分以外にもプレイヤーが居たのだ。しかし、そのプレイヤーの何割かが解放されているにも関わらずに動かなくなって、光となって消える者も居れば、消える迄時間がある者は水中に漂っていた。
―――だけど全てでは無い。
未だに動きのあるプレイヤーも存在しており、そのプレイヤーたちは揃ってその先の敵と対峙していた。そしてその対峙している敵はというと…
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レイドオクトパス / Lv 38
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以前に見たような巨大蛸だった。だけど此方もこの気象の影響なのか以前よりもレベルが上がっていて、謎の風格を纏っているように見えた。
戦っているプレイヤーは一人や二人ではなく、この水中で戦いに持ち込めているだけあってそれぞれが相当の実力を有している事が見て取れた。その証拠にこの不利な状況でもあの蛸のHPが半分迄削られている。ただ、チームと言う訳ではなく引き摺り込まれた人による即席のようで、水中だから口頭と言うのも難しく、連携はあまり取れてはいないようだった。
「(戦っている人数は全員で四人、レベルは分からないけどきっと私よりも上。交代で息継ぎはしてるみたいだけど偏りがある…)」
巨大蛸は見たところ、レベルは高いけれど対峙する相手だけに集中はしていない。それ故にさっきの私みたいに逃げるプレイヤーの妨害をしたり広範囲に対応していても、肝心の懐の隙が大きかった。意外と逃げる事よりも戦闘を主軸にした方が息継ぎのチャンスがあるのでは?ヒットアンドアウェイだっけ?
兎に角、少しでも戦闘を早める為に援護をしよう。
そうと決まれば、範囲に入れるために少し近付いてから〈エレメント・カーニバル〉を使用する。付与性質に関しては安定性が無いけれど火が封じられている状況では仕方が無い。其れに性質を抜きにしても攻撃力の増加が付いている分、ダメージ効率は早まる筈である。
水中だから範囲がどうなるのかと思いもしたけれど、範囲は問題無く広がった。自分を中心に球状に淡い輝きが広がり、その内でワッショイする小人がちゃっかり水中仕様になってワッショイしていた。流石に伝えていないが故に戦っているプレイヤーには驚かせる形になったけれど無事に強化が為された。
「(…あぶなっ)」
此方へと向かってきた攻撃を流れに身を任せてなんとか躱す。〈エレメント・カーニバル〉のエフェクトが騒がしかったのか、付与成立と同時に攻撃が飛んできた。とはいえ其れからは、攻撃が底上げされた事で脅威度が其方を優先したのか、此方へと飛んでくる攻撃の数も減ったように思えた。
「(今なら何とか…)」
脅威度合いの変化で遠距離への対応が少なくなった今なら海面に出ることが出来る筈。そう判断すると共に上昇する。判断は間違ってはいないようで、攻撃は他のプレイヤーや別方向を優先して、此方までは対応しきれてはいない。
「ぷはぁ…」
「あ、出てきました!」
「大丈夫?!さっき何か光ったように見えたけど?」
海面に上がると、先程の廃船の場所でAkariたちが待っていた。どうやら此方での戦闘は既に終わっているようで、皆、船の上から海の中を覗いていた。
「私は大丈夫だけど、下で死屍累々と言いますか、兎に角今すぐ戻るから!」
息継ぎと生存報告を済ませて、急いで海中へと戻る。
水中戦闘では出来る事が限られているけれど、人任せにするには少し心配である。水中へと潜り、戦闘場所まで泳いでいく。
戻ってきたが、少し離れただけなのに、戦闘状況はどちらかと言えば悪くなっていた。エネミーのHPは確実に削れているのだけど、先程から率先して攻撃を行っていたプレイヤーが捕まっていた。そのプレイヤーは戦闘の中心であった。それ故に他のプレイヤーよりも場を離れるような動きが少なかった。本来なら捕まっても抜け出す事も容易な程の実力者なのだろうけれど、そろそろ息が限界に近いのか動きが鈍い。
「(此れはまずい…!)」
なんとか解放しようと泳いで近付く。他のプレイヤーも数を減らしてはいけないと考えているようで、プレイヤーを助けようと向かう者も居れば、その間相手を引き付けようと動いてくれている者も居る。だけど巧くいかない。
「(追い付いても直ぐに逃げられる!)」
なにより水中での機動力の差が痛い。此方が何とか泳いで近付いても、エネミーは水中を進む必要は無く少し身体を動かすだけで距離を開けられる。このままでは先に限界が来てしまう。どうすれば良いか…
そんな時、水中に気泡が大量発生した。
水中の数カ所に柱のような気泡が出現した。その気泡が消えた時、エネミーは新たな攻撃を受けていた。
「(えっ!?)」
水中で思い切り武器で斬りつけたAkariとわんたんが捕まっていたプレイヤーを助けては離脱を促し、残りのメンバーもそれぞれエネミーを抑えようとしていた。先程の大量の気泡は上で居た仲間たちが乱入してきた事で生じたものだった。
その中でAkariが此方に近付いてきた。
「むふんふんんふふん」
「(何言ってるのか分からないんだけど)」
水中でまともに言葉を話せないけれど、多分事情は分かった的な事を言っているのだろう。碌な説明をしなかったけれど其れが逆に引き寄せてしまったのかも知れない。だけど今は其れが有り難い。
人数が増えた事で格段に動き易くはなった。先程離脱したプレイヤーも呼吸を整えて戻ってきた。他のプレイヤーも隙を見ては息継ぎに向かっている。此れなら…と周りを確認して追加のメンバーにも付与を唱えようとしてある事に気付いた。
「(…あれ?)」
上で待っていた仲間もこの水中戦に参戦した。その証拠に比較的身軽なAkariやわんたんの他にも水中戦に向いていなさそうなたんぽぽやるる。といった面々も来ている。だけど一人だけ、先輩の姿が見えない。
辺りを探していると、Akariが察したように手を挙げた。正確には海面を指差した。すると―――
バッシャーンという大きな水の音と一筋に伸びるように発生する気泡の柱。其処から抜け出して勢いのままにエネミーに接近する影。その影は正しく先輩だった。先輩の手には普段の刀とは違う武器があった。普段の何倍もの大きさのある白い大剣、其れを構えて一直線にエネミーの頭へと突き刺さった。
スキルを使っていたのか、その大剣の一撃が、三分の一迄削られていたエネミーのHPをクリティカルと共に残さず消し飛ばした―――。
【呟き】
戸締まり、置き忘れにはご注意下さい。