抹茶の献身
抹茶は今まで誰かのために水をくんだりなんかしたことなかった。
そして、その折角汲んだ有難い水をかけられても起きない人間なんて見たことがなかった。ただ今度は魘される言葉に寒いが混じっただけ。
何をどうやっても起きる気配が無い。悔しいが、本当に数年に一度の深い深い眠りのようだった。
眠り姫という物語を聞いたことがある。姫にしては随分、雄々しい姫だと抹茶は溜息をついて、狼が寝ている水浸しベッドの淵に座る。
(早く……早く起きて、テメェのそのトラウマ聞かせろよ。一言一句漏らさず聞いてやるから。オレ、耳いいんだから)
起きてからなら彼女は何かしら対処出来るだろうし、何かはけ口が必要ならばなってやっても構わない。高くつけるが。
だがしかし、夢の中で、それも起きないとなると、どうしようもない。
(深く眠っているっていうけれど、深く眠る場合は夢なんか見ない筈だ。だから、今は浅い眠りなんだろう。……なら、今が起こすチャンス? 水に反応出来たくらいだし)
狼が反応しそうなこと。……より恐怖に陥らせてみようか、と厭なことを思いつく抹茶。
耳元で兎が一匹、兎が二匹とどんどんその数を増やしていく。人々が眠りにつきたいためのおまじないのようだ。
だが、これは狼にとっては逆のようで、効果を発揮した。ばちりと開眼するなり、傍にあるナイフを手に、自分に恐怖を与えていた存在を無意識に切ろうとしていた。
そして相手が抵抗もせずに自分の顔近くに居るのが判るなり冷静になり、やはりナイフで刺そうとした。
そこで初めて避ける抹茶。離れて逃げる。
「ついに寝首かきにきたか」
「違うです。起こしてた」
狼はよっぽど腹立たしいのか、それとも寝起きだからか苛々としていて、抹茶を睨み付けて持っているナイフを、顔面めがけて投げつける。
くるっと横へ側転して、抹茶は避けて、鼻で笑う。
「恐怖心、見えなくなります?」
「……あ? 何が言いたい?」
「落ち着くです? ナイフを投げる、ろーくん、それで冷静?」
「は?」
「兎恐い。なら、抹茶、人になります」
そういって、抹茶は己の耳を三回撫でて、完全に人の姿と化した。
すると、無意識に、寒さの所為か、恐怖心からかは彼女には判らないが、震えていた事に気づき、震えが収まっていることにも気づく。
そして、悪夢に苛まれていたのだと漸く悟った。それを起こしてくれたのだろう、抹茶は。
狼は笑いたいけれど笑いを堪えて、凛々しい顔を歪める。
「馬鹿。普通、恐いって言ってる単語で起こすかよ」
「でも、起きたです。水、浴びる、起きないです」
そう言われてから自分のベッドが水浸しなのに気づき、この部屋の掃除担当者はとてつもなく苦労させられるのだろうと苦笑した。
もう攻撃する意志はないということを示すため、ナイフを全部、先ほど抹茶が居た場所へ投げ刺す。剣は、流石に譲れないので、隣に置いた。
「これでいいだろう? お前、僕の攻撃交わすなんて本当は強いんじゃないのか?」
「ナイフが遅いだけです」
この憎たらしい口を、ナイフを全部向こうへ投げてなかったら、裂けることが出来たのに。狼は早くも後悔した。そうだ、起こしてくれたとはいえ、抹茶はこういう奴だ。
抹茶はにやけているのだろうと思いながら、うんざりと視線を向けた。だが、抹茶は少し何かに苛立っているような顔をして、瞳を此方に向けていた。
……ぐらりとする感覚。それでいて、自分の体が自分の物ではなくなる感覚。気づいたのが遅く、魅了技にかかっていた。
狼は多少は免疫をつけてきたつもりだ。魅了技を使わない敵がいなかったわけではない。だがしかし、庵でも敵わなかった魅了技に、庵よりも免疫のない狼が勝てるわけがない。
ただ、自分が何をしているかは判り、行動は別の行動を取っていた。
まるで幽体離脱したような感覚だ。こういうのをそう言うのだろう、と狼は溜息をつきたかったが、体は人形のように大人しく抹茶の言葉を待っていた。
魅了技にかかると一つ発見出来たことがある。抹茶の獣人語が判るのだ。
「人間の言葉は巧く使えなくて苛々するから、こうさせてもらう。何もしねぇから、安心しろよ?」
(お前、やっぱり口が悪かったんだな)
「テメェ、何で暗殺者になったんだ? 兎殺すくらいで怯えるんならならなきゃいいのに」
「……僕は最初から暗殺者として生まれるべくして生まれた。師匠は自分の跡継ぎを作るために僕を産み育てた。暗殺者にならなければ殺される。やめたくてももうやめられない。名は知れてる。今更血は拭えない」
(馬鹿。言うな、僕)
狼は自分の頬を引っぱたきたかった。抹茶の頬も。何故そんなことを聞くのか理解できず、ただ過去を暴露された気分で、気持ちいい状況ではない。
抹茶はそんな狼に構うことなく質問を続ける。
「……辛かった?」
「別に。ただ、最初の殺しは誰でも恐い物だと思っている」
(黙れ。黙れ!!)
狼の目が抵抗を持ち始め、少し抹茶を睨み付けるような目つきになっている。
抹茶は、余程話したくないことだと知ると、ふぅんと面白いオモチャを見つけたような嬉しそうなにやけた顔をする。
「血の鎖から解き放たれたい?」
「解き放たれたら、何もやることがない。保護軍なんてうんざりだ」
「真雪は?」
「判らない。あれさえ居なければ……保護軍なんてなかったが、庵や千鶴とは今みたいに話せなかった」
「あれあれ、ろーくんってばお友達が欲しいの?」
(殺す!!!)
狼の手がゆるゆると剣の方向へ向かう。
それを楽しそうに見遣り、手が剣の方へ辿り着くと抹茶は魅了技を抵抗できる程度に解き、言葉だけを通じさせる。とはいえ、まだ技にかかっているのだから、動きは鈍い。
それでも狼は剣を掴むなり、すぐさま抹茶へ斬りかかる。




