野良との賭けの内容決め
「……で、庵はどうしている?」
「嗚呼、今度は魔物の言葉を勉強しだしています。野良と魔物の間で何か知らないうちに契約されたりできないように、と。彼女も野良を怪しんでましたね」
「怪しんで正解だが……魔物の言葉って、獣人語より難解だと聞いたぞ?」
正気か、という驚きの、それでも感心している眼差しの狼を見て、にこりと千鶴は微笑み誇らしげに庵について、話し始める。庵が認められている、もとから判っていたが改めてこう上司が口にすると自分のこと以上に嬉しいのだ、千鶴は。
「庵はね、御大将の御身の為に一日、否、半日で獣人語を会得したんですよ。だから、魔物の言葉も、きっとすぐに解読するでしょう」
「……あまり無理して根を詰めるな、と言ってくれ。それと……その、なんだ。……――すまない、と」
「御大将ぉー、言葉は正しく、ね? ここは、有難う、ですよ。抹茶、手当したら何処か行けよ」
不器用な上司だな、と千鶴はふと苦笑したがその言葉は心の中で止めておいた。
報告が終えたので千鶴は、手をひらりと振って身を引き返す。きっと庵の所へ向かうのだろう。自分の頼み事と、お礼の伝言を携えて。千鶴は庵が認められて嬉しいあまりに、抹茶の危険性を忘れていた。
狼は片手で頬を掻いた後、まだ自分の腕にしがみついて獣人語で説教している抹茶を見遣る。
「抹茶、頼むから、人語で喋ってくれ。僕には通じない」
引きはがすのを既に諦めの体勢に入っている狼。抹茶は狼が少し疲れていることに気づくと、救護室へ早く行こうと、腕を組んだまま引っ張る。
救護室には見知らぬ人間が居た。だが、その微かに香る血の臭いで判る。これが、言っていた野良という人物なのだろう。
とりあえず、愛想の笑みを抹茶は浮かべつつ、組んだ腕に力を込めた。
そこで、狼は、中の人物に気づく。
中の人物も、狼と抹茶に気づく。抹茶を見遣ったとき、瞳が僅かに光った気がした。
「兎がオオカミを捕まえてる」
「……この兎、兎じゃねぇよ」
「酷いです。抹茶、兎、獣人」
驚くような相手の目色を伺う。今のところ、仮面を被っている感じがする。自分と同種なのか。狼はこういう相手を惹き付けやすいようだ。
相手は仮面を被ったまま、にこりと頬笑んで……抹茶が腕にしがみついているのにも関わらず抱きつこうとした。その前に狼から無表情で蹴りを食らうが。
丁度金的を蹴られて、野良は悶絶する。
「何するの、コヨーテ。使いもんにならなくなったら、困るのコヨーテなんだよー?」
「もう二度と僕は使わねぇから、安心しろ」
「そうです、ろーくんに使う、抹茶です」
「エロ兎は黙れ」
ぎろりと抹茶を睨み付ける狼の様子を見て、野良はくすくすと笑った。その笑みには仮面が外されているのに、抹茶は気づいた。親密というわけではない関係を、この会話で見抜いたのだろう。
「何、そこの兎クンも片思い? お互い苦労するねぇ? このオオカミは手を出す前から噛みついてくるから痛い痛い」
「お前が構わなければいい話だ。お前ら、馬鹿だろ。他の女の所へ行けよ、そうすりゃ噛みつかねぇよ」
「だって、ろーくん、面白いです」
「ん、兎クンと同意見。それに、長年の片思い、そう簡単に棄てられないよ?」
「棄てろ。僕は、お前の所だけは絶対厭だ」
「抹茶」
「エロ兎は黙ってろ」
「まだ何も言うしてない!」
長年思い続けた人は、ちょっと余計な動物がくっついていて、厄介な相手の保護者をしているけれど、中身は変わっていないことに安心する野良は、にこにこと言葉を続ける。
「で、今回、賭けて欲しいの、コヨーテの全部なんだけど。コヨーテの旦那権利も、コヨーテの支配権利も。僕の目的は、僕が総大将になれるかどうか」
「どういうことだ」
狼はいかにもうざい、という顔つきで野良を見遣る。野良はその顔が、密かに好きだったりするので、益々にこにこと笑みを浮かべるだけ。
そして抹茶はそうしてにこにこと笑みを浮かべる野良が気に食わないで、睨み付けるだけ。
「今回、コヨーテが負けたら、僕が亭主になる権利、頂戴?」
「……だから、そういう寒気がする賭けはしないって言ってるだろ。前回ので懲りた」
昔自分を賭けたのだって冗談だったのに、実行したときの恐ろしさと言ったら。
しかも、凄く巧かったので、翻弄されっぱなしだった。今でもあの恐怖を忘れない。
狼は顔の筋肉を引きつらせて、野良を睨み付ける。
「お前は何を賭けるんだ?」
「僕の持ってる昔からのコヨーテ写真コレクション全部」
野良という男は、写真が好きで、昔から一緒に育ったのもあるが、自分の幼き頃の写真を持っている。そんなのをもたれていたら、身元が割れて本来の仕事に支障が出てくるかも知れないし、何より気持ちが悪い。
だから、その賭けの代償は、まぁ納得がいく。だが、少し足りない気がした。
「お前、野良っていう名前、棄てろ」
それはつまり、一から仕事をやれということで。殺し屋の名声を、最初から作り直せと言うことで。相変わらず手厳しいと心の底で野良は笑い、判った、と頷いた。
「僕は腕だ」
「えー。亭主権利がいいー」
「それ、抹茶です」
「抹茶、お前は別に賭ける必要ないだろ」
「でも、ろーくん、服従です、抹茶。逆、好き」
「服従させてぇってことか、この野郎」
「そもそも何で賭けるんだよ。それに、コヨーテって何?」
怒る狼を放って獣人語で野良に問いかけてみると、野良は口の端をつり上げた。
それから、野良は獣人語を口に乗せて、狼には判らない会話を繰り広げる。狼は二人の会話が判らないので、そろそろ獣人語を庵に習った方がいいのだろうか、とか考えてみる。
「コヨーテは、狼の本名。ワーミーコヨーテ・パプリカっていうんだよ。幼なじみが折角同じ職業についたんだから、何か勝負したいじゃん? っていう僕の言葉から、賭け事が始まったの」
「幼なじみって何?」
「昔からの友達。幼い頃からの友達だよ。だからね、小さな頃の写真だって持って居るんだよ」
「写真って……あれか、確か絵画みたいに紙が印刷されるっていう……」
「んー、まぁ、そんな感じ。高級品で僕なんかじゃ手出しは出来なかったんだけど、僕の家ってその写真を作る機械を作ってる家系だったから、安易に手に入ったもんさ」
「寄越せ。見せろ」
「見せて自慢するけど、あげない。僕のコレクションだもん。昔のコヨーテはそりゃ男みたいな服装だったけど、今みたいに顔はきつい感じじゃなかったから、そりゃもう可愛いよ」
「逆におめーが女みたいだったりしてな。今も少し女顔だし?」
抹茶がうすら笑ってそう言うと、少しだけ野良の顔に負の感情が過ぎった。それを見て、にやりとするのはまだ後ででよさそうだ。
「何を話して居るんだよ」
「ろーくん、のらくん、小さい頃、どんなです?」
「嗚呼、それはね、しょっちゅう近所の悪ガキに泣かされて、女みたいに可愛い顔してたよ」
にこりと花のようにとまではいかないが、僅かに楽しそうに頬笑む顔は、普段の狼とはギャップがあって、それを野良は見せたくなかった。
自分の昔の容姿のことを話すときの狼は、それはもう楽しそうで、そんな顔を見る度にお前のが可愛いよ畜生とか言いたくなる野良だが、それは自分のキャラではないし、面倒くさい。
抹茶は、その笑みを見て、ふぅんと頷くだけだった。まぁ、面白いことには面白いが、特別面白いってわけではない。いまいちな印象だったから、ただ頷くだけだった。
「どれくらい可愛いです?」
「それはもう、僕の知ってる子供の中じゃダントツだったね」
「その話はやめやめ! で、どうするの。亭主権利、賭ける?」
「僕が賭けるのは残りの腕だ。それでいいだろ? 殺し屋も廃業になる。僕にはマイナスばかりだ。義手だって金かかるし、使いこなすのに時間が掛かる」
「やーだー。廃業されたら、張り合い出来る奴居なくて、つまんないよー」
「……じゃあ賭けるものは無いぞ。嫁だけは絶対に厭だ!」
「えーだって、他に欲しいものは……そうだなぁー。コヨーテが大事そうに抱えている、あの女部隊長なんかは、どう……」




