抹茶の小さな嫉妬
「大丈夫ですか!? 御大将!」
城に入るなりその名を呼ぶので、部隊長の死体で千鶴の頭を殴ってやった狼。
「此処は、城内ですよ、千鶴様。御大将、って何ですか?」
表向きは立場は千鶴のが上なのだ。自分は傭兵みたいなもの、千鶴は正当な騎士。それに漸く気づいた千鶴は、あ、と頷いて、何でもない、と重々しく首を振り、呆然と此方を見ている兵士に空いてる部屋は無いかと問う。
「あ、それなら、いつもの狼様の間が……」
それは、王と暗殺の依頼に使う部屋のことだろう。そこならば、安心だ、と目線で千鶴に訴え、千鶴は人払いをしてくれと兵士に言ってから、四人はそこへ入る。
入るなり、千鶴は大丈夫ですか、と繰り返し問おうとしたので、また部隊長の死体を振り回し、千鶴を遠くへ飛ばしてやった。
「馬鹿者ッ、真雪が此方へ来ないよう手配しろ! 真雪が来る前に助けろッ! 城での立場を考えろ! 別の魔物に詳しい人物を連れてこい!」
「狼様、落ち着いて。まずは、彼の冥福を祈りましょう?」
そう言って、狼が乱暴に扱った部隊長の死体を庵は、悲しそうに見つめ、死者が天国へ行ける祈り文句を口にする。
狼と千鶴は部隊長に敬礼し黙祷、それから、椅子に座り込む。
狼は、深く深く溜息をついて、抹茶を睨む。抹茶も未だに此方を睨んでいる。
「抹茶、お前を仲間に入れるんじゃなかったよ」
「御大将……?」
「魔物が、僕らが動いていることに気づいた。相手が真雪だとは知っては居ないようだが、時間の問題だ」
「……抹茶が、知らせたのですか?」
狼の言葉に庵の視線が鋭くなり、抹茶を咎めるように見遣る。抹茶は、動物にしか見せないような、普段の城内での彼では考えられないほど凶悪的な笑みを浮かべた。
「知らせてないです」
「嗚呼、お前は知らせていない。だが、お前は動くと、魔物には有名だからすぐばれるんだよ」
「抹茶が魔物に有名ィ?」
千鶴が今にも剣で斬りつけそうな顔で振り返って抹茶を睨み――敵と認識したのだろう――、抹茶は今度は城内でのいつもの笑顔を振りまく。
「抹茶、何かする、してないです」
「餡蜜という魔物は、お前を怖がっていたが?」
「餡蜜ですって?!」
突如大声をあげたのは、魔法使いの庵。庵が知ってるほど有名なのだろう、餡蜜は。強さは、言わずともさっきの力で思い知った。
そして、その餡蜜が恐れるほどに、……否、他の魔王も恐れるほどに有名な獣人、抹茶。
目的は何だ、と問うてみる。
「この国の破滅か、人々の大量殺人か?」
「抹茶、そんなこと、考える、してない。……抹茶、ただ、遊びたかっただけ」
「……その口調も偽物なんじゃないのか?」
「この口調、本物。抹茶、人間言葉、複雑、多くて判らないです」
その言葉には嘘がないことは、すぐに判ったので信じた。
だが、他は疑わしい。
「抹茶、この舞台から降りて貰おう」
「……狼様、それは出来ません」
「……庵?」
「何でだよ、庵ッ! そんな危険な奴、今にも殺すべきだッ!」
訝しげで、尚かつ責めるような視線を向ける狼。そして、顔を真っ赤に激高する千鶴。
庵もこの兎を怪しく、そして恐ろしく見ているのは同じだったが、自分の予測を口にする。
「もう既に抹茶が有名なら、魔物に知れ渡っている。この国に滞在していると。そして、魔物は抹茶を恐れ、この国を攻撃しないが、様子を伺っている……そう、まだ攻撃は出来ないのです、『抹茶が居るから』」
庵の言いたいことをすぐに察する狼は、頭を抱えてぐしゃぐしゃに髪をかき乱す。
「……抹茶をこの国から逃がすと、この国が狙われる、か」
「それだけではありません。抹茶が、牽制となっているのです、魔物にとっては。餡蜜が恐れるほど」
「……へたに抜けると、此方が不利、か」
「謀ったな? 謀ったな、抹茶!」
千鶴は振り返り睨み付けているのに、狼は至っていつも通りの視線を、否それ以下の視線を向けてくるのが気に入らない抹茶は、少し口をへの字に結ぶ。
「謀るぐらいなら、別に構わないがな、動きに注目されるのは厄介なんだ、抹茶」
「でも、抹茶、仲間外れ、出来ないです?」
「……嗚呼ッ、くそ、本当にお前がむかつくよ……ん? 庵? 千鶴?」
二人の様子が変だ。名前を呼んでも反応しない。
抹茶の目を見てみると、何か二人に魔法のようなものをかけていた。言葉も発していない、恐らくは、目での魅了技だろう。
千鶴はともかく、庵にそれが効くなんて。庵は魔法使い、耐性があるはずだ。
二人は自分を椅子に両端から押さえつけて、狼が動けないようにする。
狼は抹茶を睨み付ける。
「何のつもりだ」
「真雪と仲良しです?」
抹茶の質問の意味が掴めなくて、狼ははぁ? と大きく声に出していた。顔はきっと、睨み付けながらも、片眉はつり上がっているだろう。
抹茶はそれを見ながら、無表情に、近寄ってきて、狼の真ん前に顔を突き出す。
「抹茶、ろーくん、嫌いじゃないです」
「僕ァ嫌いだ」
フンと鼻を鳴らして睨み付けてくる相手を、抹茶はくすくすと笑い、狼には判らない獣人語で話しかける。
「オレが人間相手に嫉妬するたぁ、思わんかった。だけど、おめーと真雪のやりとり見てたら、むかついたんだよ、ろーくん。どんどん、醜くなってきたのよん」
「? 何だ、人語で喋れ」
「真雪には笑いかけるのに、何でオレにゃ笑ってくれねぇの? 何でオレが恐れられてるって知っていたのに、餡蜜相手にオレに助けを求める行為はしなかったの?」
「だから、判らないってば。僕は暗殺関連の学しかない」
「判らなくていいんだよ、判ンなきゃこうして本音、言えねーんだから。なぁ? 馬鹿馬鹿しいよな? お気に入りのオモチャ取り上げられた気分さ」
「……抹茶、離せ。この二人の術を解け」
「ジャムって呼べよ」
「解け! この二人は大事な戦役だ!」
「ジャムって呼べ、このクソアマ!」
獣人語で怒鳴り、抹茶は狼の胸ぐらを掴む。それでも、揺るがない強い眼差しに、嗚呼居心地が良いと思うと同時に、泣かせたくもなるし、笑う顔が見たくもなる。
胸ぐらを掴んで、一つ判った。
首を絞められた痕がある。首輪のようだ、と抹茶は思った。
気にくわない抹茶は、狼の首元に顔を埋めて、甘えるように抱きつく。
何だか様子が違う。狼は眉を吊り上げたまま、訝しげに抹茶? と聞いてくる。
「甘えるなら、王女様のところに行けよ」
「……ろーくん、欲しい物があるです」
漸く人語を話す抹茶に、安堵して狼は溜息を。
「……王女様に頼めよ。僕は人殺ししか出来ない。元より守れってのが無理だ。だから、今日、ああして一人死んだ」
「……ろーくん、悪くない。真雪の所為」
「……でも、真雪に助けて貰った。嗚呼、くそ、予定外だ」
「……ろーくん、真雪、助けて貰う、厭です?」
「当たり前だろ。僕の存在がばれてしまった。後は、この軍の存在がばれないことを祈るばかりだ」
その解答だけで、少し心が軽くなる抹茶だが、まだむかつきが取れないので、ぎゅうと抱きしめる。そんなことに慣れてないので、狼はただどうすればいいのかと溜息をつくだけだった。
「お前の目的と欲しい物って何なんだ?」
「目的、今変わりました」
「何?」
獣人語で言ってやる。
「おめーを苦しめる真雪の死が目的。ろーくんが、欲しい物」
「……だからぁ、獣人語は判らん」
「判らなくていいです」
そう言って、抹茶は、庵と千鶴にかけた術を解く。途端に夢から覚めたようにはっとする彼ら。そして、千鶴は抹茶を必死に剥がす。庵は今何が? と、狼に状況説明を求める。
「御大将から離れろッ、この兎ー! 王女様だけでなく、御大将にまで手を出しやがってー! 今度は庵か!? 庵に手を出したら、ほんっとう殺すぞ!?」
「やだぁあ! ろーくんと一緒、いいですー!」
「……気に入られてしまったようですね、狼様」
「……参ったなァ」
大変な部下を持ち、狼はまたしても溜息をつくのだった。そして、溜息が癖になりつつあることに気づき、また溜息をつく。