理想のヒロイン(俺)
「ん? なんだ? これ」
学校から帰宅した俺の机に、一枚の紙があった。
「『あなたの理想を叶えます』? おいおい、誰のいたずらだこれ。鍵は……締めてたしな」
『あなたの理想を叶えます』
紙にはそう書かれていた。
そして、下には空白の欄がいくつもあり、『ここに理想を書いて下さい』と。
「理想ねぇ。ちょっと大雑把すぎるだろ」
理想なんて曖昧な物、捉え方によって人それぞれだろう。
理想の生活。
理想の家族。
理想の容姿。
理想の力。
理想の──ヒロイン。
何故かは分からないが、この時、俺は何をとち狂ったのか留守の間に置いてあった怪しすぎるこの紙に、理想のヒロイン像を書いたのだった。
まず、髪は黒。しかし所々白く染まった部分がある。髪型は、さらさらのロングで。
そして長寿は外せない。出来れば不老不死がいいが、それは求めすぎか? ……まあいい、これは理想なんだ。不老不死って書いちゃえ。
次は眼だ。片目は黒。片目は白のオッドアイ。
そして鼻はすらっとシャープに。
唇は──なんかめんどくなってきたな。顔は今のやつをクリアして超絶美少女っと。
そして、獣耳は絶対に外せない。もちろん尻尾もだ!
所謂獣人というやつだ。どの獣人かはもちろん狐。尻尾が九本の九尾だ。
性格は基本クール。だが、主人公に対してはデレる。
服装は着物以外認めない。色も黒と白の良い感じのやつだ。
そして、丈は太股が全部見えてしまいそうな程のミニ。
──こんな感じで、俺は謎の紙に理想のヒロイン像を書いていった。
──もし、この時に戻れるのなら、ぶん殴ってでも止めてやる。
「ふぅ~、こんなもんか。ってもう夜かよ、何時間書いてたんだ俺は」
書いてる内に熱くなっちまったみたいだな。
これじゃあ理想のヒロインって言うよりはただのオリキャラの設定じゃないか。
「ま、いっか。今日はなんか疲れたし、寝るか~」
俺はそのままベッドにダイブし目を閉じる。
途端に眠気が襲ってきて、すぐさま俺は深い眠りにつこうとした。
『これがあなたの理想……って枠からはみ出しすぎでしょ。うわ~、何これ痛った~。人様には見せられませんね~こんな黒歴史詰め込んでみましたみたいな紙』
なんかめっちゃ失礼な声が聞こえた気がしたが、眠気に抗えずに俺の意識は闇に沈んでいく。
『まあ、記念すべき100人目ですからね~。特別に全部叶えてあげますか。コホン』
『──あなたの理想、承りました。次に目を覚ます時は、理想の“姿”へと、あなたは変わっているでしょう』
その声をぼんやりと聞いたまま、俺の意識は、暗い闇へと沈んでいった。
『それにしても、女の子になりたいなんて、酔狂な人も居るんですね~』
なんだ、これ。頭が、体が、痛い……!!
「あっ……くぅ……! ぐぅぅぅ!!」
痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!
なんなんだよこれ! 俺は、一体どうなっ──
「ぁぁぁぁああああ!!!!!」
◇ ◇ ◇ ◇
「おい、起きろっ!」
なん、だよ……
まだ、痛みが残って──
「さっさと起きろやクソガキっ!」
「ぐぁ……!」
え? え? なんで?
何で俺は今、蹴られた?
「チッ、やっと起きやがったか。手間かけさせんじゃねえよ!」
「ぐっ……」
何が起きてるのか、さっぱり分からない。
ただ、今分かっているのは、俺は冷たい床に寝かされている事。
そして、先ほどから理不尽に暴力を振るわれている事だ。
「いた……い……」
「あぁ? 文句あんのかゴラァ!!」
ベチッ!
ほら、今みたいに、髪を掴まれてビンタされたり。
「亜人如きが人間様の言葉話すんじゃねえよ!」
ガン! ガン! ガン!
蹴られる度に壁に体をぶつける。さらにその衝撃も受けてるから、もうボロボロだ。
一体、なんで? なんで俺は、こんな理不尽な目に遭ってるんだ?
「おい、返事がねえぞコラァ!!」
視界は眩しくて見えないけど、先ほどから俺に暴力を振るっている声が、また怒鳴っている。
ああ、また殴られるのか……
「まあまあ、そのくらいにしておきましょう。そうしないと、彼女が死んでしまいます」
すると今度は別の声が聞こえてきた。声音は優しく、こちらを気遣っているように思える。
「チッ、まあ死なれても困るからな」
段々と目が光に慣れてきて、ようやく俺は自分の状況が把握出来るようになった。
まず、地べたに転がっている俺の前に立ち、ゴミを見る目で見下している筋骨隆々の男が一人。
その男の後ろで、表情だけは優しげな黒服の優男が一人。
どちらも金髪。外国人、なのか……?
「やあ、おはよう。気分はどうかな?」
優男が聞いてくる。
気分? 最悪に決まってんだろ。
いきなり蹴られて起こされ、そのまま延々と暴力を受けてんだぞ。
「ふざ、けるな……!」
優男を睨み、そう告げたその瞬間──
ベチン!
「てめぇ、いつ俺が人間様の言葉を喋っていいって言った?」
いきなり、暴力男にビンタされた。
「い、いみわかんね──」
ベチンッ!!
言葉を喋った俺へ、再度ビンタをする暴力男。
「おい、てめぇ自分の立場が分かってんのか?」
分かんねえよ……。なんでこんな事になってんのか、さっぱり分かんねえよ。
俺は、こんな奴らの恨みを買うような生き方はしてこなかった。
昨日は鍵もちゃんと締めて、普通に寝たんだ。
それがなんで、こんな事に……
俺は、喋るとまた殴られると思い、首を横に振る。
「てめえは奴隷だ。俺ら人間様に絶対服従の、薄汚い亜人の奴隷だ。分かったか?」
人間様? 亜人?
まて、俺だって人間だ。十数年も人間やってきてるから間違いは無い。
なのに、なんでコイツは俺の事を人間じゃないみたいに言うんだ……?
「彼女、まだよく分かっていないようですよ」
俺の表情を見たのか、優男が言い──
「チッ、亜人は頭も悪いみてえだなぁ?」
暴力男が、俺の頭に手を伸ばして──
「あっ……くっ!」
頭の上に付いている何かを引っ張った。
「い、いたいっ!」
思わず、喋ってしまった。
「何回言った分かんだゴラァ!」
俺はそのまま引きずられて、ぬるま湯に沈められた。
「ゴッ!? ~~! ~~~!!!」
息が、出来ない。
後ろから思いっきり抑えつけられて、水の中で身動きで出来ない。
酸素がどんどん減っていって、意識も薄くなってきた頃──
「ぶはぁ! はぁ、はぁ、はぁ……」
水中という地獄から解放され、体が酸素を求める。
その、水面──
「今日から、てめえをみっちり調教してやる」
──そこには、驚愕の表情でこちらを見る女の子がいた。
そして、その女の子の頭上に、狐のような耳が生えていた。
ガチャン
鉄の扉が開く音が聞こえると同時に、ワタシの体は反射的に眠りから目覚める。
「52番、飯だ」
人間様は家畜のワタシにご飯をくれます。
「出せ」
そして、日課である朝のビンタをします。
ビタン!
ビタン!
ビタン!
ビタン!!!!
「あ……ぁ……」
とても痛く。その痛みは、お……ワタシが、人間様の奴隷だという事を思いしらせてくれます。
「さっさと食え!」
ベチンッ!
今日の人間様は鞭を持っています。今も、それで背中を叩いて下さいました。
ぐちゃ、ぐちゃ、くちゃ
ドロドロの、よく分からないモノを食べます。手なんて使いません。ワタシは家畜で、ゴミにも劣る存在だから。
「ははっ。コイツ、────を美味しそうに食ってやがんぞ!! はははっ!!」
じゅる、じゅる、じゅる──
食べ終わると、いつも使っている水場に言って水を飲みます。
「おい、さっさとこっちに来い。“いつもの”やれよ」
次は、人間様にゴホウシさせて頂きます。
こんなワタシさせて頂けるなんて、とてもコウエイです。
「さっさと来いや! ノロマがっ!」
ビタン!!!
ああ、イタイ……
◇ ◇ ◇ ◇
ガチャン
「やあ、気分はどうかな?」
「随分と奴隷が板に付いてきたじゃねえか」
扉から、人間様のボスが来ました。
「うわぁっボス、すいません!」
「あ? それも仕事だろが。調教なら好きにしろや。──ああ、処女は奪うなよ? 初物はそれだけで価値があるんだからよ」
「は、ハイッ、承知してますっ!」
ワタシの頭を掴んでいた人間様が立ち上がってボスに頭を下げています。
ワタシもそれに習って、体全部を地面に擦りつけます。
ワタシは人間様の奴隷だから、当たり前。
「思考も大分仕上がってきましたね。これなら商品として売り出してもいいでしょう」
「お、そうか。コイツは結構時間掛かったな。そんで、コイツは幾らになる?」
人間様の言ってる事はよく分かりません。
でも、ワタシに何かしら言いたいなら叩いて下さるから、今はワタシに関係ない話をしてるんです。
「そうですねぇ……。年齢は恐らく10前後の魔狐族で処女。尾は1つ。品質は私たちが調教しているので折り紙つき。これらを踏まえると、最低1000──2000からでもいけますよ」
「良いじゃねえか。んじゃ、次のオークションに入れるか」
そしてずっと服従のポーズをしていたワタシの元に、ボスが来てくれました。
「よかったですね、あなたはそろそろここを出れますよ」
人間様が撫でてくれた! ボスが撫でてくれた!!
嬉しくて、嬉しくて、尻尾がぶんぶんと揺れます。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」
「──次に君に会うのは、オークションの時だ。そして、それが最後になるだろう」
嬉しい、嬉しい、嬉しい。
もっと、もっと、もっと撫でて!!!
◇ ◇ ◇ ◇
「──皆さん、此度は我らロキ・ギルド主催のオークションにご参加頂き、誠にありがとうございます」
上質な黒いスーツに身を包んだ青年が、優しい笑みを浮かべながらオークション開始前の口上を述べる。
「今回の商品は『エルフ』二体。『土猫族』一体。『月狼族』一体となっております」
その商品に客たちは心を躍らせ、今か今かとその時を待ちわびていた。
「エルフは姉妹愛の強い姉妹。土猫族は子を育てていた妻。月狼族は門番を任される程の強者です」
客たちはそれだけでヒートアップする。
ロキ・ギルドと言えば、奴隷調教に関してトップクラスの実力を持つ大御所なのだ。
「そしてもう一つ、サプライズとして商品を追加させて頂きます」
その言葉に、客たちは歓喜の声を上げる。
商品が増えるという事は、自分が商品を買える確率が上がるという事なのだ。
「その商品は、なんとあの希少種族、魔狐族の少女です!!!」
その時、天に届くかのような歓声が上がった。
──舞台裏──
「お姉ちゃん、わたし怖い……」
「大丈夫、私が、守ってあげるから……」
エルフの姉妹が、お互いの存在を確かめるように強く抱き合っていた。
彼女たちにとっては、あの人間も、同じ境遇の奴隷も、平等なく他人という枠にすぎなかった。
彼女らは、お互いの存在だけが唯一無二なのだ。故に、どんな理不尽な目に遭っても、姉が、妹が居れば耐えられる。
「はぁ……はぁ……はぁ、クゥゥン……」
程よく引き締まった体。
それは彼女の努力を垣間見せる。
戦闘種族月狼族。その、闘いに美しさを求める誇り高き種族の女は今、頬を赤く染め、時折切なそうに股を擦り合わせている。
どこからどう見ても、発情中の雌狼にしか見えなかった。
「…………」
土色の髪は短く切り揃えられている。
その豊満な胸と程よく付いた肉は、男の視線を嫌でも惹きつけるだろう。
しかし瞳は光を宿しておらず、ただ虚空を眺めるだけ。
髪と同色の猫耳と尻尾も力無く垂れ下がっていた。
ガチャ
「ハッハッハッハッ」
白が混じった黒髪。
年の頃は二桁になったか、なっていないか。
そんな幼い少女は色違いの瞳にまるで理性を宿しておらず、尻尾をゆらゆらと揺らしながら四足歩行で歩いてきた。
「……ぁ」
その少女を見て、土猫族の女は小さく声を漏らす。
「ぁぁ、ぁぁ」
ゆっくり、ゆっくりと。
まるで歩行が久しい患者ような足取りで、女は魔狐族の少女の元へ歩いてきた。
「?」
そして、壊れ物を扱うように、優しく、それでいて、強く抱きしめた。
「ごめんね……」
女は少女に、そう言うと抱きしめたまま静に涙を流した。
──彼女が見ているのは、ロキ・ギルドによって殺された娘の幻影か、散々痛めつけられて殺された夫の幻か。
それは、彼女しか知り得ない。
「おい、ついてこい」
頑強な扉が開くと、そこには筋骨隆々と評するしかない男が立っていて、絶対強者の風格と共に拒否権の無い命令をしてきたのだった。
「大変長らくお待たせ致しました! これより、ロキ・ギルド主催、亜人オークションの開催です!!」
おおおおぉぉぉぉ!!!!
本日は晴天なり。
まるでこれからのオークションを太陽が祝福しているかのように思える。
開催場所の野外会場は金持ちの貴族や商人。さらには奴隷たちを人目見ようとする野次馬たちでごった返していた。
「さあさあ本日最初の商品はこちら! エルフ族の姉妹です!!」
上質な黒スーツに身を包んだ青年は客の声に飲まないように自らも声を上げていく。
舞台裏から、筋骨隆々な男に連れられ、美しいエルフの姉妹が現れた。
それだけで客も、野次馬たちもヒートアップする。
何せ、姉妹は衣服を着ていないのだ。
今やその美しい体を隠す物は無く、衆人環視の元、裸体を太陽の元に晒していた。
「お姉ちゃん……」
「大丈夫よ……」
二人は手をつなぎ、お互いの存在を確かめる。
エルフは魔法に優れた種族だ。
さらに長寿で、生まれてくるのはみな美形という特性を持つ。
しかし、そんなエルフでもこの姉妹のように魔封じの腕輪をされてはただの非力な少女でしかない。
走って逃げようとも、大きな首輪から伸びる鎖は男の手に繋がれており、逃走など自殺行為に等しい。
「こちらのエルフはとても姉妹愛が強く、過酷な環境でもお互いが支え合って生きてきました」
青年は商品の詳細な情報を述べ、客はそれに聞き入っている。
「そんなこの姉妹。なんと今回は別売りとなっております!!」
別売り。
つまりは、姉と妹を別々に売るという事。
それを理解するのは、姉妹には容易かった。
「う、嘘、待って、妹とは離さないで! この子は最後の家族なの!」
「や、やだよ……お姉ちゃんと、離れ離れなんて嫌!!」
「さあさあ、この美しい姉妹愛を引き裂いてしまう非情な方はどなたかな? まずは姉、600ゴールドから!」
「650!」
「700!」
「1000だ!」
「1100!!」
「1500!」
「2000!!!」
「そこのお方! 姉を2000Gでお買い上げです!!」
こうして、姉は2000G。妹は2200Gで買われた。
◇ ◇ ◇ ◇
次に舞台に上げられたのは、月狼族の女だった。
平時はピンと張っている耳は垂れ下がり、尻尾はゆっくりと雄を誘うように静に揺れている。
商品はみな衣服を着ておらず、その美しいスタイルを惜しみなく客に晒していた。
「皆さんご存じの通りこの月狼族は、満月の夜に強力な発情状態になります。そして今日は満月の日! 平時なら強く己を律する月狼族も淫らに乱れてしまう!! さらにこの月狼族、なんと初物! 満月の月狼族は激しいと聞きますよ? この誇り高い戦士の初夜の相手となるのはどなただ!? まずは1000から!」
「1500!!」
「2200!」
「3000だ! 3000出す!!」
「4500!!!」
「そこのお方4500Gで月狼族をお買い上げです!!」
でっぷりと太った30後半の男が、月狼族の女を買った。
◇ ◇ ◇ ◇
次に鎖で引かれてきたのは、土猫族の女だ。
女は耳も尻尾も力無く垂れ下がっており、その瞳には何も写していない。
ただ、そのだらしなくどこまでも男を惹きつけるボディは、観客たちに感嘆の声を漏らさせるのには十分だった。
「こちらの土猫族、なんと一児の妻でございました。しかし、捕獲の際抵が激しく、運悪く夫と娘を目の前で殺されたという辛く悲しい過去を持っています。さあ、この憂いを帯びた未亡人は誰がお買い上げしますか!? まずは400から!」
「600!」
「800!」
「1500!!」
「2500!!」
「はい! そこのお方、2500Gで土猫族をお買い上げです!!」
◇ ◇ ◇ ◇
「さあ! これが最後の商品になります! 購入出来なかったお客様、これが最後のチャンスですよ!?」
会場のテンションは今や最高潮に達しており、最後の商品の登場を今か今かと待ちわびていた。
「最後の商品は飛び入り参加! なんとあの超希少種族、魔狐族です!」
ウォォォォォォォォ!!!!!
「この商品は調教拠点の近くに幸運にも倒れている所を捕獲、調教した近年の最高傑作と言えるでしょう!!!」
ウォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!
歓声と共に、最後の商品が姿を現した。
肩下まで伸ばした髪の色は白が混じった黒。それは尻尾も同様だった。
瞳は右が黒、左は白のオッドアイ。
10になるかならないかという年齢の幼い少女だった。
黒一色の耳は引っ切り無しに歓声のなる方へピコピコと動き、理性を宿していない瞳は少し怯えたような表情を作る。
四足歩行で野生動物のように歩く少女はそれが当たり前と言わんばかりに平然とし、人間様の命令を待つ。
「こちらの魔狐族は自身の魔力の量が増えれば増えるほど尾の本数も増えるという特殊な種族であり、魔法の才はエルフを軽々と超え、戦闘技術は数ある種族の中でもトップクラスと言われる超ハイスペック種族です!
その少女は今、悲しくも調教の結果理性を失ってしまった!! まるで獣同然の少女をそのまま飼うか、一からあなた色に染めるか! それはあなた様方次第!
もちろん初物、さあ、まずは──」
このままオークションが続けられれば、この魔狐族の少女はロキ・ギルドの歴史に残る程の高額で売れるであろう。
しかし、それを許さない者が居た。
「この国の地を踏む事は、もう無いと思っていたがな」
いつの間にか、壇上に、一人の女が立っていた。
ここにいる誰一人としてその女の存在を気付けず、気付いた時にはもう、手遅れだった。
「同胞、それもまだ10にもなっていない幼子を貴様らニンゲンの好きにはさせられんなぁ」
フッ──と。
咥えた煙管から煙りを吐き、魔狐族の女は薄く笑った。
その笑みは、女の持つ五つの尾も相まってか、まるで──悪地獄への招待状に思えた。
◇ ◇ ◇ ◇
「皆、突入準備はできましたか?」
「うん、大丈夫だよ、セイギ君」
「ああ、いつでも行けるぜ」
「……任せろ」
「早く行きましょ! 今この時にも、獣人たちは危機に瀕しているのよ!」
ロキ・ギルドによる亜人オークションが行われている野外会場の近くの宿屋にて。
「ああ、行こう。僕たちでロキ・ギルドを倒し、この腐りきった帝国を止める第一矢を撃つんだ」
メンバーは、五人。
仲間を急かす猫耳の少女。
鎧を纏った寡黙な大男。
どこか軽い雰囲気を纏った軽装のエルフ。
修道服のような法衣に身を包んだ蒼髪の少女。
そして、至って平凡な身なりの──日本人の少年。
彼らは、ここロイマール帝国の民ではない。
彼らは、隣国ラスタ王国出身の冒険者であった。
少々正義感が強く、異種族も多いこのチームは、間近で行われるロキ・ギルドの所業に耐えられず、今まさにこの時、愚かにもロキ・ギルドへと襲撃を仕掛けようとしている真っ最中であった。
「僕は“理想のヒーロー”になりたくて、この世界に来たんだ。
ヒーローは、困っている人がいたら手を差し伸べ、悪がいたら倒す。それがヒーローなんだ」
かくして、彼らは警備兵に怪しまれる事も無く、オークション会場へ進んでいった。
そして、漸く会場に着くかと思った頃──
ドォォォォン!!!!
会場から、大きな爆発音が鳴った。
「皆行くぞッ!」
セイギは愛用の剣を抜き、一足先に会場へと着く。
「なッ──」
そこには、死があった。
恐らく客だと思われる人々はみな鋭利な刃物で切りつけられたかのように一刀両断されるか、一文字の傷を負い絶命していた。
特に最前列付近の人々の傷は酷く、死んだ後も何度も何度も攻撃を受けた後──残骸がある。
そして壇上には、真っ赤っかな着物を着崩した五つ尾の獣人が、獣人の少女を抱いて佇んでいた。
「む?」
獣人が、セイギに気付く。
それとセイギの仲間が会場に到着したのはほぼ同時であった。
「逃げ──」
言うが早いか、獣人から、高密度の魔力が込められた不可視の魔法が放たれていた。
仲間たちはこの事にまだ気づいておらず、数秒前のセイギと同じように会場の惨状を見て呆けている。
セイギは表情を歪ませながら、剣を石で出来た地面に突き立てた。
「『我、理想を求める者』」
獣人がセイギから視線を外す。
それは、残り一秒も経たない内に魔法が直撃し、確実に殺せるという確信に基づいた行動だった。
「『神よ、理想に至る為、立ち塞がる障害を討ち滅ぼす力を与えたまえ』」
しかし──
例外という者は──
どこの次元にも存在しうるのだ。
「『この神技を持って、我は理想へと至らん──!!』」
ゴォォォォォォォォ!!!!!
突然、あり得ない程の魔力がセイギの体に宿った。
その魔力量は、セイギが仮に10人いても支払えない程の量。
獣人の放った魔法と魔力を纏ったセイギの衝突で、先ほどよりも大きい爆発が起こった。
「なんだと……?」
五つ尾の獣人が、その腕に白と黒と魔狐族を抱きながら振り返る。
その表情は困惑一色に染まっていた。
そして、爆発により巻き起こった煙りは鋭い斬撃により二つに割れた。
そこから現れたのは、全身に黄金の甲冑を身に纏い、真紅のマントを羽織った騎士──ヒーローだった。
「魔導ヒーロー・ジェイス、ここに見参」
声音は、明らかにセイギの物。
しかしジェイスと名乗った黄金の騎士から聞こえてくるのは、まるで歴戦の兵士を彷彿とさせる静かな闘志に燃える声だった。
「固有魔術か……。ちっ、名は覚えたぞ」
「待て!」
獣人の周囲が、まるで陽炎の如く揺らいでいく。
僅か数秒で獣人の元に辿り着いたジェイスの剣は、虚しくも獣人の残像を斬っただけだった。
「クソッ! なんなんだあいつは!!」
死体が転がるオークション会場に、セイギの怒号か響き渡る。
「セイギ、不味い。見張りと衛兵が近づいてきてる」
「くっ……なら、一旦撤退する」
セイギたちの目的、ロキ・ギルド襲撃は、謎の獣人の虐殺によって先取りされた形になる。
セイギはこれからの目的に、あの獣人の調査も加えたのだった。
──暖かい。
ワタシが感じたのは、優しい熱だった。
ふかふかのベッドに横になって、ワタシは誰かに抱きしめられてる。
「起きたか」
ぼんやりとした視界でなんとか声の主を見ると、そこには綺麗なお姉さんがいました。
お姉さんの頭にはワタシと同じような耳がある。
人間様じゃないから、ワタシに痛くしないのかな……?
「ここにはお前に危害を加える愚かなニンゲンは居ない。今日からここがお前の家だ」
お姉さんがワタシを抱きしめてくる。
「温かいご飯を作ってやろう。ここで待っているんだぞ?」
そう言って、お姉さんは部屋から出て行ってしまった。
◇ ◇ ◇ ◇
「名前はあるのか?」
お姉さんが作ってくれたスープを飲む。
(フルフル)
「それは不便だな。では私が付けてやろう」
(こくっ)
「……何故喋らない?」
「……ぁ、あぁぁあ……」
「上手く喋れないのか?」
(こくっ)
「そうか……」
お姉さんが作ってくれたスープは凄くおいしい。
ワタシは熱い物が苦手だから、この温度は丁度いい。
……あれ? なんでワタシ、熱い物が苦手なんだろう。
人間様はそんなの食べさせてくれなかったのに。
ワタシは、食べた事の無いものが嫌いなの?
ワタシは、だれ?
◇ ◇ ◇ ◇
「──ツバキ。これからのお前の名は、ツバキだ。いいな?」
「は……ぃ」
「私の事はクレハ姉さんと呼べ。これからよろしくな、ツバキ」
ワタシの名前は、ツバキ。
お姉さんは、クレハ。
ツバキの名前はツバキ。
クレハお姉さんの名前はクレハ。
「ツ、バキ……」
「ああ、ツバキだ。それがお前の名だ」
お姉さんがツバキの頭を撫でてくる。
ちょっとくすぐったいけど気持ちよくて、耳がピコピコする。
「ツバキ、ツバキ、ツバキ……」
「そうだ。偉いぞ~」
クレハお姉さんが抱きしめてくる。
ツバキは嬉しくて、尻尾がフルフルする。
「もっと……してください……」
ピコピコ、フルフル。
「ああ、もっと撫でてやる。だから、敬語なんて使うな。私とツバキはもう家族なんだ」
「かぞく……」
『ちょっと──、手伝ってくれない?』
『兄貴ー、この漫画貸してくれよ~』
「うぅぅ……あぁっ……!」
「どうしたツバキ! どこか痛いのか!?」
『──、彼女の一人でも紹介したらどうだ?』
『そうだよおにぃ~、そろそろ彼女作ったら?』
「ああっ……! ぐぅぅ……!!」
「ツバキ! ツバキ!!」
『この度は、大変気の毒に……』
『まだ犯人は特定出来ておらず……』
「あぁ、あぁぁぁぁああ!!!!!」
「おはよう、お寝坊さん」
「おはよう……クレハ」
私がクレハの家に来てから2カ月が経ったらしい。
クレハの家はどこかの山の中にあって、近くに人は居ない。
「湖で顔を洗っておいで」
「うん……」
クレハの家の前には大きな湖がある。
水がとても綺麗で、朝はいつもここで顔を洗ってる。
さっぱりしたら、尻尾の手入れをする。
尻尾は私の種族にとって大事な物だってクレハが言ってたし、なんだか私も手入れをしないといけないと思うから。
「はい、朝──お昼ご飯だ」
私とクレハは霊狐族という種族らしい。
幻みたいな種族で、同族はもう殆ど居ないそう。
「ツバキ、今日も魔法の訓練をするのか?」
「うん。付き合ってくれる?」
クレハは赤に近い茶の髪を腰まで伸ばしてる。
服はいつも真っ赤な着物を着てる。
でも、その着物の胸元は大きく開かれてて、クレハの巨乳が半分くらい見えてる。
頭の上には髪と同じ色の狐耳があって、五つの尻尾も同色だ。
私の尻尾は一つだけど、クレハの尻尾は五つ。
これは、霊狐族だけに現れる特性らしい。
なんでも、自分の魔力量が増えると尻尾も多くなるとか。
そう、魔力。
その言葉に、何故か私は酷く心を揺さ振られる。
魔法とモンスターは男のロマンって言葉を誰かが言っていた気がするからだ。
とりあえず今の目標は、魔法を使って魔力量を鍛え、尻尾を増やす事だ。
「ん? 私に何か付いてるか?」
「尻尾が沢山付いてる」
「ふふっ、ツバキも修行次第で何本かは増やせるさ。ただ──」
「?」
「九尾にはなるな。いや、ならせない」
「どうして?」
「……ツバキが悲しむからさ」
「分からない。どうして私が九尾になると私が悲しむの? 九になんの意味が──うっ……!」
『どの獣人かはもちろん狐。尻尾が九本の九尾だ』
「どうしたツバキ! また頭痛か!?」
「うん……もう大丈夫」
私には時偶、今みたいな頭痛が起こる。
頭痛の最中私は知らない誰かになってて、その人の人生の一コマを同じ視点から体験してる。
でもその内容はすぐに忘れてしまって、記憶に靄が掛かったみたいに思い出せなくなる。
(魔法……使わなきゃ。魔法は、男のロマンだから……)
今日も私は、限界まで魔法を使ってクレハに介護してもらう事になるだろう。
私ですらなんでこんな事を続けてるのか分からない。
痛いし、苦しいし、本当は私はお日様の下でクレハとお昼寝したい。
でも──
やらないといけないって思いが、私を突き動かすんだ。
「心外だなぁ。私の少女に対する感情はいたって清純な物だ。そこに穢れた想いは血液の一滴たりとも存在しない。
ただぁ? 偶にでいいから首筋から直に血を飲ませて頂ければ私は上も下も元気に──」
「死ね。社会不適合者が」
「おぉーーとそれはかなーーりパンチが効いてるねぇーー。だが安心したまえ白黒の可愛い可愛い霊狐くん。そして枯葉よ。
私は双方の同意が無ければけっっっっして事には及ばない紳士として有名なのだよ。ああ、お菓子食べる?」
「今すぐツバキの目の前から消え失せろロリコンがぁぁ!!!」
◇ ◇ ◇ ◇
「『水よ、我が指先に宿り、目の前の岩を濡らせ』!」
私の指先に小さいな水滴が現れ、次の瞬間湖の近くにある大きな岩にふわふわ~っと飛んでいった。
「ん……ん~~ん~~」
私は水滴が崩れないように集中して魔力を操る。
「いいぞ、昨日より安定しているな。魔力操作は慣れだ。続ければ必ず成果が出る。
──おお、尻尾がフリフリして可愛いな。触ってもいいか?」
「……クレハ、うるさい。──あっ」
ピチャッ
「…………」
「す、すまん、ツバキ。ああ! 今日はツバキの好きな物を作ってあげよう!」
「……クレハの作る物は全部好き」
「なっ──う、嬉しい事を言ってくれるじゃないか、可愛い奴め~」
「~~~! く、苦しい……」
今日もいつも通り魔法の訓練をしている。
魔法を使うのは好きだけど倒れるまでしたいとは思わない。
けど、何でかいつも限界まで訓練してる。本当はしたくないのに。
でも今は、クレハの胸元から抜け出したい。
そろそろ本当に苦しくなってきたからジタバタしてると──
「──シュタッ!
おやおやこれはこれは、BBAの元へ行く退屈な仕事かと思えば白黒の天使がいたとは!
これは神の思し召しかな?」
キッチリとした燕尾服にシルクハットを着て、黒い長杖を持った男の人が、空から降ってきた。
「おやおや、その眼は魔眼ですねぇ……おっと! 私としたことがまだ挨拶もしていなかった!!」
男の人は、ポカーンとする私たちの前で話始める。
「私はブラド! 魔王軍第二部隊の副隊長を勤めて──」
「消えろ!!」
「なっ! 貴様まだ私が話しているだろうが! そこの可愛いお嬢ちゃんに私が不審者ではない事を予め言っておかないとだな──」
「『風よ』!!」
クレハの放った魔法が、男の人を吹き飛ばした。
◇ ◇ ◇ ◇
今に至る。
男の人は吹き飛ばされたのに何故か後ろにいて、クレハも動揺せず話を続けている。
「はぁ……私はロリコンなどではないと何度言ったら分かるのだこの年増は」
「また言ったな異常性癖者が!! 私はまだ200だ!」
「なーーんど言ったら分かるのかね!
私の判断基準は年齢ではなく外見!! その精神がいかに歳を取っていようとも、体が小さいければドストライクなのだ!!!」
「尚更悪いと何度も言っている! いいからさっさと逝ね!」
男の子──ブラドさん? とクレハが言い争っている。
「クレハ、200歳なの……?」
「ぐはあぁぁ!!!」
現在、クレハの家の中のリビング。私たちは椅子に座っている。
クレハの家は木造の一階建ての家だ。
大きくないけど小さくなくて、二人で住むには丁度良い大きさ。
「それになんだねあの魔法訓練は! 私が視たところツバキたんの魔力量は三尾の霊狐にも匹敵するだろう!
それを何故あんなちまちまとした練習法で訓練させているのだ!
君は才能を潰したいのかね!!? 幼いという事は無限の成長力を持ってるという事なのだぞ!!」
「馬鹿は貴様だロリコンが!
ツバキは魔法を使うのが初めてなのだぞ! いきなり等身大の火球を出せと言ってツバキの身に何かあったらどうするのだ!」
「その為に君が居るのだろう!
魔王軍幹部『陽炎』の二つ名は、飾りだと言うのかね!?」
「“元”幹部で“元”陽炎だ大馬鹿者が!
今は霊山に住む一人の霊狐でツバキの親だ! 親たるもの万が一にもツバキの身に危険がある物は置いておけん。お前の事だロリコン!」
(ん~~。水、難しい……)
「君の横を見たまえ!
君が言ったから適性も無い水属性で健気に練習するツバキたんを! 可愛い!」
「黙々と挫けずに練習するツバキが可愛い事には同意するがそうではない!
一番危険性が無い水属性で練習させるのが普通なのだ!」
(かわ、いい……)
嬉しいような、嬉しくないような……何でだろう。
私は嬉しいはずなのに。
それに、魔王軍って何だろう。
「魔王って、なに?」
ピタリと、二人が口論をやめてこっちに振り向いた。
「魔王、か」
「ふむ……ツバキたんにはまだ早い。
それよりその着物可愛いなぁ似合っているよ。いいかいツバキたん、この年増のようにただ露出すればいいってのじゃないのだ」
私はクレハに渡された黒い着物を着ている。
髪も黒。耳も黒。尻尾も黒。目も黒。服も黒。
白い所もあるけど殆ど私は黒だ。