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第九十八話目~体を休めるホットココア~

 さて、肉パからすでに小一時間が経過した頃、ディシディアと良二は帰路に着いていた。すでに空は真っ暗になり、道は街灯の灯りで照らされている。

 その中を二人はゆっくりと歩いている。まだ余韻が抜けきっていないのだろう。二人とも至極幸せそうな顔をしており、足取りは軽い。ディシディアに至っては、時折ぴょんぴょんと楽しげにスキップをしていた。

 うどんはともかく、肉パに立ち寄ったのは単なる気まぐれだったが、行って損はなく、むしろ得しかなかった。あれほどの上物の肉は中々お目にかかれるものではない。

 食べた時の衝撃がまだ忘れられない。思い出すだけで涎が溢れてきて、意図せず舌なめずりしてしまう。

 が、問題が一つ。良二は暫し瞑目していたが、やがて静かに目を開けてそっと口を開く。


「夕飯、どうしましょうか?」


「……正直、あまり食べられそうにないな」


 ディシディアは素直な感想を漏らす。うどんの後に二品も食べてきたばかりなのだ。軽やかな心とは裏腹に、胃の方はパンパンで重苦しく感じる。

 それは良二も同じことだ。彼はポッコリと膨れた自分の腹を撫でさすりつつ、前方に見えてきたアパートを視界の端に入れた。


「とりあえず、帰ったらお風呂入りましょう。ディシディアさんから先にいいですよ」


「あぁ、ありがとう。もう今日は早めに寝ないかい?」


「そうですね。結構歩き疲れましたから、俺も早く寝たいです。ディシディアさんがお風呂に入っている間にお布団を敷いておきますよ」


「おぉ、気が利くね。ありがとう」


 二人は親しげに言葉を交わしながら階段を上り、良二はポケットから取り出した鍵を使ってドアを開ける。


『ただいま~』


 ほぼ同時に言い、靴を脱ぐ。ディシディアはパタパタと居間に走り寄り、部屋のタンスから着替えとバスタオルを持って風呂場へ直行――するかと思いきや、はたと立ち止まって、ニヤニヤしながら良二を見やる。


「せっかくだ。一緒に入らないかい?」


「ふざけてないで、早く入ってください」


「つれないね……私では不服かい?」


 ディシディアはわざとらしく頬を膨らませてくる。それは非常に可愛らしい仕草だが、良二は心を鬼にして首を振った。


「不服じゃありませんよ。ただ、その……なんか、申し訳ない気がするというか」


「? どうしてだい?」


「だ、だってディシディアさんは大人の女性じゃないですか。裸を見るのはその……悪い気がして」


 良二は赤面しながらぼそぼそと歯切れ悪く答える。そんな彼を見て、ディシディアはクスッと妖艶に笑った。


「君らしいね。律儀で、紳士だ……だが、私は別に、君になら裸を見られてもいいんだがね」


 彼女は意味深なウインクを残して、風呂場の方へと消えていく。良二はしばしポカンと口を開けて目をパチクリさせていたが……数拍おいて、顔を真っ赤にする。


「と、とりあえず布団を敷かなくちゃ!」


 無理やり思考を切り替え、布団を敷くのに精を出す。が、彼の顔は湯気が出らんばかりに真っ赤で、その額からは滝のような汗が流れていた。


 ――それからさらに一時間後。ディシディアと良二は布団の上に腰掛けていた。

 彼らの手には、小さなカップが握られている。そこにはなみなみとココアが注がれている。二人は「いただきます」と律儀にお辞儀をしてからそれを啜り、ほっと一息ついた。


「どうだい? 私もだいぶやるようになっただろう?」


 口の周りにココアの跡を残しながらもディシディアが自慢げに言う。このココアは良二が風呂に入っている間、彼女が作ったものだ。

 ココアの粉末をホットミルクで溶かすだけ。良二にとっては手慣れたものだが、ディシディアにとっては初の試みだった。

 彼女はこちらに来てそれなりに経つものの、まだまだ不慣れな部分は多い。特に料理などは基本外食や良二が作ってくれるのでほとんどしないのだ。

 無論たまにチャレンジしてはいるが、難易度が高いものは良二が監督役を務めなければならない。したがって、できるものはこういった簡素なものが中心となっていた。

 しかし、良二はニコニコと嬉しそうに微笑む。


「えぇ、とても美味しいですよ。温まります」


 風呂上りに飲むココアは何物にも勝る。ほんのりと甘く、少しほろ苦い。それが疲れた身体と胃袋に染みていって、一日の疲れがじんわりとほぐれていくようだ。

 何より、この温かさが心地よい。体の内から暖かくなっていって、ぐっすりと眠る準備が整えられる。

 良二はこくこくとココアを飲みつつ、寝間着に着替えたディシディアを見やる。やはり、どう見ても小学生にしか見えない。

 体も小柄で、腕などは簡単に折れてしまいそうなほどだ。女性らしい胸の膨らみもほとんどなく、パッと見て成人だと気づくことは難しい。


「? 私の顔に何かついているかな?」


「い、いえ、何でも」


 ジロッと見られ、思わず狼狽える良二。そんな彼を見て、ディシディアは意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「もしかして、一緒に入れなかったのを後悔しているのかい?」


「そんなこと……ッ! と、というより、ダメですよ。そんなことを言ったら」


「ふむ、そうなのかい? いや、しかし、この国には《裸の付き合い》という風習があるのだろう? 私と君はすでに家族のような存在だし、それならば見せても構わないと思っていたのだが……」


「いや、それ大きな誤解ですから……」


 ガックリとうなだれつつ、良二はその風習について説明する。

 と、ディシディアはか~っと顔を赤くした。


「す、すまない。そういうことだったのか……早とちりをした」


「まぁ、仕方ないですよ。言われたのが俺でよかったですけど」


 ココアを飲みつつ、そんなことを呟く。と、ディシディアは少しだけ目をとろんとさせて、彼を見つめた。


「だが、リョージ。君になら裸を見られていいのは本当だよ。君は信頼に足る男だし、何より……こんな幼子のような身体に興奮などしないだろう?


 皮肉ったように言いながら、ディシディアはココアをグイッと煽り、べ~っと舌を突き出してみせる。


「熱いものを一気飲みするものではないね。まぁ、私は一足先に歯磨きをしてくるよ」


 ディシディアはひらひらと手を振りながらその場を後にしていく。良二はその背を見送り、


「……異世界の人は裸を見られることに抵抗がないのかな?」


 などとぼやきつつ、ココアを一気に煽ってみせる。

 無論、彼もディシディアと同じく舌を火傷したのは言うまでもない。


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