第九十七話目~続・肉パ! 牛サーロインカツレツ九条ネギサンド~
最初の料理を食べてから十分。ディシディアたちは席に座ってのんびりとくつろいでいた。すでに人の多さはピークに達しており、遠くのステージではアイドルグループと思わしき男性たちが歌っている。
どうやらここでは何名ものアーティストたちが出場してパフォーマンスを見せてくれるらしい。テレビ中継なども行われており、かなりの知名度を誇っていることが伺える。
「ふぅむ……中々面白いね。来てよかった」
「そう言ってもらえると嬉しいですよ……って、別に俺の手柄じゃありませんけどね」
良二は肩を竦めつつ、先ほど買ってきたばかりの炭酸飲料をクイッと煽る。それによって口の中がサッパリとして、次の料理を食べる準備が整った。
良二はトントンとテーブルを叩き、ぐるりと辺りを見渡した。
「次は何を食べます? ディシディアさんの番ですよ?」
「わかっているよ。実を言うと、私もすでに決めていたんだ」
ちょいちょい、と手招きをする彼女につられて、良二も席を立ってとあるテントへと向かう。そこは――牛サーロインを売っているお店だ。
が、それの値段は千二百円。対して、ディシディアが持っているのは六百円。現金払いは不可なので、買えるわけがない。
良二はいぶかしげな視線を送ったが、ディシディアは意味ありげな笑みを浮かべて指を振った。
「チッチッチ……ほら、見てごらん」
「え?」
言われて彼が指さす看板を見て、得心がいったように頷く。
「カツサンドですか。いいですね」
そう。ここでは牛サーロインを挟んだカツサンドを売っているようだった。しかも値段はジャスト六百円。若干わかりにくく描かれていたが、ディシディアは目ざとく見つけていたのだろう。
「すまない。カツサンドを一つ頼む」
「はい! 『牛サーロインカツレツ京都九条ネギサンド』ですね! しばしお待ちください!」
魔女の衣装に身を包んだ売り子が可愛らしく頭を下げる。ディシディアはチケットを彼女に渡してから、ゆっくりと良二の方へと向き直る。
まだまだできるには時間がかかるようだ。その間、二人は話して暇をつぶすことにする。
「どんな味なんでしょうね?」
「わからないな……普通のカツサンドとも違うようだしね」
どうやらトーストに挟むわけではなく、ピタパンにはさんでくれるらしい。だが、ピタパン自体がわからないのか、ディシディアはキョトンとしている。
見かねてか、良二が解説を入れる。
「あれはピタパンって言う奴ですね。中東とかでメジャーな奴らしいですよ」
「なるほど。それにしても、君はよく知っているね」
「ハハ……まぁ、それほどでも」
良二はなぜかバツが悪そうに視線を逸らす。本当のことを言えるはずなどあるまい。
――ディシディアに喜んでもらうために色々な食材のことを調べている、など。
「? どうしたんだい、顔を赤くして。もしかして、風邪かい?」
「いやいや……あ、それよりもうできるみたいですよ」
良二はこれ以上追及されまいと、わざとらしく話題を逸らす。
見れば厨房ではピタパンのポケット状の空洞にたっぷりと九条ねぎを入れ、続けてカツを挟み、最後にソースをかけて紙袋に入れ、ディシディアに手渡してくれる。
「はい、どうぞ」
「おぉ、ありがとう。これも実においしそうだ」
ディシディアは良二の態度を不審に思っていたようだったが、食べ物が来たと途端その考えはどこかへと飛んでいってしまったらしい。彼女はふんふん、と鼻息を荒くしながらカツサンドを見やり、
「……じゃあ、いただきます」
律儀に一礼し、目いっぱい口を開けてかぶりつく。
まず感じたのは、特製ソースの甘さだ。おそらく、野菜や果物を多く使っているのだろう。濃厚なのに後味はスッキリとしていて、カツやピタパンとも喧嘩していない。
次は九条ネギのシャキシャキとした食感だ。挟む直前まで冷やしてあったのだろう。アツアツのピタパンやカツとの温度の対比が際立ち、全体的に食べやすい味わいへと仕上げられている。
だが、やはりここで主役となりうるのはカツだ。牛カツは完璧なレアに仕上げられており、赤身はあるのに中は冷たくない。
レアというとほぼ『生』だと思う人もいるかもしれないが、実はそれは大きな間違いだ。本当のレアとは、ちゃんと火が通った『生』のことを言う。
このカツに関してはちゃんとそれがなされている。噛めば肉汁が溢れてくるし、それはピタパンにしみ込んで旨みを倍増させる。
意外にも九条ネギとの相性もいい。カラッと揚げられた牛カツはともすれば重く感じるが、ねぎがそれを緩和させてくれる。
ピタパンにしたのにも理由があるのだろう。おそらくトーストだったら、ネギから出た水分やソースでパン自体がしなしなになっていたかもしれない。
だが、ピタパンならその心配はない。時折カリッとしたところもあって食感的にも満足がいく品だ。
「そら、リョージ。お食べ」
ディシディアは口の中に入っていたものを嚥下した後で、彼にカツサンドを差し出す。良二はそれを受け取り、ごくりと喉を鳴らした。
ディシディアのいい食べっぷりを見ていたら、ついつい涎が溢れてしまったのだ。それは別に良二だけのことではなく、周りの人々の視線も彼女に向いており、カツサンドの店に行く人もちらほらいる。
やはり、大仰なコマーシャルやつらつらと述べられる見事な食レポよりも影響力を持つのは食べている人の表情だ。
満面の笑みを浮かべて食べていた彼女を見ていれば、誰だってそれが食べたくなるだろう。
良二は一旦口の中をコーラで洗い流してから、ゆっくりとカツサンドを頬張る。
ディシディアのリアクションに違わず、完成度の高い品だ。
創意工夫が凝らされ、牛カツのよさを何倍にも引き上げている。
良二はもぐもぐと咀嚼しながらカツサンドを彼女の方に差し出し、チラリと腕時計を見やった。すでに時刻は午後の五時。そろそろ帰らなければ、明日に響いてしまうだろう。
名残惜しいが、良二は静かに席を立ち駅の方を手で示す。
「そろそろ行きましょうか」
「そうだね。これは持ちやすいから、歩きながら食べるとしよう」
ディシディアはぴょこっと椅子を飛び越えつつ、もしゃもしゃとカツサンドを食らう。
頬いっぱいにカツサンドを頬張っている彼女の姿はまるでハムスターだ。普段の凛々しい表情からは考えられないその愛くるしい姿に胸をほっこりとさせながら、彼女の手を引いて駅へと向かっていく。
無論、その間もディシディアは嬉しそうに表情を緩めたまま。
この後、カツサンドが爆発的に売れたのは言うまでもないことだった。