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第九十四話目~ホットケーキと朝の騒動~

 朝の日差しが差し込むころ、ディシディアはまだ布団にくるまってすやすやと心地よい寝息を立てていた。

 普段は少しだけ大人びた様相を醸す彼女だが、寝ている姿はただの子ども。その横顔はひどく幸せそうだ。

 が、ふと彼女の鼻がひくひくと動き、長いまつげがピクリと揺れ、


「……んぅ」


 そのピンク色をした小さな唇が動き、悩ましげな声が漏れる。彼女はしばらくもぞもぞと布団の中で身動きしていたが、やがてピタリと制止。

 一拍置いて、閉ざされた瞼がゆっくりと開かれ、エメラルド色の瞳が顔を覗かせた。


「……ふぁ~……今は何時だ?」


 可愛らしい欠伸をしながら時計を確認するディシディア。現時刻は午前七時。起きるにはちょうどいい頃合いだ。


「おはよう、リョージ……?」


 と、隣にいるであろう良二に声をかけるが、そこに彼の姿はない。

 もしやと思って台所を見ると、エプロンを身に着けた彼が立っていた。


「あ、ディシディアさん。おはようございます」


 彼は爽やかな笑顔を寄越してくれる。それだけで、幾分か眠気が吹き飛んだ。


「やぁ、おはよう。今日の朝食は何だい?」


「ホットケーキですよ。もうすぐできますから、布団片付けたら卓袱台出してもらっていいですか?」


「もちろん。ところで、ホットケーキとは何だい?」


「あれ? 食べたことなかったですっけ?」


 返されるのは確かな首肯。良二は一瞬戸惑ったように見えたがすぐにいつもの調子に戻り、フライパンを巧みに操りながら告げる。


「まぁ、見ればわかりますよ。楽しみにしておいてください」


 彼がこういう時は大抵自信があるものだ。ディシディアはこれまでの経験からそう判断し、なすべきことをやる。

 布団を畳んで部屋の端に寄せ、いそいそと卓袱台を持ってきて部屋の中央に設置。それから台所にあった布巾を取りに行き、ついでにコップを二つ持っていく。

 彼女もだいぶ慣れてきたものだ。最初はどこに何が入っているのかすらわかっていなかったが、今は食器のみならず調味料や各種保存食がどこに入っているかも頭に入っている。


「あ、牛乳を出してもらっていいですか?」


「あぁ。にしても、実にいい香りだね……」


 ディシディアは良二のところに歩み寄りつつ、ほんのりと頬を染めながらフライパンを見やった。そこではまぁるい何かが焼かれており、仄かに甘く匂いが漂ってきていた。

 バターも使われているのだろう。バター特有の食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐり、ディシディアは腹を撫でさすった。


「待ちきれないよ……もうできるんだよね?」


「えぇ。ほら……っと」


 良二は器用にフライ返しを使ってホットケーキを皿の上に乗せる。それを見て、ディシディアはパァッと顔を輝かせた。

 皿の上に乗っているのは分厚く丸い何かだ。それから放たれる甘い香りは殺人的で、思わず意識が飛びそうになってしまう。

 良二は物珍しそうに目を輝かせている彼女を尻目にその上にあらかじめカットしておいたバターを乗せる。そうして、満足げにエプロンを解いてからそれを持って居間へと向かい、ディシディアもその後を追う。もちろん、ミルクを持って。


「俺はスプーンとか持ってきますから、待っててください」


「あぁ」


 返事をしつつ、ミルクを互いのコップに入れる。これまでの経験上、甘いものとミルクの相性は完璧。冷たい牛乳を煽ることでさらに甘味が際立つのはよく知ることだ。

 などと彼女が考えているうちに良二は食器類を持ってきて席に腰掛ける。と、そこでディシディアは彼が持ってきた品々を見てキョトンと首を傾げた。


「蜂蜜に……ジャム?」


「えぇ。かけると美味しいですから。じゃあ、冷めないうちに頂きましょう」


 彼女は「それもそうだ」と同意を示し、そっと手を合わせる。


「いただきます」


 まずはフォークとナイフを手に取り、眼前の物体を見下ろす。ここまでいい匂いを放っているものがまずいわけがあるまい。彼女は静かにフォークをそれに突き刺す。

 と、微かな弾力が返ってきて「お」と目を見開く。まるでクッションのような感触だ。

 が、彼女は負けじと力を入れ、フォークをぶすりと突き刺し、ナイフを使って一口大に切って口に運んだ。


「……美味い」


 意図せず、そんな言葉が漏れる。

 ふわふわのホットケーキはほんのりと甘く、何もつけなくてもイケる。噛むたびに卵とバターの風味が口の中を満たし、そこに牛乳を流し込めば多幸感が訪れる。

 こんがりと焼かれたホットケーキと冷たい牛乳の相性は思っていた以上にいい。

 あっという間にミルクを空にしてしまったディシディアに苦笑しつつ、良二はほっと胸を撫で下ろした。


「気に入ってもらえて何よりです。じゃあ、次はこうするともっと美味しいですよ」


「おぉ、結構かけるのだな……」


 良二はまずバターをホットケーキ全体に馴染ませてから蜂蜜を手に取り、ぐるりと秘と回し。多少少な目にしたつもりだったが、ディシディアからしたらそう見えたらしい。

 良二はドキリとして、慌てて手を引いた。


「す、すいません。こ、交換しますか?」


 幸いにも、彼はまだ自分のものに手をつけていない。交換するなら今のうちだろう。

 が、ディシディアはフルフルと首を振って自分の皿を引き寄せた。


「いや、いい。こうするのが美味しいんだろう? なら、試してみるよ」


「わかりました。じゃあ、まずはそのまま食べてください。で、味に飽きてきたらジャムをどうぞ」


「うん。ありがとう」


 彼に礼を言い、再びホットケーキを一口大に切る。先ほどと違う点としては、やはり蜂蜜が大量に用いられている点だ。持ち上げるとキラキラ輝く蜂蜜が滴り、その様はある種幻想的。

 思わずゴクリ、と生唾を飲みつつもディシディアはそれを頬張った。

 そして――ふにゃぁっと表情を綻ばせる。


「おぉ……素晴らしい」


 そのまま食べた時も十分に美味かったが、こちらは段違いだ。

 蜂蜜によって味の次元がグンッと押し上げられており、かつバターともよく合う。チョコなどと違って甘すぎるということはなく、あくまでも自然な甘みだ。

 また、蜂蜜とミルクの相性は言わずもがな。いや、むしろホットケーキにかけることでさらにより良いものになっていると言っても過言ではない。

 しかも、あれだけかけたというのに生地のふわふわ感は阻害していない。しかし、生地を噛み締めると蜂蜜がじゅわっと染み出てきて口の中を満たしていく。

 何とも不思議な組み合わせに、ディシディアの頬も自然と緩む。


「さて、次は……イチゴジャムをもらおうか」


 備え付けのスプーンを使ってホットケーキの上にポトリと落とす。深い赤色をしたイチゴジャムは朝の日差しを受けてキラキラと輝いており、さながらルビーのようだ。


「さて、こちらはどんな味なのかな……?」


 こわごわホットケーキを口に入れるディシディア。だが、すぐにその目は見開かれることになる。


「美味すぎる……ッ!」


 正直、ジャムを加えるのは蛇足だと思っていた。

 だが、それは大きな間違いだったのだ。

 所詮、蜂蜜とホットケーキはどちらも甘いもの。多少の違いはあれど、味の変化は乏しい。

 だが、イチゴジャムが加わったことによって味がより引き締まったものになった。仄かな酸味が口の中に広がり、蜂蜜の甘さとうまく混じり合う。

 ジャムに入っている果肉のプチプチとした食感も心地よく、先ほどとは一転したホットケーキの一面を垣間見せてくれる。

 どうやら、これもディシディアの好物にランクインしたらしい。彼女はニコニコと笑いながらホットケーキを頬張っている。


「そんなに慌てなくても、ホットケーキは逃げませんよ?」


 当の良二は落ち着いた様子でホットケーキを切り分けて上品に食べていた。

 が、ディシディアはジト目で彼を睨み、ちょいちょいと時計を指さす。


「君の方こそ、少し急いだ方がいいんじゃないかい?」


 言われて時計を見やり――


「……あ」


 良二は放心したように呟いた。

 今の時刻は七時四十分。身支度をして学校に行くことを考えれば、かなりギリギリの時間だ。


「し、しまった!」


 少しだけオシャレな朝食にしよう、と思ったのが裏目に出たらしい。良二は慌ただしくホットケーキを頬張っていく。その様を見て、ディシディアはふふん、と得意げに鼻を鳴らした。


「おやおや、リョージ。そんなに慌てなくてもホットケーキは逃げないよ?」


「か、勘弁してくださいよ……」


 困り顔の彼を見て、ディシディアはクスクスと笑い彼の口元についていたジャムをティッシュで拭い、ニコッと優しく微笑む。


「落ち着いてお食べ。喉にでも詰まったら大変だからね」


「それは……そうですけど」


「まぁ、最悪私の魔法でひとっ飛びさ。いいだろう?」


「いや、ダメですよ!? 学校の誰かにばれたらどうするんですか!?」


 彼のツッコミを受け、ディシディアはコロコロと笑う。

 無論この後――彼が遅刻したのは言うまでもない。


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