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第九十三話目~油そばと煮干しそば~

 ちょうど昼時、秋の日差しが心地よく降り注ぐ頃、ディシディアたちはとあるラーメン店の前に並んでいた。店の脇には仰々しい花たちが飾られ、綺麗な看板や暖簾などがその店ができたばかりであることを物語っている。

 ディシディアはウキウキを全身で表現しながら、良二を見上げた。


「あぁ、早く食べたいよ。待ちきれない」


「俺もですよ……学校から帰ってきていきなりお出かけするって言うから何かと思ったらこのお店に来たかったんですね?」


「あぁ。ちょっと買い物に出かけた時に見かけてね。で、調べてみたら新しく開店したらしいんだ。まぁ、君も食べてみたいだろう?」


「もちろん。腹ペコですからね」


 それに、新しい店を開拓するというのは何より楽しいものだ。確かに当たり外れはあるし、博打感覚と言えるかもしれない。だが、当たった時の爽快感と満足感は何物にも代えがたいものだ。

 ディシディアも良二も、すでにその魅力に憑りつかれている。二人はうずうずとしながら、前方を見てため息をついた。

 ここに並んでもう数十分経つが、まだまだ人は残っている。こぢんまりとした店ではそもそもの収容人数が少ないのだろう。まぁ、これに関しては仕方ない。

 ディシディアはふん、と鼻を鳴らして肩を竦める。


「もう少しの辛抱だ。それに……焦らされると期待が増すしね」


 パチッと可愛らしいウインクを寄越してくるディシディア。

 流石は百と九十歳。他の客たちの中には列が中々進まないことにいら立ちを隠せないものもいるというのに、彼女は余裕綽々といった感じだ。

 良二も腹が空いたせいか少し余裕をなくしかけていたが、その言葉を受けて深呼吸をして気持ちを整える。その様子を見たディシディアはニッと口元を歪めた。


「そうそう。楽に行こうじゃないか。気負っていてもいいことはないよ。私の経験上ね」


「はは……流石ですね」


 彼女は見た目こそ子どもだが、中身は大人だ。その上、百年以上生きてきたおかげで精神的にも成熟している。良二はそれを再確認させられていた。

 彼女はぼんやりと空を見上げながら、ほぅっと息を吐く。


「案外、私はこういった行列に並ぶのはあまり嫌いじゃないよ。あちらの世界では並ぶなんてことがなかったからね」


 その言葉に嘘はない。賢者時代もそうだったが、大賢者クラスになればすぐさま買いたいものが買える。彼女はそれだけ重宝される存在だったのだ。

 が、ディシディアはそれを疎んじていた。並ぶのは中々にきつく、いつ順番が来るのかやきもきしてしまうが、だからこその楽しみがあった。

 すぐに帰るのも嬉しいかもしれないが、たまにはそういった苦労を含めて何かを楽しんでみたかったのは否めない。

 その時のことをつい思い出し、ふと目線を下げた時、


「次の方、どうぞ~!」


 店から顔を出してきた妙齢の女性が声をかけてきて、ディシディアは顔をハッと上げる。良二はそんな彼女を見てクスクスと笑いながら一足先に店へと足を踏み入れ、腋に備え付けられている券売機に向きなおった。


「どれにします?」


 遅れてやってきたディシディアに問う。と、彼女は悩ましげに眉根を寄せながら首を捻った。


「むぅ……どれにすべきか。悩ましいな……」


 メニューは大きく分けて三つ。

『かけそば』・『煮干しそば』・『油そば』――これらの中で『醤油』か『塩』を選べるらしい。ただ、どのようなものが来るかはわからない。

 ディシディアは券売機をジィッと凝視していたが、良二がトントンと彼女の肩を叩く。


「どれで悩んでるんです?」


「むぅ……煮干しそばと油そばだな。実に難しい選択だ……」


「じゃあ、それを買いましょうか」


 言うが早いか、良二は財布から取り出した五千円札を券売機へと投入。そしてピピッとボタンを連打し、出てきた食券を取り出して彼女に向かってニコッと笑いかけた。


「二人で分けっこしましょう? これでいいでしょう?」


「私はいいが……君はよかったのかい?」


「実は、俺もその二つで悩んでたんでちょうどよかったですよ。あ、俺は水を取ってくるので先に席に行っててください」


「あぁ。ありがとう」


 ディシディアは彼から食券を受け取り、トコトコ……とカウンター席へと向かう。彼女はピョンッと椅子に飛び乗り、厨房にいるふくよかな男性に食券を差し出した。


「らっしゃい! 塩にしますか? 醤油にしますか?」


 その言葉を受け、ディシディアはくるりと良二の方へと体を向ける。


「リョージ。どっちにする?」


「俺は煮干しそばを醤油でお願いします!」


「じゃあ、それと、油そばを塩で頼む」


「あいよ! 油そばはお時間かかりますが、よろしいですか?」


「待つよ。あの行列が捌けるよりはすぐだろう?」


 ディシディアが窓の向こうに見える行列を指さすと、店主はゲラゲラと笑いながら調理へと戻っていった。その後、入れ替わるようにして良二が水を持ってやってくる。


「ありがとうございます。はい、どうぞ」


「助かるよ。ありがとう」


 正直、並びっぱなしで疲れていたこともあり、二人はぐびぐびと水を煽る。疲れ切った体と空きっ腹に染みわたるようだ。


「ふぅ……にしても、綺麗なお店ですね」


 良二が店内の様子を伺いながら言う。

 やはり新しくできたばかりということもあってか清潔感があるし、インテリアにも凝っている。おそらく店主が独立する前に勤めていた店の写真なども飾られているなど、どこかアットホームな感じもする店だ。


「リョージ。見たまえ。イカが沈んでいるよ」


「わっ、本当だ……すごいですね」


 二人の視線は小さな容器に向いている。それは酢で満たされており、さらにはイカが沈められている。中々見ないものだが、それがディシディアの琴線に触れたらしく、彼女は興奮したように鼻息を荒くしてそれを見つめていた。

 一方の良二が見ているのは、その横に備え付けられているどくろのマークが描かれた瓶だ。そこには地獄の業火を連想させるような真っ赤なソースが詰められている。

 どうやら、これは油そばに加えるハバネロソースのようだ。良二はニヤニヤとしながらディシディアを見て、ひょいと肩を竦めた。


「これも、試しますか?」


 答えはすぐ返ってこない。彼女は辛いものが大の苦手だが、苦手に挑戦することにためらいがないのもまた事実だ。

 彼女は葛藤しているのか、顔をしかめて腕組みをしている。

 が、そうこうしているうちに店長が丼を持ってきた。


「はいよ! 煮干しそばの醤油お待ち!」


 デン、と置かれた器を受け取り二人はその中を覗き込む。

 やや半透明な茶色いスープ。そこからは濃厚な煮干しの匂いが立ち上っている。たっぷり入れられた玉ねぎのみじん切りや分厚くカットされたチャーシューも魅力的だ。

 ずいぶん待たされたせいか、良二はもう我慢できなくなったらしく割り箸を取り、潤んだ瞳でディシディアを見やる。


「じゃあ、先に頂きますね?」


「あぁ、召し上がれ」


「えぇ……いただきます」


 まずは麺をゆっくり持ち上げる。細くしなやかなストレート麺は店内の照明に照らされてキラキラと輝いている。実に食欲をそそる光景だ。

 彼はそれにふぅふぅと息を吹きかけて食べようとするが……隣で「あ~ん」と口を開けているディシディアを見て体を強張らせる。


「ハッ!? い、いや、今のは違うんだ! その……とても美味しそうだったから、つい……」


 どうやら、無意識だったらしい。彼女は慌てて首を振り、顔を真っ赤にしながら俯く。が、良二は笑いながら彼女に箸を差し出した。


「よかったら、どうぞ」


「いや、しかし……」


「いいですから。ほら」


 良二は彼女の言葉を遮り、箸をズズイッと突き出す。ディシディアは葛藤しているようだったが、誘惑には勝てず麺を勢いよく啜る。

 刹那、彼女は心地よさ気に息を吐いた。

 煮干しの旨みがギュッと濃縮されたスープと細い麺が実によく合う。つるつると喉越しもよく、しかしコシがあって食べごたえは抜群。

 これまで何も食べておらず焦らされていたせいか、その破壊力は数倍にも増幅され、思わず昇天してしまうのではないかと思ったほどだ。

 当の良二はほっぺたに手を置いて目をとろんとさせている彼女を見て目尻を下げた。


(やっぱり、美味しそうに食べるなぁ……)


 彼女は何を食べる時も楽しそうに、嬉しそうに食べてくれる。それがわかるから、良二も彼女と食べるのが好きなのだ。

 それに、その嬉しそうな表情を見ていると「自分も食べたい!」という欲がむくむくと湧いてくる。

 良二は彼女を一瞥し、レンゲを取ってスープを口に含み、口の端を歪めた。

 やはりスープ単体で飲むと味わいも段違いに深くなる。爆発的な煮干しの風味は力強く、一瞬で目が覚めるようだ。

 みじん切りにされた玉ねぎはシャッキリとしていて甘く、それがスープの味をマイルドにしつつ、食感に変化を加えてくれる。玉ねぎ特有の鼻を抜けるような辛さはなく、新鮮なものを使っていることが伺えた。

 もちろん、チャーシューもいい出来だ。口に入れるとほろりと溶け、けれど肉の力強さを兼ね備えている。煮干しと豚――二つの存在がぶつかり合うことなく、さらに上品なものへと仕立て上げられていた。


「油そば、お待ち!」


「おぉ! 待ちかねたぞ!」


 良二がそれに舌鼓を打っている間に、ディシディアが頼んだ油そばもやってくる。彼女はすぐさま箸を取り、


「いただきます」


 これまでの苦労を噛み締めるように呟き、改めて器の中を覗き込む。

 油そばの名に恥じず、麺の表面は油でキラキラと輝いている。具材に関しては煮干しそばとほぼ同じだが、かいわれが入れられているのが大きな違いだ。

 彼女はその美しく盛り付けられた油そばに箸を突き入れ、ぐちゃぐちゃとかき混ぜる。そうすることで底に溜まっていた汁と麺が上手く絡み合い、味が馴染んでいく。

 彼女は油そばをよく撹拌してから、まずは良二の方に器を寄せた。


「先程の礼だ。食べたまえ」


「いいんですか?」


 良二の問いに、ディシディアは微笑を浮かべつつ首肯する。良二は彼女に微笑みかけ、油そばを啜った。


「――ッ!」


 口に広がるのは小麦の豊かな風味。スープがない分、具材たちのよさが数倍にもなって感じられる。

 煮干しそばが煮干しの力強さをメインにしていると考えれば、こちらは食材たちが持つ繊細な味わいを重視しているように思える。

 どちらも甲乙つけがたい味だ……ッ!


「これ、美味しいですよ、ディシディア……さん?」


 言葉の途中で、良二は首を傾げる。ディシディアがニコニコとしながら彼を見上げていたからだ。

 彼女は含み笑いをしつつ、


「ふふふ……いや、何。君はずいぶん美味しそうに食べるね」


「それ、ディシディアさんが言いますか?」


 二人は同時にぷっと吹き出し、改めて互いの品に向き合う。


「じゃあ、気持ちを入れ替えて……」


「いただきますか」


 二人は食べ終えるまで言葉を交わさない。だが、時折チラチラと互いの顔を見ては満足げに微笑んでいた。


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