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第九十話目~二人で分けよう肉屋のコロッケ~

 夕焼けに照らされた商店街の中を良二はてくてくと歩いていた。彼は大きな欠伸をしながらポリポリと頭を掻く。

 今日も今日とて学校で、少しばかり遅くなってしまった。まだ夏休み感覚が抜けず、やや体が怠い。授業もまだオリエンテーションを行っているため、一層退屈だった。

 唯一マシなのは家に帰るとディシディアがいるということ。男の一人暮らしというのは中々に楽しくもあるが、ふとした時に物寂しさを感じるものである。

 しかし、今はディシディアがいてくれる。色々と大変なこともあるが、退屈することはない。


「そういえば、もうすぐ三か月か……」


 月日が流れるのは思ったよりも早い。彼女との生活は密なもので、毎日があっという間に過ぎてしまった。


「……なんか、久々だな、この感覚」


 借金取りに追われていた時は毎日が異常に長く感じられた。家に帰るのも億劫で、日々怯えていたのは記憶に新しい。

 しかし、それを変えてくれたのは他でもない彼女だ。最初こそどんな厄介者かと思ったが心優しく自分を尊重してくれる彼女との生活は楽しいものだった。

 今では彼女に全幅の信頼を置いている……まぁ、たまに食べ過ぎる悪癖があるのにはやや困っているが。

 意図せず口元を緩ませながら、彼は商店街を歩いていく。すれ違う人々は笑い合い、商店街の店は活気に満ちている。実に心地よい空間だ。


「ねぇねぇ、お母さん! 今日のご飯なに?」


「ん? ハンバーグよ」


 ふと、前方からやってきていた親子の話が聞こえてきた。その微笑ましい光景に目を細めつつ、彼はシャツの胸元を握りしめ、静かに目を伏せる。

 ……かつて、自分にもあのような時代があった。

 家族と共になんてことない会話を繰り広げながら帰る。ともすれば平凡で退屈なものだと思っていたが、失って初めてそれは何よりも得難いものだと気付いた。


「……ダメだな」


 フルフル、と首を振ってネガティブな考えを頭の隅に押しやる。なぜだか、たまにこのような状態になってしまうことがある。おそらく、体が疲れているから思考もどうしてもそのような方に寄ってしまうのだろう。

 良二は胸の奥につかえていたもやもやを押し出すように深いため息をつき、ふと辺りを見回す。

 その時、視界の端に見えた肉屋を見て、彼はわずかに頷いた。その店先にはいくつもの惣菜が並べられており、実に芳しい匂いを放っている。

 腹が満たされれば気分も満たされる――誰の言葉だったかは忘れたが、良二はそれを支持していた。

 事実、医食同源という言葉もあるように食と医療には密接な関係がある。

 彼は一度立ち止まった財布の中身を確認してから肉屋へとふらふら歩み寄る。妙齢の男性店主は人当たりの良い笑みを浮かべながら惣菜たちを手で示した。


「へぇ……どれもおいしそうだな」


 どれもこれもかなりのクオリティであることが見てとれる。こんがりと揚げられたコロッケやメンチカツ、はたまた春巻きなど。やはり肉屋だけあって肉がメインの惣菜ばかりだ。

 だが、それでもかなりの種類がある。コロッケだけでも数種類はあるし、ついつい目移りしてしまう。

 良二はしばし悩ましげに唸っていたが、ややあってポンと手を打ちあわせる。


「……よし、じゃあ、これ下さい」


「あいよ」


 彼が頼んだのは一番シンプルなコロッケ。店主はニコニコと笑いながらそれを袋に詰め、良二に手渡してくれる。


「ありがとうございます」


 彼はお釣りを渡し、今一度コロッケを見やった。中々の大きさで厚みもそれなりにあり、ボリューム感はたっぷり。まだほんのりと温かく、十分期待できそうな品だ。


「それじゃ、いただきます」


 手を合わせ、大きく口を開きコロッケに――


「ごほんっ!」


「わっ!?」


 着こうとしたその時、わざとらしい咳払いが横から聞こえてきて良二は思わず飛び上がった。彼はおそるおそるそちらを見るなり、顔を強張らせる。


「ディ、ディシディアさん……」


 そこにいたのは割烹着を身に纏ったディシディア。彼女は流れる金糸のような髪を手で払いながら、ニッコリと微笑む。


「やぁ、リョージ。今帰りかい?」


「え、えぇ……ディシディアさんは、どうして?」


「いや、何。買い物さ」


 言いつつ、彼女は右手に掲げていた買い物袋を掲げてみせる。そこからは料理酒やネギなどが顔を出しており、見るからに重そうだ。

 彼女はトントンと右肩を手で叩きながら、チラリと良二が持っているコロッケを見やる。その時の彼女の視線は獲物を狩る獣のそれだった。

 反射的に良二は身構えてしまうが、その反応はあながち間違いではないだろう。ディシディアは冷ややかな声音で続ける。


「リョージ。私に買い食いを控えるように言っておきながら、自分だけ楽しむ気かい?」


「い、いや、それは……」


 思わずどもってしまう。確かに人に言っておいて自分だけ悠々と楽しむのはあんまりだろう。

 顔を青くする彼を見て、ディシディアはわざとらしくしなを作って目元を手で覆い、住んすんと鼻を鳴らす。端から見たらいい年した大学生が少女を虐めているように見えるだろう。

 自然に人目が集まっていくのを感じながら、ディシディアはわざとらしく通る声で告げる。


「あぁ、悲しいな。君がそんな奴だったとは、思いもしなかった」


「ち、違うんですって。ちょっと小腹が空いて……あ、よ、よかったら食べます?」


「私がそんなものにつられるとでも……三個で手を打とう」


 良二はやられた、と言わんばかりに額に手を置いた。当のディシディアはまだムスッとしていたが、やがてニパ~っと満足げな笑みを浮かべる。

 当初こそしてやられた、という風にしかめっ面をしていた彼だったが、その明るい笑顔を見ていると疲れも吹き飛ぶような気がしていつしか目尻を下げていた。

 良二はやれやれ、と首を振り、三本指を立てる。


「おじさん。コロッケ三つ、追加で」


「あいよ。待ってな」


 店主は二人を見渡しながら呟き、手早くコロッケを袋に詰めてくれる。良二はそれを受け取るなり、待ち遠しそうにしていたディシディアに手渡した。


「おぉ、ありがとう。では、いただきます」


 ディシディアは頷き、コロッケにかぶりついた。

 衣はカリカリで、中のジャガイモはホクホク。玉ねぎやひき肉も混ぜられており、味の重厚感が増している。

 流石肉屋と言うべきか、ひき肉は肉の旨みがギュッと濃縮されたものであり、さらにそれから溢れた肉汁はジャガイモにたっぷりと染みこんでいる。

 揚げたてではないが、むしろ時間を置いているからこそ味が熟成されている。かつ、衣などの食感は失われていない。

 また、ソースをつける必要は皆無。下味がしっかりとついており、むしろソースが邪魔に思えるほどだ。

 飾り気がなく素朴な味だが、それが空きっ腹に染みわたる。二人は同時にため息をつき、顔を見合わせた。


「あぁ……美味いな」


「ですね。これならいくらでも食べられそうです」


「まぁ、君はこれを一人で、食べようとしていたわけだが」


 ディシディアはジト目で良二を睨む。と、彼は悲しげに目を伏せしゅんと肩を縮ませる。


「……すいません。本当に、許されることじゃないですよね。人に言ったのに、自分だけ食べるなんて……」


 棘のある言い方をした自覚はあったが、まさかそこまで落ち込むと思っていなかったのか、ディシディアは慌てて弁解に移る。


「す、すまない。いや、そこまで責めるつもりじゃなかったんだ。その……」


 ディシディアは珍しく狼狽していた。先ほどまでと立場がまるで逆である。

 まぁ、泣きそうな男子大学生に同乗の視線を向ける輩は皆無だが。

 彼女はしばらく口ごもりながらも説得をしていた――が、


「……ふふ」


 不意に、良二の口から笑い声が漏れたような気がして、ディシディアは首を傾げる。だが、それは決して空耳などではない。


「ふふ……ハハハハ」


 良二は俯いていた顔を上げながらクスクスと楽しげに笑う。ディシディアはぽかんと口を開けていたが、すぐに理解したらしくむぅ~っと頬を膨らませ、


「ま、まさか謀ったのかい!?」


「はは……ごめんなさい。でも、ディシディアさんだって泣きまねしたでしょう? お返しです」


「意趣返しというわけか……君も中々やるね」


 ディシディアは不敵な笑みを彼に向ける。良二は少しだけドヤ顔になりながら彼女の掲げている買い物袋をかすめ取った。


「持ちますよ。重いでしょ?」


「あぁ、ありがとう。じゃあ、ご褒美だ」


 と言って彼女が差し出してくれたのは、残り二個のコロッケのうちの一つ。彼は一瞬目を剥いたが、すぐに納得がいったように頷いた。


「もしかして、このために三つ要求したんですか?」


「そうとも。美味しいものは一人で食べても美味しいが、誰かと食べるともっと美味しくなるからね。ほら、これでひとり二つずつだ。いいだろう?」


「……かないませんね、ディシディアさんには」


「年季が違うよ。私は君の大先輩の様なものなのだからね」


 彼女は薄い胸をえっへんと張りつつ、てくてくと歩いていく。良二も苦笑しながらその後を追い、横に並ぶ。

 そうして一息ついてから、彼女から受け取ったコロッケをぱくり。

 それは先ほどと同じものを買ったはずなのに、最初に食べたものよりもずっと美味しく感じられた。


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