第九話目~あずき八宝粽~
しばらく店で体を休めた後、二人はプラプラと中華街を散策していた。ピークは過ぎたのか、人の流れは緩やかになってきている。そのおかげでゆっくりと店を見学することができていた。
中国産の土産物などが揃った店や、占いの店などがある。その占いというのも五百円で承っているらしい。チラ、と良二は彼女の方を見やったが、ディシディアはフルフルと首を振った。
「占いはやらないよ。先ほど、くじを引いたばかりだからね。あちらを信じるさ」
「わかりました。それじゃあ、あちらのお土産屋さんに寄ってみてもいいですか?」
彼が指差す先には、パワーストーンなどが売っている店があった。中々に繁盛しており、店は人で溢れている。その様を見て、ディシディアは興味深そうに店内を覗き込んだ。
色とりどりの石がずらりと店内に並べられている。大きさや形などで種類が分かれており、それぞれに違った効用があるようだ。さらに、店員に頼めばブレスレットなども作成してくれるらしい。
それに関心を持ったのか、ディシディアはスッと店に足を踏み入れ、近くにあった藍色の石をひょいっと手に取った。蛍光灯の光に照らされ、キラキラと輝いている。どうやら、これは人工の石らしい。だが、それでも天然に負けないほど綺麗な色合いをしていた。
「へぇ……ブルーゴールドストーンって言うらしいですね。これを持っているとゆっくりとした時間を過ごせるかもしれない……らしいですよ」
「ほぅ。面白いね。なら、これを一つ……いや、二つ頂こう」
彼女はすぐにレジに向かって石と代金を同時に渡す。そうして店員からレシートを受け取るなり、良二に石をひょいっと渡した。彼はやや戸惑ったようにしながらもそれを受け取る。
「いいんですか?」
「あぁ。まぁ、私からのささやかなプレゼントだよ。財布の中にでも入れておけば、多少の効能はあるだろうさ」
そう告げるディシディアの横顔には笑みが張りついていた。良二は彼女に小さく頭を下げ、その後を追う。彼女は店を出て、今度は向かいにあった洋服店へと足を踏み入れる。そこにはチャイナ服や道士服などが飾られている。
値段も三千円前後と手軽で、触り心地もかなりいい。スリットはかなり深めだが、胸元はキッチリとしている。初めて見る中国の伝統衣装は彼女の興味を引くには十分だったようで、ディシディアは興奮気味にそれらを見やっていた。
すると、奥の方からチャイナ服を着た女性が歩み寄ってくる。それを見てディシディアは慌ててさっと手を引っ込めたが、その女性はニコニコと温かみのある笑みを浮かべたままだった。
「よかったら、着てみませんか? 撮影サービス、やってますよ」
彼女が手で示す先にはその言葉を裏付けるような張り紙。確かにこの店では試着サービスを行っているらしい。一人につき二千円。まぁ、悪くない値段だ。
ディシディアはチラリと後ろを振り返って良二を見つめる。彼はひらひらと手を振り、肯定の意を示した。彼女は彼に向かってそっと微笑み、再び女性の方へと向き直る。
「では、よろしく頼むよ」
「は~い。そちらのお兄さんは?」
「いや、俺は……」
「そう言うな。君も一緒に着てみようじゃないか」
ディシディアは諭すように告げる。そう言われては、断れるわけがない。彼は逡巡を見せたが、やがて照れ臭そうに首肯した。
「じゃあ、俺もお願いします」
「は~い。お二人様ご案内で~す」
女性はそう言いながら、二人を店の奥へと導いていく。そうして見えてきたのは、これまた大量のチャイナ服と道士服。そして、更衣室と思わしき場所だった。
「では、こちらから好きなものをお選びください」
言われて、二人は近くにある服に目を走らせる。良二は近くにあった濃紺の道士服を手に取り、先に更衣室へと入っていく。一方で、ディシディアは悩ましげに眉根を寄せていた。
見かねてか、ここまで案内してくれた女性がふとしゃがみ込んで顔を覗き込んできた。
「お困りですか?」
「……あぁ、実は私はこのようなものを選ぶのが初めてでね。すまないが、助言を頂いてもよろしいかな?」
「もちろん! そうですねぇ……お客様に似合いそうなのは……これなどはいかがでしょう?」
そう言って彼女が差し出してきたのは、紅色のチャイナ服だった。ところどころに龍の紋様が描かれており、随所に可愛らしい刺繍のアクセントが加えられている。確かに、これならば彼女の白い肌にも、エメラルドのような緑色の瞳にもよく合うだろう。
ディシディアはすっかりそれに心を奪われており、放心している。女性はそんな彼女にそっとチャイナ服を手渡し、更衣室を手で示した。
「では、どうぞあちらでお着替えください。あ、小道具などもありますが、それはいかがいたしますか?」
「とりあえず、任せるよ。私よりも、あなたの方が知っていそうだからね」
女性はコクリと頷き、奥の方へと消えていった。ディシディアは彼女の後姿を見送ってから、自分も更衣室へと足を踏み入れた。そうして、初めてのチャイナ服と格闘しながらも何とか着ることに成功する。
「ディシディアさん。そっちはもう着替えましたか?」
隣にある更衣室から良二の声が聞こえてきた。
「あぁ、大丈夫だよ。リョージはどうだい?」
「バッチリです。せっかくだから、同時にお披露目といきましょうよ」
「いいね。では……」
シャッというカーテンを開く音が同時に響き、更衣室から良二とディシディアがほぼ同時に出てくる。ディシディアはゆっくりと良二の方へと体を傾けて、思わず「おぉ」と小さく唸った。
もともと良二はそれなりにいい体格をしている。そのおかげか、道士服がとても似合っていた。姿勢もいい方なので、傍目から見たら本当の道士のようにも思われるだろう。
一方で、良二もディシディアの服装に舌を巻いていた。
紅色のチャイナ服は彼女の体にぴっとりと張り付いており、深めのスリットからは細く白い足がチラリとのぞく。やや露出が激しいことに対しての羞恥はあるのかやや足をもじもじさせている彼女は非常に愛らしい。
二人は互いの見慣れぬ姿に見入っていたが、ハッとして頬を染めあう。
「に、似合ってますね。ディシディアさん」
「君の方こそ。いつもよりもいい男に見えるよ」
言い合って、互いにクスリと笑い合う。と、そこで先ほどの女性がカメラと扇子を持ってやってきた。彼女はその扇子をそっとディシディアに渡す。
「これをどうぞ。撮影用の小道具です」
「おぉ……これは、こうでいいのかな?」
ディシディアはしなを作り、扇子を口元に持っていってみせる。刹那、彼女の瞳がギラリと怪しく光り、その不気味だがどこか魅力的な姿を見て、女性のみならず良二までも心を動かされた。
「……なんだか、本当の女王様みたいですね」
「わかります。妖艶な感じって言うんですか? ポテンシャル高いですよ」
良二と店員は互いにうんうんと頷き合う。一方でディシディアはよくわかっていないようで、キョトンと首を傾げて二人を見つめていた。
「さ、さて! では、写真を撮らせていただきますよ!」
「あ、はい」
「む? 写真とは?」
戸惑うディシディアをよそに、良二は彼女の目線までしゃがみこみ、そっとその肩を抱く。それを見た女性は三つ指を立ててカウントを取り――シャッターをパシャリと切った。
直後、フラッシュが光るとともに、カシャッという音が耳朶を叩く。
そもそも、ディシディアは写真を撮られるのが初めてだ。彼女は目を白黒させながら女性と良二を交互に見やっている。
「はい。もう一度行きますよ~。今度は笑ってくださいね~」
「わ、わかった」
ディシディアはギギギ……という効果音が付きそうなほどぎこちない笑みを浮かべてみせる。それは普段彼女が見せている笑みとはまるで違うものだ。
良二はそれをしばらく見ていたが……
「ディシディアさん。失礼!」
「え? わひゃっ!?」
一度断りを入れつつ、ディシディアの腋をこちょこちょとくすぐった。流石にそれは予想外だったのかディシディアはビクンっと体を震わせ、その場で小さく飛び上がる。だが、だからといって良二の手は止まらない。腋、わき腹、はたまた背中など指を這わせていく。
「や、やめ……くひゅっ! こ、こらっ! もう、やめ……ハハハハッ!」
くすぐったさからか涙を流しつつも笑う彼女。その間に良二は女性へと目配せし、彼女はすかさずシャッターを切った。
そして、良二はようやくディシディアを解放する。彼女は荒い息をつきながら恨めしそうに良二を見上げていた。
「……君は鬼だな……あんな拷問を行うとは」
「ごめんなさい。だって、ディシディアさんすごい固い笑顔だったんですもん」
「だからといってだね、婦女の体にみだりに触れるのは……」
「まぁまぁ。ほら、でもおかげでいい写真が撮れたんですよ? 見比べてください」
女性店員が助け舟を出してくれる。彼女が見せてくれるカメラの画面には確かにいい笑顔のディシディアと、楽しそうに笑っている良二の姿があった。その姿はまるで――身長差にもよるのだろうが、本当の兄妹のようにも思えてしまう。
対して、最初の写真に至っては印象がまるで違う。ディシディアは非常にぎこちない笑みを浮かべているし、良二の笑みもついさっき撮ったものにははるかに劣る。
こうして比べられると、確かによさがわかったのだろう。ディシディアは頬を膨らませていたが、やがて大きく息を吐き扇子で良二の額をぺチンと叩いた。
「私のためにやってくれたんだね。ありがとう。だが、次からはもっと方法を考えてくれ」
「はい、善処します」
「……よし。では、時間をとらせてすまなかった。もう、着替えても大丈夫なんだよね?」
「はい。着替えが終わったらレジへどうぞ。そちらで写真もお渡ししますから」
ディシディアはコクリと頷き、そそくさと更衣室へと入ってしまう。良二もすぐに更衣室へと入り、すぐに服を着替えてレジへと向かった。ディシディアもやや時間はかかったが何とか脱げたようで、すぐに合流する。
そのころには写真もできていたようで、女性店員は恭しくできたばかりの写真を渡してきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。それで、お代は……」
「写真代込みで五千円……と言いたいですけど、今回はサービスです! 四千円でいいですよ」
「色々とありがとうございます。助かりました」
良二は代金をレジにおきつつ、ぺこりと頭を下げる。それに倣ってディシディアも頭を下げるが、当の女性店員はけらけらと陽気に笑った。
「いいんですよぉ。それでは、よい一日を。中華街を楽しんでいってください」
先ほどから感じていたことだったが、中華街の店員というのはかなり気前がいい。というよりも、フレンドリーだ。だからこそ、気兼ねなく楽しむことができている。
二人は彼女に別れを告げてその場を後にする。が、ディシディアは少しばかり不機嫌そうにしていた。
たまらず、良二は頭を下げる。
「あの、本当にすみませんでした」
「いや、過ぎたことだ。気にしないでくれ。ただ、他人からあんな風にくすぐられたのは本当に久しぶりでね……慣れていないものだから、とても苦しかったよ」
その言葉に、良二はしゅんと肩を縮ませる。
今思えば、彼女を笑わせるためだったとはいえ、もっと違う方法があったのではないか?
そんな考えが彼の脳裏をよぎっていく。
だが、それを見越したようにディシディアは彼の手を優しく握った。
「そんなに悲しい顔をしないでくれ。せっかくの観光だ。楽しまねば損だよ。ただ、君がどうしても申し訳ないと思っているなら……あそこで買い食いするのに付き合ってくれないかい?」
その言葉に、良二は思わずガクッと前のめりにつんのめった。
流石は数百年を生きているエルフ。知恵や駆け引きに関しては相当なものだ。
一本取られた、というように両手をあげながら良二は力なくうなだれた。
ディシディアは「ふふん」としたり顔で鼻を鳴らし、トコトコと店に歩み寄っていく。そこではチマキを売っているらしく、蒸し器のようなものが見てとれた。
ディシディアはレジの向こうにいる女性を手招きで呼び、すっと天井につるされたお品書きを指さしてみせる。
「あの『あずき八宝粽』とやらをもらえるかい?」
「はい。かしこまりました」
そう言って女性が歩み寄ったのは蒸し器――ではなく、その近くにちょこんと置いてあった小型の冷蔵庫だった。彼女はそこからビニールに包まれた何かを取り出してきて袋に入れた後、ディシディアの方に歩み寄る。
「はい。四百円になります」
「では、これで」
「はい。ちょうどですね。ありがとうございます」
ピッタリの代金を渡した後、ちまきを受け取ってややスキップ気味に良二の元へとやってくるディシディア。彼女はニコニコと笑いながら、自慢げにちまきを彼の方へと突き出した。
「見たまえ、リョージ。暑い日に食べることを想定して冷やしているらしい。中々に面白い料理だと思わないかい?」
「へぇ。冷たいちまきですか。どれどれ……って、これ」
食品表示を見た瞬間、良二の顔つきが険しいものに変わる。たまらず、ディシディアも真剣そうな表情になって語りかけた。
「何か、問題があったのかい?」
「いや、問題というか、これって、一度解凍しないと食べられない奴ですよ。ほら」
それを証明するように、食品表示を見せてやる良二。確かにそこには解凍の手順が事細かに載っていた。ご丁寧に、絵までついて。
それを見たディシディアはがくがくと震えて、目をパチパチと瞬かせる。
「つ、つまりこれは今食べられないということかい……?」
「……残念ながら。どうします? 返品しますか?」
良二は優しく提案した。が、ディシディアはふっと口元を吊りあげ、手をひらひらと振った。
「いいや、これもまた旅の醍醐味さ。失敗は成功の母。これからはちゃんと買う前に確認するよ。それは帰ってから二人で食べよう」
「あ、いいですね、それ」
「……ただ、不躾な子にはちょっとしか与えないつもりだが」
「いや、その件に関しては本当に……すいませんでした」
ひたすら頭を下げる良二と、楽しげにしているディシディア。身長差はあるが、その姿はどこか――親子のようにも見えた。