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第八十九話目~季節の天ぷら定食!~

 穏やかな秋の昼下がり、ディシディアはと良二は肩を並べて歩いていた。大学が早めに終わったことが嬉しいのか、良二の足取りはやや軽やかだ。

 その隣を歩くディシディアもまた上機嫌で鼻歌を歌っている。実のところ、彼女はかなり歌が上手い。今歌っているのは彼女の故郷の童歌なのだが、するりと耳に滑り込んできて実に心地よい。


「あ、そうだ。今度、カラオケ行きませんか?」


「カラオケ? すまない。何だったかな?」


「簡単に言うと、思う存分歌える場所です。食事とか飲み物メニューもついていて、結構居心地がいいんですよ」


「なんと! むぅ……是非行きたいな」


「じゃあ、今度の休みにでも行きましょうよ」


 などと軽口を交わす二人が向かう先はただ一つ。珠江たちの店だ。

 自炊するのもありだが、週に一度は食べておかないとどうにも調子が出なくなってしまう。夜ならともかく昼なら値段も手ごろなので、良二が休みの時などはこうやって赴くようにしているのだ。


「カラオケか……言ったことがないから楽しみだ。ただ、ちょっと練習しておかねばな」


 おそらく歌の技術を向上させる、という意味合いではなくこの世界の唄を少しでも習得しておこう、という意味だろう。

 事実、彼女はまだこの世界の唄になじみが浅い。しかし、今はパソコンなどで気軽に音楽が聞ける時代だ。すでにディシディアはパソコンを使いこなせているし、そこは問題ないだろう。

 ディシディアはもう行きたいらしく、喉の調子を確かめるように「あ~あ~」と声出しをしていた。そののびやかな歌声を聴きながら、良二は前方へと視線を移す。

 もう店は間近に迫っていた。が、良二はキョトンと首を傾げる。

 だが、それも当然だろう。

 店ののれんを出していたのは珠江ではなく、普段は調理を担当しているはずの対象だったのだから。


「おっ! 二人とも! 今日は昼に来たか! らっしゃい!」


 彼はガハハ、と豪快に笑いながら腰に手を当てる。だが、ディシディアと良二は不思議そうに顔を見合わせ、そして戸惑いがちに彼の方へと歩み寄った。


「あの、大将。珠江さんは……」


 良二がおそるおそる問うと、大将のいかつい顔がだらしないほどに緩んだ。


「いや、それがよぉ……その……できたんだよ、子どもが」


『おぉ!』


 彼の言葉に良二たちは思わず声を上げる。

 珠江たちは中々子どもを授かることができず、それに苦しんでいた。だが、それを見かねたディシディアがちょっとだけ魔力を使った治療を施したのだ。

 そして、その成果は見事に実ったこととなる。大将は念願がかなったことがよほど嬉しいらしく、これまで見たことがないようなにやけ顔になっていた。正直言って、少しばかり怖い。

 だが、やはりめでたいことだ。良二とディシディアは二人して嬉しそうに目を輝かせる。


「よかったですね、大将! で、珠江さんは?」


「あぁ。今日は病院だってよ。まぁ、初めての子どもだからな。あいつも不安なんだろうよ」


 大将も気丈に振舞っているように見えたが、内心不安そうでそわそわと落ち着かない様子だった。だが、一家の大黒柱としての自覚があるのか、彼はすぐに元の調子に戻り、豪快な笑い声をあげながら二人の肩に手を置く。


「ま! てなわけでしばらくは俺一人だが、よろしく頼むぜ!」


「はい! あ、でも、大将。もし大変そうだったら行ってくださいね? 俺でよければ手伝いますから」


「私もだ。まぁ、できることがあるかはわからないが」


「ハッハッハ! その気持ちだけで十分だぜ! まぁ、本当にヤバくなったら良二のところに依頼するからよ」


 大将はそれだけ言って、のしのしと店の中へと足を踏み入れていく。良二たちもすぐにその後に続いたが、ディシディアは「ん?」と首を傾げた。

 彼女はいつもの席に腰掛けるなり、ちょいちょいと彼の服の袖を引く。


「すまない。先ほど依頼する、という話が出たが、君は何かやっているのかい?」


 その問いに、良二は目をパチクリさせ、こめかみに手を置いた。


「あれ? 言ってなかったですっけ? 俺のバイト先のこと」


「聞いていない。まぁ、聞かなかった私も悪いが……」


「いや、それはないですよ。で、話を戻すと俺のバイト先は『何でも屋』をやっているんです」


「あぁ……なるほど。だから君は妙なつてや知識があったわけだ」


 ディシディアは妙に納得したように頷いた。

 確かに、良二はこれまで色々な情報を仕入れてきたり、変わった土産物を持ってきたりと考えてみれば謎だらけだった。

 しかし、その答えを聞いて疑問が氷解する。大勢の人たちと関わる内に、いつしか情報を蓄えていったのだろう。お土産などは、依頼人たちから謝礼としてもらったものの一部かもしれない、などと思いつつディシディアは麦茶を煽った。


「何でも屋か……こちらでもそのような職業があるのだね」


 彼女はわずかに目を細め、記憶の糸を手繰り寄せる。

 かつて旅をしていた時『何でも屋』と称する年齢不詳のホビット族の女性がいた。最初は街の酒場で出会い、すると不思議な縁があったのか行く先々で顔を合わせることになり色々とバックアップをしてもらっていたのだ。

 金の話題になると目の色が変わり、すぐさま羊皮紙を取り出す癖を思い出し、ディシディアはクスクスと笑う。一方の良二は彼女がなぜ笑っているのかわからないようでキョトンと首を傾げていた。

 ――その時だ。

 じゅわ! という何かが揚がるような音が二人の耳朶を打ったのは。

 しかもそれは継続的に鳴り響く。じゅわじゅわと油が弾ける音はもはや殺人級。聞いているだけで涎が出てくるほどだ。

 大将はそんな二人を見てニヤニヤと笑いつつ、菜箸を掲げる。


「今日はいい野菜が手に入ったんだ。天ぷらにするから、食ってってくれ」


 その言葉に異論を唱える者はいない。季節の野菜を天ぷらにする――それは最上の調理法といっても過言ではないからだ。


「まぁ、ちょっと待っててくれ。話でもしながらよ」


 大将は頷く二人に対して困り顔で呟く。いつもと勝手が違うからか、やや戸惑いがみられる。だが、そこはやはりプロ。あっという間に適応し、流れるような手さばきで衣を纏った具材たちを油へと投入していく。

 その度に具材たちが揚がる音と香ばしい匂いが店内を満たす。

 ディシディアはその調理過程にも興味があるらしく、うんと背伸びをして厨房を見やっていた。つられて、良二も大将の方を見やる。

 天ぷらを揚げながらトレイの上にご飯の盛られた茶碗や味噌汁の椀を盛り付けていく。その動作には淀みがない。珠江がいない分を補おうとしているのか、むしろいつもよりも気合が入っているように思えた。


「……っし! ほらよ、天ぷら定食お待ち!」


 そして待つこと五分。大将はカラリと揚がった天ぷらを皿に盛りつけ、トレイに載せるなり二人に差し出してきた。


「これは……ッ!」


 トレイの上にあるのは季節の天ぷらの盛り合わせと白米。そしてジャガイモの味噌汁だ。

 二人は無言で箸を取り、すぐさま手を合わせる。


『いただきます』


 天ぷらはスピードが命だ。調理するのも、もちろん食べるのも。

 せっかくカラリと揚がっているのに時間を置いてはもったいない。ディシディアはまずレンコンの天ぷらを取る。衣からはまだじゅわじゅわという蠱惑的な音が聞こえてくる。彼女は大口を開け、がぶっと勢いよくかぶりついた。

 その瞬間、体が歓喜に震える。

 天ぷらにはわずかに塩が振られている程度。だが、それがいい。それによってレンコン本来の甘みが強調され、ご飯とよく合う。

 噛めばカシュッと衣が音を立て、続けてレンコンがゴリュゴリュと快音を響かせる。

 衣は厚すぎず薄すぎないちょうどよい塩梅。レンコンの食感を最大限に活かせるものだ。


「美味い……これは美味い!」


 ディシディアはもはや感想など言っているのが惜しい、とでも言わんばかりにご飯とレンコンを交互に頬張る。良二も同様で、別に誰かに取られるわけでもないのにがっついていた。


「うめえだろ? やっぱ、新鮮な食材を使うと味が段違いに上がるよな」


「ま、料理人の腕もあるがな」と大将は付け加えつつ、二人を見守る。

 良二が手に取ったのはエビ。ディシディアは野菜かき揚げだ。二人は一瞬だけ視線を交わして頷き合い、同時にかぶりつく。

 食べたものは違ったが、その後のリアクションは全く持って同じ。二人はとろんと身体を弛緩させ、満足げなため息をついた。

 エビはぷりっぷりで口の中で弾けるよう。もしかして生きているのではないか、と錯覚してしまったほどだ。衣によって旨みもギュッと中に凝縮されているおかげで、噛んだ瞬間にそれが炸裂する。

 背ワタなどの下処理も完璧で、臭みは全くと言っていいほどない。下ごしらえに関しては他の野菜もそうだが、調理に入る前の段階でも十分気を遣われているからこその深い味わいがあった。

 カリカリの衣を纏ったエビにちょんと塩をつけ、ご飯の上でワンクッション置いてから口へと放り込む。エビの芳醇な風味が体中を突き抜け、それが吐息となって出ていった。

 一方、ディシディアが食べたかき揚げも十分――いや、十二分に満足がいくものだったらしい。彼女は無言でかき揚げとご飯を食らっていた。

 かき揚げに用いられているのはにんじん、玉ねぎ、そしてゴボウだ。

 にんじんと玉ねぎは噛めば噛むほど甘味が出てくる。

 ゴボウは力強い野趣と歯ごたえを有しており、かき揚げにアクセントを加えていた。

 にんじんや玉ねぎは比較的癖がないものだが、ゴボウは一歩間違えれば泥臭くて野暮ったい味になり喰えたものではなくなってしまう。だが、これに関しては問題なし。

 むしろその野暮ったさが野性味へと変換され、ズシンとした旨みを醸し出していた。

 合間に飲むジャガイモの味噌汁も絶品。ジャガイモはホクホクで、噛むとほろりと溶けていくが煮崩れはしていない。この繊細な火入れの技術は一朝一夕で身につくものではない。

 まさしく、大将の研鑽が積み重ねられた料理たちだ。不味いわけがない。

 ディシディアたちはそのまま無言で食べ進めていき――あっという間に皿を空にしてしまった。


「……ふぅ。実に美味だった。もしかしたら、これまででトップクラスかもしれない」


 ディシディアの賛辞に、良二も首肯する。

 新鮮な野菜と洗練された料理人の技術。そして、出来立てというアドバンテージが加わった状態の品は格別だ。

 二人は余韻を味わうようにしながらまた満足げな息を吐く。

 大将は腕組みをしながらうんうんと頷き、口元を不敵に歪めた。


「な? 俺一人でも結構やるだろ?」


「あぁ。いや、そもそも店主の技術が高いことは前から知っていたさ」


「ハハッ! 褒めても何も出ねえぞ……まぁ、今のは奢りにしてやるけどよ」


 ディシディアは彼にぺこりと一礼し、麦茶を煽って口の中をリセットしてから再び大将を見つめた。その目がやや戸惑いの色を宿しているのを見て、大将は少しばかり目を泳がせる。

 一方のディシディアは言うか言わまいか迷っていたようだったが、やがて眉をキッと吊り上げた。


「ただ……食前の小鉢がなかったのが少し気になったな。いつもあるから、てっきり今日もあるものかと」


「あぁ……まぁ、それは珠江にまかせっきりだったからなぁ……俺もがんばらにゃ。やっぱり、あった方がいいよな?」


 良二たちに同時に頷かれ、大将は額に手を置く。

 しかし、良二はブンブンと手を振りつつ、


「でも、とってもおいしかったですよ。本当に」


「あぁ。久々に食べるのが惜しいと思ってしまったよ。できれば、ずっと食べていたいほどだった」


「ハッハッハッ! やっぱり嬉しいこと言ってくれるなぁ……よっしゃ! またいい食材が手に入ったらご馳走してやるよ! その代わり……」


 大将はもったいぶった様に溜めを作り、


「今度、俺の家に遊びに来てくれ。珠江は身重だしな。恥ずかしいが、洗濯とかはさっぱりなんだ」


 その申し出を断る理由はない。二人は頷き、空になった天ぷらの皿を見やる。が、わしに残った油の跡を見るだけでまた胃が騒ぎ出しそうだったので、慌てて視線を逸らすのだった。


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