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第八十一話目~唐揚げ弁当とビールの黄金タッグ~

 すっかり秋の様相を見せつつある道をディシディアは鼻歌まじりに歩いていた。その右手にはビニール袋が掲げられている。彼女はたびたびそれを見てはニコニコと笑みを浮かべていた。


「ふふふ、今日はいいものが買えた。リョージもいないし、少しだけ贅沢をしよう」


 ビニール袋の中に入っているのはプラスチック製の弁当箱。最近出来たばかりの弁当屋で買ってきたものだ。出来立ての弁当箱はまだ温かく、隙間からは実に芳しい匂いを漂わせている。


「……さて、早く帰らねば冷めてしまうな」


 普段の彼女なら舞いちる紅葉にも目を向けているはずだが、よほど弁当を食べたいのか今日は見向きもしない。ディシディアはやや大股気味になってせかせかと歩いていた。

 その甲斐あってか数分もしないうちに家に到着。彼女は階段を二段飛ばしで駆けあがり、アパートの鍵をサッと取り出してドアを開けてすぐさま中へと入りこんだ。


「さてさて、お次は……」


 彼女は弁当箱を早速居間へと置き、一旦洗面所へと向かう。そこで手洗いうがいをしてから、冷蔵庫へと歩み寄って中から缶ビールを取り出して頬ずりした。

 ひんやりとした感触を感じつつ、へにゃっと表情筋を緩める。


「おぉ……ここ数日お預けを喰らっていたからね。昼から飲んでも、文句は言われないだろう」


 彼女はすぐさま居間へと戻り座布団へと腰かけた。直後、ビニール袋から弁当箱と割り箸を取り出す。弁当箱はまだ十分温かく、それだけでディシディアは目を輝かせた。


「じゃあ、冷めないうちにいただきます」


 彼女はパキッと割り箸を割り、弁当箱のふたを開けた。

 すると、白い湯気がもうもうと立ち上り、視界を遮る。だが、それが止むとそこには――大ぶりのゴロゴロとした唐揚げとキラキラ輝く白米があった。

 そう。彼女が買ったのは唐揚げ弁当。

 昨日ビールが飲めず辛い思いをしたために、今日は酒に合う弁当を買ってきたのだ。

 彼女の思惑通り、きつね色にこんがりと揚げられた唐揚げは見るからに美味そうで、じゅうじゅうと音を立てつつ食欲を刺激する香りを放っていた。

 彼女はまずは一番小さい唐揚げ――それでも一口では食べきれないほどの大きさのものを取り、ご飯の上でワンクッションさせてから口に放り込む。

 その瞬間、衣がカリッと音を立て、続けてじゅわっと肉汁が溢れてくる。プリッとしたもも肉の旨みが香辛料によって促進されており、後を引く美味さになっていた。

 醤油たれに漬けてあるのか非常に香ばしく、ニンニクも使われているのか奥深さとコクが生まれている。おそらく、鶏肉をたれに漬けてから数時間以上寝かせて熟成させているのだろう。でなければ、ここまでの質にならないだろう。

 ディシディアはもぐもぐと唐揚げを咀嚼しつつ、缶ビールを開けた。

 プシュッという快音を聞きながら、彼女はグイッとビールを煽る。

 しゅわしゅわとしてほろ苦さのあるビールがジューシーな唐揚げと実によく合う。

 ディシディアはごくごくと喉を鳴らしながら缶を傾け――


「くぅ~~~~~~っ! たまらん!」


 心底幸せそうな顔で缶をテーブルに叩きつけた。彼女は口の端についていた泡を手の甲で拭い、またしても冷蔵庫に歩み寄ってビールを取り、なぜかきょろきょろと辺りを見渡した。


「……今日ぐらい、大丈夫だろう。リョージもいないし、たまのご褒美だ」


 彼女は自分に言い聞かせるようにしてから再び居間に戻り、座布団に腰掛けた。

 そうして、またしても唐揚げを取り、今度はご飯と一緒に掻きこむ。すると、先ほどまでとはまた違った味わいが口の中に広がった。

 ごま塩が散らされた白米は唐揚げとの相性もよく、噛めば噛むほど米自体の甘さが滲み出てくる。彼女は「これでもか!」と言わんばかりに米を箸で掬い、ばくっと頬張った。

 彼女はもはやハムスターのように頬を含ませているが、特に気にした様子もない。今日は良二もいないし、少しばかりはしたない真似をしてもいいと割り切っているようだ。

 彼女は弁当箱を左手でキープしながらガツガツと米を食らい、合間合間に唐揚げと野沢菜の漬物を挟む。この漬物自体もかなりの出来栄えで、ビールと飲んでも中々イケた。

 ただし、今回のメインはあくまで唐揚げ。しかも、ちょっとだけ贅沢をして唐揚げだけを大盛りにしてもらった特別製だ。

 そのため、ご飯がなくなっても唐揚げだけはまだ残っている。普段ならおかずだけ食べるのは絶対のタブーなはずだが、今日に限っては違う。

 彼女は口の端についていた米粒をピンク色の舌でぺろりと舐めとり、選りすぐりの唐揚げたち――特に大きく、衣もカリッとしているものに視線を移す。


「さて……では、少しだけ本気を出そうか」


 彼女はお下げにしていた髪を一旦解き、後ろの方でギュッと束ねる。一々髪が顔に張り付いてくるのは中々に面倒なものだが、これならば存分に唐揚げを味わうことができる。

 ディシディアはぐるりと首を回し、唐揚げを口に入れる。

 大ぶりだが、中まできっちりと火が通っていて柔らかい。衣もカラッとしていて歯ごたえもよく、柔らかい鶏肉との対比が素晴らしい。思わず二本目のビールも空にしてしまったほどだ。


「えぇい……もうこうなったら……ッ!」


 ディシディアは食器棚から深めの棚を取り、そこに氷をたっぷりと入れる。続けて冷蔵庫からビールを数本取り出し、その中にぶち込んだ。

 これによってしばらくの間は保冷効果を得られる。ビールはやはりキンキンに冷えている方が美味い。ディシディアは足早に居間へと戻――るかと思われたが、冷蔵庫からゆず胡椒やレモン汁などを取り出してから、ようやく食卓に戻る。

 ディシディアは上機嫌そうに鼻歌を歌いながら弁当箱の容器に端にゆず胡椒をチョンと乗せ、三つ並んだ唐揚げの一つにレモン汁をかけた。


「よし、完璧だ」


 彼女はえへんと腰に手を当てて胸を張ってから、缶ビールを開けて一度中に掲げた後、グビッと煽る。そうして、口内のものを嚥下したかと思うと、レモン汁のかかった唐揚げにかぶりついた。

 レモンの清涼感とキリリとした酸味が唐揚げの味をキュッと引き締めている。香辛料の効いた唐揚げとの相性は言わずもがな最上のものであり、体全体が喜びの声を上げているようだ。

 続けてビールを飲めばその甘美な刺激に唸りを上げてしまう。

 ディシディアはまたしても次のビールを開け、今度は唐揚げにゆず胡椒をつけた。

 ――正直、これに関しては完全なアドリブだ。レモン汁はこれまでやったことがあるが、これに関しては初めてである。わずかな期待と不安が沸いてくるが、彼女はキッと眉を吊り上げて唐揚げを口に放り込んだ。

 その瞬間、彼女のパッチリとした目がさらに見開かれる。

 ゆず胡椒のピリリとした辛味が唐揚げと意外にマッチしている。考えてみれば、ゆずもレモンと同じくかんきつ類だ。合わない道理はないだろう。

 しかも、レモンとはまた違ったゆず胡椒のスパイシーな風味は口の中に変化をもたらしてくれる。元々唐揚げ自体の味がしっかりとしているせいか、ゆず胡椒に負けていない。どころか、その二つが絶妙に合わさって美味さが段違いになっていた。


「これはイケるな。リョージにも教えてあげよう」


 ディシディアはまたしてもビールをぐびぐびと飲みながらそんなことを呟き、静かに目を細めた。

 すでに彼女の中で、良二はかけがえのない存在となりつつある。こんな感覚は、久しく味わっていなかった。

 彼は、自分を『自分』として見てくれている。その当たり前が、あちらの世界では中々なかったのだ。

 大賢者という肩書は特別なものだ。人々は崇め奉る。弟子たちは大勢いたが、友と呼べるものはいなかった。

 かつて旅をした者たちは皆死別し、恩師や育ての親なども死んだ。

 あの軟禁生活に飽き飽きしていたのももちろんがあるが、ディシディアは心のどこかで対等に接してくれるものを欲していた。だから、転移の術を使ってまで外に出ようとしたのだ。

 結果として、それは成功に終わっている。良二は年長者である彼女に敬意を払っているが、それでも二人の関係はあくまで対等なものだ。


「……少し、感慨に浸ってしまったな」


 照れ隠しのようにビールを飲み干したディシディアは最後の唐揚げに目を移す。

 弁当箱の中に入っていたものの中でも特に大きいものだ。彼女はごくりと息を呑み、そぅっと箸で持ち上げ、大口を開けて一気に放り込んだ。

 噛めば肉汁が迸り、衣のカリッとした音が口の中で反響する。やはり最初のものよりは冷めてしまっているが、その美味しさは失われていない。むしろ、しっとりとしているからこそたれの味を鮮明に感じることができた。

 彼女は顔をにやけさせつつビールを煽り、体を弛緩させる。

 とてつもない満足感と多幸感が同時に押し寄せてくる。最後の一つにふさわしい唐揚げだった。彼女はそっと手を合わせ、


「ふぅ……ご馳走様。大変美味だったよ」


 食材たちへの感謝の言葉を述べた。

 が、その直後、彼女の眉がピクリと動いた。彼女の視線の先には――空になった缶ビールの山。ディシディアは頬をひくつかせながら、パチクリと目を瞬かせた。


「……やってしまった」


 ディシディアは額に手を当て、深いため息をついた。

 おそらく、これを見れば良二は自分を叱りつけるだろう。

 それは薄々感じていたが――それでも止められなかったのだ。

 出来立ての唐揚げとビールという黄金タッグ。そして、昼時に酒を煽るという背徳感。

 これが相まって止まらなかったのだ。


「……しょうがない。彼が帰ってきたら、ちゃんと謝ろう」


 そう告げるディシディアの顔は真剣そうだったが、その口元はやや緩んでいた。

 それはまだ唐揚げとビールの余韻が残っていたからかもしれないし――『自分』を見てくれているものがいる、という安心からかもしれなかった。


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