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第八話目~亀ゼリー~

 大通りを抜け、人の少ない道を歩きながら、ディシディアは先ほど貰ったばかりの甘栗をパクパクと食べていた。殻は剥かれていないので一々歯で砕かねばならないのだが、その労力よりも甘栗の魅力が勝っている。

 良二は殻むきに熱中している彼女が誰かにぶつからないようその手を軽く引きながら、ゆっくりと歩いていく。もう昼時ということもあり、露店は大勢の人で賑わっており、至る所からいいにおいが漂ってきていた。


「次は、どうします?」


 良二の問いかけを受け、ディシディアは甘栗を食べる手を一旦止めて顎に手を置いた。


「そうだね。ちょっと食休みをしたいな。どこか面白そうなところに行きたい」


「了解です。じゃあ、あそこなんかどうですか?」


 甘栗が入ったビニール袋を受け取り自分のカバンに仕舞いながら右側を指さす。ディシディアはそちらにあった荘厳な建て構えの霊廟を見て、目を白黒させた。

 見上げんばかりの大きさを誇る門には霊獣を象った紋様がいくつも見られ、瓦屋根は数段重ねになっている。全体的に落ち着いた色合いのそれは日の光を浴びてどことなく神聖な雰囲気を醸し出している。

 門の向こうを見てみれば霊廟があり、その途中にはたくさんの赤提灯が飾られている。まるでここだけが別世界であるような錯覚を得ながら、ディシディアはおぼつかない足取りでそちらに歩み寄った。


「……オルカ……」


「え? 何ですか、そのオルカって?」


 言われて、ディシディアはハッと我に返った。彼女は数度咳払いしてから、恥ずかしそうに頬を染める。


「すまない。オルカとは、私の師が住んでいた寺院のことだ。その人にはずいぶん世話になっていたんだが……彼がなくなってからは、オルカに行くことはなくなってね。私も大賢者となって、色々自由が利かなくなったというのもあるが、師がいないオルカを見てしまうと、どうしても、ね……」


 その時、彼女の表情がわずかに陰ったのを良二は見逃さなかった。

 元来、エルフは長命だ。長いものだと数千年。ディシディアのように潜在的に魔力が高いものはそれ以上を生きることになる。対して、他種族は長いものでも数百年、短い種族だと数十年で天寿を全うしてしまう。

 良二はグッと唇を噛み締めてから、静かに問う。


「あの、そのお師匠様もエルフだったんですか?」


「いいや、彼はシルフ……風の民だった。名は、ロロ・ピシュカ・イアンク。ピシュカというのは彼の故郷の言葉で『全』を表す。その名の通り、風だけじゃなく万物と話せる力を持った素晴らしい方だったよ。私の、大恩人だ。以前、私が賢者として各地を旅している時にお会いした。彼は当時の三大賢者の一人だったんだよ。まぁ、私が大賢者になるまで、彼は生きてはいてくれなかったけどね」


 彼女はほぅっと息を吐き、空を見上げた。その瞳に込められているのは郷愁と懐古だ。彼女はどこか懐かしそうに頬を緩めながら、ぽつぽつと続けていく。


「本当に、いい人だった。旅の賢者だった私を快く泊めてくれて、しばらく面倒を見てくれていたんだ。あの人がいなければ、今の私はないよ。彼は、私にとって、父のような存在だったからね。亡くなったと聞いた時は、愕然としたよ。あれほど元気で病気とは縁遠そうな人でも、寿命には勝てなかったんだ……儚いものだね、命というのは」


「……そうだったんですか。すいません、辛いことを聞いてしまって」


 しかし、彼女はニコッと笑って首を振る。


「いいや、いいんだよ。正直、彼のことについては割り切っているつもりだ。私が大賢者となる前だから、もう百年以上前に亡くなっているからね。これでずるずると引きずっていては、それこそあの人に怒られてしまうよ」


 クスリ、と笑い彼女は霊廟へと向かっていく。良二はいつもより小さく見える彼女の後姿を見ながら、ゆっくりとついていった。

 門を潜った彼女たちを迎えてくれたのは、巨大で豪華な廟だ。すでに人で賑わっており、大勢の人が参拝している。チラリと横を見れば、売店があってそこでは線香などを売っている。良二はチラリと彼女と目配せをして、そちらに歩み寄った。


「すいません、お線香をお願いします」


「はい。では、そちらの自販機にお金を入れて券を用意してください」


 言われるがまま、自販機に代金を入れた。そうして出てきた券を近くにいた女性――おそらくここの関係者だと思われるものに渡し、線香を数本受け取る。一人五本、つまり合計十本だ。かなり長くて重い。

 線香、と言っても色々な種類がある。これは日本で見られるようなものではない。形としては手持ち花火に似ている。きりたんぽ型の花火と酷似しているそれは薄紅色で、ますますそれらしく見える。ディシディアは初めて持つであろうそれを興味深そうに眺めていた。


「では、あちらへどうぞ。正しい手順でお参りしてくださいね?」


 女性からの注意を受けた後で、二人は階段を上って霊廟の方へと向かっていく。石の階段はとても落ち着いた感じで、この霊廟とマッチしている。しかも、子どもでも上りやすいよう、段の幅は広めで、段差はそこまでない。おかげでサクサクと上り終えた二人は一旦後ろを振り返って、大きく息を吐いた。

 それなりに地上から高さがあり、辺りが一望できる。出店で何かを買っている人、買ったばかりのチャイナ服を着ている人、はたまた仕入れに来ているのか忙しそうに荷物を持って歩いている人などなど。中々に見ていて飽きないものだ。

 が、今はやることがある。二人は近くにあった線香に火をつける場所により、そっと着火させた。

 と、そこで近くにいた女性が彼らに語りかけてくる。


「こちらが正しい手順でございます。この通りにやってくださいね?」


 どうやら、礼拝にも手順があるようだ。線香を指す順番、お辞儀をするやり方などが近くの張り紙に書いてある。だが、ディシディアはまだ日本語を読むことは不得手である。


「大丈夫。俺と一緒にやりましょう。ね?」


 しかめっ面をしているディシディアに向かって、良二がとっさに提案した。無論、それに反論する理由はない。ディシディアはコクリと頷き、彼と共に線香をくべる炉へと向かう。

 炉にも番号があり、キチンと刺さねばならないらしい。

 まず、良二が手本を見せるように三回お辞儀をした。それに倣ってディシディアも頭を下げ、また別の炉へと向かう。

 そして最後の番号が書かれた『五』の炉を終えたのち、二人は霊廟へと向かった。そこにはなぜか長方形のクッションが置かれており、そこに人が座っている。見れば、何かをぶつぶつと言って手に持つ木の破片のようなものを投げているところだった。


「あ、おみくじをやる方はこちらへどうぞ。やり方を教えますね?」


 中で別の観光客の指導に当たっていた女性が言う。二人はすぐさま中に入り、彼女の指示を待った。


「では、このクッションに座ってください。靴は脱いでも脱がなくてもいいですよ。後、お荷物は邪魔になると思いますから脇においてください」


 言われるがまま、二人はクッションの上にちょこんと腰かける。このクッションはかなり固い。おそらく、これにも何か理由があるのだろう、とディシディアはひとり頷いた。


「では、目を瞑って自分のお名前、住所、それから生年月日を神様にお伝えしてください」


「はい。って、ディシディアさん、自分の生年月日わかるんですか?」


 その問いに、ディシディアはむっと頬を膨らませた。


「馬鹿にしないでくれたまえ。この世界との整合はとってある。ちなみに、七月七日がこちらでの私の誕生日にあたるようだ」


 言って、ディシディアは目を瞑って自分の名前と住所、生年月日をつらつらと述べる。良二も慌てて彼女に続くと、先ほどの女性が竹筒をスッと差し出してきた。そこには大量の棒が入っている。先端が赤く、どうやらくじのようだ。


「それをシャカシャカと振って、一番飛び出ているものを取ってくださいな」


 言われるがまま、二人はシャカシャカと竹筒を振る。するとしばらくして、一本だけがぴょこんと飛び出てきた。二人はそれぞれの棒を取って、確認する。そこには、番号が書かれていた。

 すかさず、女性が半月型の木の欠片を渡してくる。


「次はこちらを振ってみてください。裏と表が同時に出れば、そのくじでいいということです。もし同じ面同士なら、それは振り直しです」


「あぁ、わかった。では……」


 ディシディアはその小さな手で木をひょいっと包みこみ、前方に投げる。

 その目は……表と裏。見事、成功だ。女性はニコリと微笑み、そのくじを胸元のポケットに仕舞った。


「じゃあ、俺も」


 と言って、良二も振る。だが、あいにく表と表。つまり、このくじではダメだったということだ。

 やや悲しそうな顔をする良二を見て、女性が優しく笑みを向ける。


「大丈夫です。振り直しというだけで、悪いことがあるわけではありませんから、どうぞ気楽に」


「そうなんですね。じゃあ……」


 また先ほどと同じように竹筒を振り、飛び出てきた一本を取る。そうして木の欠片を振ると……今度は表と裏。それを見て、良二はパァッと顔を輝かせた。


「お預かりしますね。では、こちらへどうぞ」


 二人は立ち上がり、女性の後を追う。そうしてそちらに向かうと番号が振られた棚があり、女性は棒に書かれている番号にあったものの中から一枚、紙を取り出してきた。そうして、それはまずディシディアに渡される。


「はい、どうぞ。そちらのお客様は、こちらですね。お帰りはあちらとなっております。どうぞお気をつけて」


 彼女に頭を下げ、二人は出入り口へと向かっていく。ディシディアは自分の紙とにらめっこしていたが、ふと良二を見上げた。


「なんて書いてあったんだい?」


「俺は……そうですね。新たな出会いがあるらしいです。良縁に恵まれると」


「ほほぅ。いいじゃないか。ちなみに私は……すまない。読めないんだ。ちょっと読んでくれるかい?」


「ええ、構いませんよ」


 良二はディシディアの紙を受け取り、そこに目を走らせる。と、その瞬間彼の顔がにやついた。

 その有様に、ディシディアはグッと身構える。

 一体、どのようなことが書いてあるのだろうか……?


「とりあえず、簡潔に言いますよ?」


「……頼む」


「旅に出るが吉。見知らぬ土地、人と触れ合うことはあなたの見識を深めるよい経験となるでしょう。また、挑戦はかならずしも失敗ばかりとは限らない。仮に失敗したとしても、また成功につながるものとなるでしょう。ただ……病気と誘惑には注意だそうです。食べ過ぎにも注意、とのこと」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! そんなことが本当に書いてあるのか?」


「えぇ、ほら」


「いや、だから読めないと……えぇい、まさかそんな……」


 困惑するディシディアを見て、良二はクスクスと笑った。


「このおみくじって、神様に直接聞くらしいですから、そこまで間違っていないとは思いますよ。木の破片を転がしてみるのもその一環らしいですし」


「むぅ……悔しいが、受け入れよう。にしても、この世界の神というのも中々に強力だな……」

 などとぶつぶつ言いながら、ディシディアは階段を降りていく。そうして一番下にたどり着くや否や、彼女は大きな欠伸をしてみせた。それから、トントンと足の調子を確かめるように地面をつま先で叩く。


「もしかして、疲れましたか?」


「……あぁ。ちょっとね。どこかで休めるといいんだが」


「じゃあ……あ! あそこに入りましょう」


 良二が指差したのは、とある喫茶店だった。確かに、そこならば十分な休息がとれることだろう。ディシディアは頷きそちらへと歩み寄ろうとするが、良二はそれをスッと遮った。


「む? どうしたんだい?」


「疲れてるんでしょう? なら、おぶりますよ」


 言いつつ、目の前でしゃがんでみせる良二。ディシディアは一瞬呆けた表情になったが、またいつもの通りのニコニコ顔に戻り、そっとその背に乗る。

 確かな重みと温かさを感じながら、良二は喫茶店へと歩み寄っていく。ディシディアはその大きな背中にぴっとりと体を預けながら、小さく嘆息した。


「……あぁ、ずいぶん久しぶりだな。こうやって誰かの背に乗るのも」


「俺でよければ、いつでも貸しますよ」


「ふふ、ありがとう。まぁ、疲れた時は遠慮なく頼むから、その時はよろしく」


「はい、もちろんです。さ、入りますよ」


 喫茶店の前にたどり着いた良二はそっとしゃがみ込み、ディシディアはゆっくりと彼の背から離れる。そうして一緒になって喫茶店に足を踏み入れる。

 外装にたがわず、これまた一般的な喫茶店だ。強いて言えば、やや中国風の店構えになっていることくらいか。もしかしたら、この土地柄に合わせようとしているのかもしれない。


「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」


 店の主人に促されるまま、近くの席に腰かける。ディシディアはソファ、良二は木の椅子に座り、荷物を下ろした。鞄には財布程度しか入っておらず軽いが、歩くとそれなりに体力を消耗する。

 二人は店主が持ってきたお冷でしばらく喉を潤してから、顔を見合わせた。


「さて、これからどうする?」


「そうですねぇ……今、十二時半ですから、もうそろそろお昼にしますか?」


「そうだね。この喫茶店では、軽く飲み物を頂く程度にしようか」


 言いつつ、ディシディアはメニューを取って何気なく見やった……その直後、彼女の耳がピクッと動いた。その様相に、良二は首を傾げる。


「どうかしましたか?」


「リョージ。かろうじて読めたのだが、これは……『亀ゼリー』と書いていないかい?」


「え? まさかそんな……うわ、本当だ……亀ゼリー?」


 確かにメニューにはそのように書いてあった。ご丁寧に、解説まで添えてある。

 良二はふとディシディアを見たが……答えは決まっているようだ。彼女はすっと手を上げ、店主を呼ぶ。


「すまない。この亀ゼリーを二つ」


「かしこまりました」


 去っていく店主を見送った後で、ディシディアはグィッと身を乗り出してメニューを見やる。それと同時、少女らしい甘い匂いが良二の鼻孔をくすぐった。


「む? どうした? 少し顔が赤いぞ?」


「い、いや、今日は暑かったですからね。ハハ……」


 乾いた笑いを漏らす良二を不審に思いながらも、ディシディアはメニューを凝視していた。そこには真っ黒なゼリーの写真が載せられている。こちらに来てから亀という生物について調べていた彼女であったが、これのどこが亀であるのか皆目見当もつかない。

 だが、それがむしろ彼女を興奮させていた。

 未知との遭遇こそ、彼女が求めているものなのだから。

 今か今か、と彼女が待ちきれないように耳をパタパタさせていると、奥の方から店主の女房と思われる女性がやってきた。彼女が持っているトレイには、白い陶器が乗っていた。おそらく、そこにゼリーは入っているのだろう。


「お待たせしました。亀ゼリーです。こちらのミルクを入れてお召し上がりください」


「失礼。これには本当に亀が入っているのかい?」


 その問いかけに、女性はけらけらと笑った。


「いいえ、亀が丸ごと入っているわけじゃありませんよ。甲羅のエキスを抽出したものです。滋養強壮、体力回復、その他健康を整える効果もありますので、是非ご賞味ください」


 その答えを聞いて、ディシディアは半分がっかり、半分安堵したような表情を浮かべた。流石に、亀が丸々入っているのは少しだけ抵抗があったのだろう。彼女はスプーンを持ち、すっと手を合わせた。


「では、いただきます」


 まずは、何もつけずにいただいてみる。仄かな苦みと甘みが口の中に広がる。冷たくひんやりとしており、ピタッと舌にくっついてくるようである。もちろんのど越しも抜群で、するりと喉を下っていく。

 彼女は何度か頷いてから、今度は付属のミルクをゼリー目がけてクルリと回すように入れた。白と黒のコントラストは非常に美しく鮮やかである。見た目にも優美なそれを見て、ディシディアは恍惚の表情を浮かべた。


「これはまたいいな。こうやって変化をつけていくのも面白そうだ」


 含み笑いをしつつ、スプーンを入れる。軽い抵抗感を得たかと思えば、次の瞬間には驚くほど簡単に掬えている。ぽたぽたと滴り落ちるミルクを逃すまいと彼女は大口を開けてスプーンを口内に入れるなり、彼女はにま~っと満面の笑みを浮かべた。

 ミルクを入れることで甘みが加わり、一層コクが出る。たまに顔を出す苦味がそれにアクセントを加え、食べているものを飽きさせない。

 よほど気にいったのだろう。ディシディアは口の端からミルクが垂れているのにも構わずゼリーを頬張っていた。


「ディシディアさん。ほら、口が汚れてますよ」


 見かねて、良二が優しく口元を拭いてやる。ディシディアはやや照れ臭そうにしながら、おさげの先をクルクルと指で弄った。


「はは、恥ずかしいところを見られてしまったね」


「いや、いいと思いますよ。前も言いましたけど、ディシディアさんのそういうところも可愛いと思っているので」


「……確か、この世界では君のようなものを天然タラシと呼ぶらしいね」


「失礼な。俺はただ事実を言ってるだけですよ」


「だからそういうところが……まぁいい。ほら、君も口が汚れているぞ」


 先ほどの意趣返しと言わんばかりに、ディシディアが紙ナプキンで口元を拭いてやる。初めての感覚に戸惑いながらも、良二はどこか嬉しそうに目を細めていた。


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