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第七十七話目~歪な手作りおにぎり~

 良二はすっかり暗くなった道を小走りで駆け、家へと向かっていた。すでに時刻は夜の十時を回っており、空には丸い月が上っている。


「しまった……」


 今日はゼミの仕事があるのを忘れていたのだ。すでに四年生はほとんどが就活や卒論に駆り出されているため、主軸になるのは良二たち三年である。

 そのため、こんな時間まで来年度の予算やゼミの新入生歓迎のプレゼンを考えていたのだが、その結果帰るのがだいぶ遅くなってしまったのだ。


「ディシディアさん。怒ってるかなぁ……」


 一応連絡を入れた時は落ち着いた口調だったが、本来なら今日は一緒に料理をする予定だったのだ。彼は家で待つ彼女の顔を思い浮かべつつ、さらに足を急がせる。

 耳元で風を切る音を聞きながら全速力で地を蹴る。普段あまり運動しないのがたたったかわき腹部分に鈍痛を感じるが、それでも彼は懸命に走った。

 そうして、ようやく家に到着するころにはすでに良二は汗だくになっており、肩で息をしていた。


「は、早く帰らなきゃ……」


 階段を二段飛ばしで駆けあがり、ガチャリと鍵を開ける。そうして蹴破らんばかりの勢いでドアを開けるなり、良二はぽかんと口を開けた。

 てっきり腹を空かせて待っているだろうと思ったディシディアはテーブルに顔をつけてすやすやと心地よさそうな寝息を立てている。どうやらうたた寝してしまったらしく、テレビはつけっぱなしだった。


「……ただいま」


 良二は苦笑しながら、そっと家に上り込む。ディシディアは爆睡しており、足音を立てても起きる素振りすら見せなかった。

 良二はほっとしたやら、少し残念なような気分になりつつ荷物を部屋の隅に置いてテレビを消す。そうして、まずは汗だくの体を流すべく風呂場へと向かっていった。


 ――それから数十分後。風呂から上がった彼はトコトコと居間に歩み寄り、ディシディアを見やる。


(こうしていると、本当に子どもみたいだ……)


 もものような頬は微かに上気しており、その小さな体に手を置くと優しい温もりと彼女の鼓動が返ってきた。良二はそれに妙な安心感を覚えつつふすまから毛布を取り出し、彼女にそっとかけてやる。


「うぅん……」


 その時、彼女の眉が微かにピクリと動いた。だが、起きることはない。

 良二はほっと胸を撫で下ろし、ふと台所の方に目をやった。どうやら夕食はちゃんととっていたらしく、お茶碗が水に浸けられている。


「じゃあ、後は俺だけか……よっこいしょっと」


 彼はそっと立ち上がり、まずは冷蔵庫に立ち寄る。

 とりあえず、今日は疲れているし簡単なもので済まそう。

 そんなことを考えながら冷蔵庫の扉を開け――良二は思わず目を丸くした。


「これは……おにぎり?」


 彼の眼前にあったのは長方形の皿に乗せられた三角形の物体。三つとも形はやや歪だが、海苔の下から覗く白米を見るにおにぎりであることは疑いようがない。ラップもちゃんとかけられており、保存が効くようにもされていた。


「もしかして……」


 良二はおにぎりを取りつつ、ちらと居間を見やった。これを作ったと思われるディシディアは心地よさ気な寝息を立てており、彼が視線を向けていることにすら気づかない。

 が、


「……ありがとうございます。ディシディアさん」


 良二は静かに感謝の言葉を呟き、おにぎりをレンジに入れて温める。その間にコップやお茶などをテーブルに並べ、チーンッという音が鳴ると同時にレンジの中からおにぎりを取り出した。

 そうして急ぎ足で居間へと戻り、静かに手を合わせる。


「いただきます」


 ラップを剥がし、三つある内のおにぎりの一つを口に入れた。

 その瞬間、良二は口元を綻ばせる。


「あぁ……いいな、こういうの」


 味付けはシンプルな塩。抜群の塩加減だ。それがお茶と相性もよく、バクバクと喰える。

 少々形は悪いし米は固く握られているが、それでもディシディアの懸命さが伝わってくる品だ。良二は早速一つ目を平らげた後で今度は二つ目を口にする。


「あ、これって……梅干しだ」


 しかも食べやすいように種は取ってある。ほぐし梅の酸味が疲れた体に心地よく、思わずにやけてしまった。

 おにぎりというのは、簡単に見え実は意外に難しい料理だ。綺麗な三角形に握るにはそれなりの技術と慣れがいるし、何より力加減などはおにぎりの出来を決める重要なファクターの一つだ。

 正直、ディシディアは知識はともかくとして経験の方が足りていない。味付け以外は平均以下だろう。

 しかし、それを上回るほどの努力と食べる側への配慮がうかがえる。

 梅をほぐしたり、塩加減を調整して健康にも気を使ったりと、技術で劣る部分はそれらでカバーしようという気概が見えた。それだけで、良二は胸がポカポカするような錯覚を得てしまう。

 彼はもはやにやけ顔を隠すこともなく次のおにぎりを口に運び、またしても顔を綻ばせる。

 中に入っていた具は甘辛い昆布の佃煮だ。こってりと濃厚な口当たりで、体にエネルギーが漲っていくのがわかる。

 さらに、おにぎりは固すぎず、柔らかすぎない。ちょうどいい力加減で握られていた。その完成度の高さに、良二は驚嘆しながらもぐもぐとおにぎりを咀嚼する。

 やや大きめに握られたおにぎりは食べ盛りの彼を思いやってのことだろう。良二は指に付いた米粒まで取って口に運んでから、満足げに息を吐く。


「ご馳走様でした」


「……おそまつさま」


「ッ!?」


 ふと耳朶を売った声にその場で飛び上がる良二。一拍置いて、クスクスという可愛らしい声が耳朶を打った。


「お、起きてたんですか?」


 寝ぼけ眼を擦りながらテーブルに頬杖をつくディシディアはふりふりと首を揺らす。


「いいや、今さっき起きたところさ。君が、最後の一つを食べたあたりかな? ……で? どうだったかな? 正直、あまり上手くできなかったんだ……すまないね」


「そんなことありませんよ。とってもおいしかったです」


「世事はよせ」


 ぴしゃりと言われ、良二はグッと息を呑む。が、数秒後、やや恥ずかしそうに頭を掻きながら、


「……まぁ、確かにまだまだなところはありましたけど、ディシディアさんが一生懸命作ってくれたってだけで俺は嬉しいですし、美味しく感じましたよ……ご馳走様でした」


 ぺこりと頭を下げる。すでに彼の顔はリンゴのように真っ赤になっていた。

 ディシディアは嬉しそうに耳を上下させながら、トントンと彼の肩を優しく叩く。


「顔を上げなさい、リョージ」


「はい?」


 と、彼が顔を上げた次の瞬間。

 ディシディアの細く白い指が彼の方に伸びてきて、口元についていた米粒をかっさらっていく。

 彼女はぺろりと自分の指を舐めつつ、


「ありがとう、リョージ。よければ、今度はちゃんと作り方を教えてくれ」


「……えぇ、もちろん。俺でよければ教えますよ」


「ふふ、助かるよ。さぁ、今日は疲れただろう。早めに寝るとするか」


 ディシディアは気だるそうにしながらも立ち上がり洗面台に向かっていく。

 その時、彼女はこれまでにないほど嬉しそうな顔をしていたのだが……それを知っているのは彼女と洗面所の鏡だけだった。


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