第七十六話目~ピザ風クロックムッシュと優雅な昼~
昼時、ディシディアはまたしても商店街に赴いていた。昨日と同じく活気に満ち、ここにいるだけで元気をもらえるような錯覚すら覚える。
彼女は新しく買ったばかりの秋物のワンピースの裾をはためかせながらその中を歩いていく。栗色のそれは彼女が元々纏う雰囲気と相まって人々に大人びた印象を与えていた。
「さて、もうやっているだろうか?」
腕時計をチラリと見れば、今は午前十一時。昨日よりもやや早めだ。
彼女も早くあのパン屋の味を楽しみたいのだろう。耳をピコピコとさせながらスキップ気味に歩いていく。気づけば、鼻歌までも歌っているほどだった。
そうしてしばらく歩いた頃、見覚えのある看板が見えた。彼女はそれを見るなり、パァッと顔を輝かせる。
どうやらもう店は開いているようで、そこからは芳しい匂いが漂ってきていた。それだけで腹の虫たちが騒ぎ出し、ディシディアは急かされるように店の戸を開く。
「いらっしゃいま……あ、昨日の……」
「む。そういう君こそ、昨日会った子じゃないか」
ディシディアの視線の先にいたのは一人の少女。相も変わらず目元は波打つ黒髪で隠れているものの、その口元は笑みの形に歪んでいた。
彼女はぺこりと恭しく一礼した後で、
「あ、あの、またいらしてくれたんですね……」
蚊が泣くような声で語りかけてきた。ディシディアはそんな彼女に対して大きく頷き、トングをカチカチと鳴らしてみせる。
「あぁ。ちょっとハマったみたいだ。この前オススメしてもらったの、中々美味しかったよ」
それを聞いた彼女は嬉しそうに手を胸の前で打ち合わせ、体を震わせた。
少しばかりおどおどした感じがする少女だが、根は優しい子らしい。ディシディアは胸に温かさを覚えながら、彼女の方に歩み寄った。
「で、だ。正直、これだけの中から選ぶのは私でも厳しい。だから、また君のオススメを教えてくれないかな?」
「も、もちろんです! 私のオススメは……『ピザ風クロックムッシュ』なんて、どうですか?」
彼女が指さす先には『ピザ風クロックムッシュ』というポップなラベルと三角形にスライスされたサンドイッチの様なものが置かれていた。
「クロックムッシュ?」
聞き慣れぬ言葉にディシディアが首を傾げると、すぐさま説明が入れられる。
「か、簡単に言うとサンドイッチみたいなものです。本当はハムやチーズを挟んで焼くんですけど、今回はピザ風なのでトマトソースやピーマンを入れてます」
「ほほぅ……じゃあ、もらおうかな。とりあえず、今日はこれだけでいい」
クロックムッシュはかなりボリュームがある。カットされているとはいえ、それでも食パン二枚分の量だ。
彼女はクロックムッシュをトレイの上に乗せ、レジへと向かっていく。それを受け、またしても女性は仰々しく礼をした。
「はい。では、二百円でございます」
ディシディアは代金を渡しつつ、彼女の胸元についているネームプレートを見やった。
「えぇと……君は……」
「あ、玲子です。一乗寺玲子。よ、よろしければあなたのお名前もうかがってよろしいですか?」
「もちろん。ディシディア・トスカだ」
「わぁ、やっぱり外国の方だったんですねぇ……」
玲子は若干驚いた様子を見せながらお釣りを渡してくる。ディシディアはそれをがま口の中に放り込んでから再び玲子に視線を戻した。
「しばらく私はここに通うと思うから、その時はまたオススメを教えてくれると頼む」
「そ、そんな、私でよければ、いつでも……」
彼女はわたわたとしながら手を振る。その時チラリと彼女の目が髪の隙間から覗き、ディシディアは目を丸くした。
サファイアを思わせる深い藍色の瞳は見ているだけで息を呑んでしまう。
だが、ディシディアが驚いたのは彼女のもう一つの目も見たからだ。
そちらはディシディアのエメラルドの瞳よりもさらに濃い、フォレストグリーンの瞳を持っていた。初めて見るその両眼に、ディシディアはハッとする。
(オッドアイ、だったか。なるほど……こちらの世界にもいるのか)
脳裏に浮かんだかつての友人のことを思い浮かべながら、ディシディアは何かを言おうと――したが、やがて静かに首を振る。
人と違う容姿をしているというのは、それだけでコンプレックスとなり得るものだ。それはディシディア自身よく知っている。
おそらく、彼女が両目を隠しているのもそのせいかもしれない。
そう考えた彼女はただ笑みを浮かべたままその場を後にした。
――さて、それからしばらくして。ディシディアは家に帰るなり大急ぎでレンジの元へと駆け寄ってクロックムッシュを放り込んだ。
昨日の反省から今回はキチンと飲み物も道中で買って家で楽しもうとしていたのだが、店を出たころはまだ温かかったクロックムッシュはすっかり冷めきっていた。
そのため、彼女は日課の手洗いをすることも忘れて一目散にクロックムッシュをレンジへと投入し、それからうがいと手洗いをしに台所に行く。
手を洗う頃にはチーンッという電子音が響き渡り、うがいを終えたディシディアはパタパタと上機嫌で台所へと向かう。
「さてさて……おぉ、いい出来だ」
彼女はほくそ笑みながらアツアツのクロックムッシュを皿の上に乗せ、続けて冷凍庫からあらかじめ冷やしておいたグラスを取り出し、頬にピタッと当てた。
「ふふ、早く飲むとするか……」
彼女はふんふん、と楽しそうに鼻歌を歌いながら皿とキンキンに冷えたコップ、それからビニール袋に入っている缶コーラを手に居間へと向かい、座布団の上に腰掛ける。
すでにクロックムッシュからはもうもうと湯気が上っており、断面からは熱せられてトロトロになったチーズが溢れてきていた。それがトマトソースと混じり合う香りはもはや暴力的と言えるものであり、思わず自制心が飛びそうになる。
が、
「さて、それでは……いただきます」
彼女はキチンと手を合わせてからクロックムッシュを手に取り、
「あつっ!」
反射的に落としてしまう。どうやら温める時間を間違ったようで、持つと火傷するかと思うほどだった。
彼女はふーふーと手に息を吐きかけつつ、台所に向かいフォークとナイフを取り出してまた居間へと戻った。
「さてさて、今度こそ……」
フォークを刺し、続けてナイフを入れてスゥッと断ち切る。
すると、中からトロ~ッとしたチーズが溶岩のように流れてきた。彼女はカットしたクロックムッシュにそれをたっぷりと絡め、一気に頬張る。
「~~~~~~っ!」
耳が千切れんばかりに上下し、彼女の口がキュッと窄まる。
アツアツのクロックムッシュとチーズが口内で一体となる瞬間はまさに天にも昇る美味さ。トマトソースはオレガノやバジルなどの香辛料が効いており、一層のコクが出ている。
バターと卵が染みたパンはキュッと味が引き締まっており、これが上手くチーズとソースのバランスを保っており、中に入れられた細切りにされたピーマンが仄かな苦みのアクセントを寄越す。
ベーコンもしっかりとした味わいで、他の食材に負けていない。
クロックムッシュをベースにしているおかげでただピザトーストにするよりもより深みとまろやかさが出ている。昨日食べたパンに負けず劣らず、相当の完成度だ。
ディシディアはその余韻が抜けないうちに急いでコーラをコップに注ぎ、続けてグイッと煽った。
「……ぷは~っ! うん……中々に合うな」
ピザとコーラの相性の良さは言わずもがな。シュワシュワとした炭酸が喉を下り、口の中をサッパリとさせてくれる。
そのおかげでまた新たな気持ちでクロックムッシュに臨むことができるのだ。
「にしても……ふふ。少しばかり、オシャレな気がするな」
もしここが家でなく喫茶店であったならば、きっともっとよかっただろう。木漏れ日の中、テラス席に座ってクロックムッシュを頬張る。想像しただけで胸が躍る光景だ。
「まぁ、こっちには別の楽しみがあるがね」
ディシディアはもぐもぐと咀嚼しつつ、リモコンを取ってテレビの電源を入れた。
映し出されるのはお昼のバラエティ番組だ。存外彼女はこちらの世界のお笑いについても興味があるらしく、それなりの頻度で見ている。
「いつかこういった芸能も見てみたいものだな……リョージを誘って行くとするか」
ディシディアほどではないが、良二も新しいものが好きである。事実、ディシディアが提案したことにはほとんど乗ってくれるし、楽しんでいる。
良二は少しばかり頭が固いところもあるが、基本は柔軟な性格で何事も楽しむことができている。それは彼の長所だ、とディシディアは常々思っていた。
「全く、彼が私の弟子だったらよかったのに……」
ぶつくさ言いつつ、ナイフを操る。彼女の故郷にいる弟子たちはそれこそ賢者となるために勉強ばかりしてきた者たちばかりであり、あまり外の世界に目を向けようとする者はいなかった。
まぁ、それは集落での生活を主とするエルフ族共通とも言えることかもしれないが、それでも彼女は息苦しさを感じずにはいられなかったのだ。
彼女はため息をついて空を見上げ、スゥッと目を細める。
「彼らも元気だろうか……いや、心配するだけ無駄か。仮にも私の弟子だ。簡単に死ぬような奴らじゃない」
彼女は少しばかり表情を陰らせたが、それを隠すようにグイッとコップを傾ける。
そうしてコーラを飲み干すと、ほぅっと満足げに胸を撫で下ろした。
「……ご馳走様。今回の品も上々だったな」
ディシディアは座ったままぐ~っと背伸びをして、頬杖をついてテレビを見る。
画面の中では芸人たちが突撃レポートをやっており、会場では笑いが起こっていた。ディシディアもそれを見て、クスリと笑ってしまう。
彼女はそんな自分に驚いたように目を丸くして、皮肉ったように口の端を歪めた。
「リョージの言う通り、私も随分ここに染まってしまったな。だが、悪くない。こうやってゆっくりすることも、あちらではできなかったからな」
彼女はだらんと身体を弛緩させ、安堵のため息をつく。
妙な解放感と心地よさを感じながら、彼女は冷たいコーラを煽った。