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第七十五話目~おやすみと黒糖まんじゅう~

 すっかり夜も更けたころ、ディシディアと良二は肩を並べて台所に立っていた。良二は水滴の付いた皿を布巾で丁寧に拭いつつ、横で台座に乗りつつ皿を洗っているディシディアに視線を移した。


「にしても、意外に似合いますね……」


「ふふ、そうだろう?」


 彼女は「えへん」と言わんばかりに胸を反らし、耳をピコピコさせる。

 今、彼女が身に纏っているのは割烹着だ。以前珠江からもらったものだが、これが中々どうして板についているのだ。

 元々彼女は形から入るタイプということもあり、家事をするときには基本この割烹着を着用しているのだが、いかんせん見た目は完全に幼女であるためチグハグ感は否めない。

 ただ、それを差し引いてもとてつもなく可愛らしいのは事実だ。良二は少しだけ頬を染めつつ、洗い物に戻る。


「ところで、学校はどうだった?」


「楽しかったですよ。久々に友人たちにも会えましたし」


「授業はあったのかな?」


「いや、最初のガイダンスだったんで案外さらっと終わりましたよ。まぁ、履修登録とかで時間をとったんですけどね……」


 良二は泡のついた鼻先を服の袖で拭い、水道の蛇口をキュッと閉める。ディシディアもタオルで手をよく洗ってから、台からぴょんと飛び降りた。


「っと、危ない」


 が、勢いがつきすぎてつんのめってしまった彼女の体を良二がとっさに両手で支える。ディシディアは苦笑しながら、前掛けを外す。


「ありがとう。やはり、この体は不便だね」


「大丈夫ですよ。俺が代わりに頑張りますから」


「ふふ、頼もしいことだ」


 あまり口には出さないが、ディシディアは自身の体に若干のコンプレックスがある。

 同い年のエルフたちに比べても明らかに小柄で、それが所以で『忌み子』扱いが加速した経緯だってあるのだ。無理はない。

 良二はそれをわかっているからこそ、キッパリと告げたのだ。

 ディシディアも彼の心遣いを嬉しく思っているのか、頬を緩ませている。

 彼女は前掛けをクルクルと折りたたんでから、ハッとして途端に目を輝かせた。


「なぁ、リョージ。そういえば、今日いい店を見つけたんだ」


「へぇ。どんな店ですか?」


「商店街にあるパン屋だ。昼食はそこで買ったのだが、これが中々に美味かったんだ」


 その後、ディシディアは拳を振るっていかにそのパン屋が素晴らしかったかを熱弁し、いつしか良二もそれに引き込まれてうんうんと唸っていた。


「なら、いつか行ってみたいですね」


 二人分の布団を出しながら良二が言うと、ディシディアがドンと自分の胸を叩いた。


「あぁ、その時は是非私に案内させてくれ。次の休みはいつだい?」


「えっと……次の土曜日ですね。日曜でもいいですけど」


「よし、決まりだな。その日に一緒に行こう。まぁ、私はこれからも通うがね」


 よほど気に入ったらしい。ディシディアは珍しく興奮しているようだった。

 出来立てのパンを食べたのだから、それも仕方ないとも言えるかもしれない。実際、虜になるだけの魅力はあったのだから。

 カリカリのチーズベーコンエピや、とろとろのチョコが溢れてくるチョコパンなど、思い起こすだけでよだれが滝のように溢れてくる。

 ディシディアは緩む顔を彼に見られまいと顔を背けた後で口元を手の甲で拭った。

 一方の良二は今から行くのが待ちきれないのか、そわそわしている様子である。

 それぞれ違ったリアクションを見せつつも二人は布団を並べ、入ろうとする。


「あ、ちょっと待ってください」


 その時、良二がポツリと呟き、部屋の隅に置いてある鞄の元に歩み寄った。


「どうしたんだい? もしかして、宿題が出ているのかな?」


「いやいや、違いますよ。お土産をもらってきてたんです。ほら」


「む? なんだい、それは?」


 彼が鞄から出したのはこげ茶色の物体だった。一口サイズのコロコロとしたものがビニールで包まれている。ディシディアは目を丸くしながらもそれをジロジロと観察していた。

 良二は苦笑しながらも、説明を寄越す。


「友達が持ってきてくれたんですよ。なんでも、旅行に行っていたらしくて。あ、ちなみにこれは『黒糖まんじゅう』って言うものですよ」


「ほほぅ。美味しそうだが……もう歯磨きをしてしまったしな」


 ディシディアは「しまった」といった感じで顔をしかめつつ頭を掻いた。

 が、対する良二は悪そうな顔になってディシディアの耳元でそっと囁いた。


「食べてから歯磨きをすればいいんですよ……ほら、食べましょう? あまり時間を置くと固くなって美味しくなくなっちゃいますよ?」


「ぐ……むぅ。なら、仕方ないな」


 と言いつつも、彼女はどこか嬉しそうに頬を染めていた。良二はそんな彼女の手にポンと黒糖まんじゅうを置いてやる。


「小さいな。だが、ちょっと可愛い気がするよ」


 ディシディアは黒糖まんじゅうを掌で弄びつつ、そんなことを呟いた。

 実際、一口サイズのまんじゅうはコロコロとしていて愛嬌のあるフォルムをしている。

 ディシディアは慎重に包装を取り、瞑目した。


「いただきます」


 言うが早いか、彼女はまんじゅうをひょいっと口に放る。

 その瞬間、黒糖のコクのある甘味がふわりと鼻を抜けた。

 しっとりとした生地には黒糖が塗り込まれており、これが味をより一層深めている。全体的に優しい味わいで、今日一日疲れた体にじんわりと染みわたっていくようだ。

 べたつかず、さらりと舌の上で溶けていくあんこは甘すぎず、ちょうどよい塩梅になっている。さらに、しかもこれが生地と絶妙にマッチするのだ。

 ややほろ苦い黒糖入りの生地と、優しい甘さをしたあんこが互いのよさを引き立てあっている。苦さの後に甘さが来て、咀嚼していくうちにそれらが混然一体になっていくのだ。

 おそらく、和菓子界の中でもこのタッグはかなり上位に食い込めるだろう。

 だが、不満があるとすれば一つ。


「……ちょっと、物足りないな」


 一つだけでは、どうしても不完全燃焼気味になってしまう。

 それに、どうせなら夕食後すぐに食べるべきだっただろう。

 それならば食後のデザートとしては十分すぎるほどの満足感はあったはずだし、湯を沸かして茶を入れることもできた。

 まぁ、お土産としてもらったものであるし、ぜいたくは言えない。それに、食後に思い至らなかったのは完全にこちらの不手際だ。


「まぁ、もう過ぎたことだ。それより、早く歯磨きをしなければな」


 ディシディアはポンと手を合わせるなり、洗面所へと向かっていく。良二もその後を追い、歯ブラシを取った。

 ディシディアは良二の前に立ち、シャコシャコと歯を磨いている。最初は歯ブラシや歯磨き粉にすら驚いていた彼女だが、ずいぶん慣れたものである。

 おそらく、この光景だけを見れば誰も彼女が異世界から来たなどとは信じないだろう。それほど違和感のない姿だった。


「……ふぅ。では、明日もあるし、早めに寝るとするか」


「そうですね。俺もちょっと疲れたので、今日は寝ます」


 二人はトコトコと居間へと向かっていく。ディシディアは一足先に布団へと潜り込み、良二は部屋の照明に手をかけた。


「じゃあ、ディシディアさん。おやすみなさい」


「おやすみ、リョージ」


 パチッという音と共に部屋の照明が落ちた。良二は暗闇の中で目を凝らしながら自分の布団に入り、ほぅっと息を吐いて横を見やる。

 と、ちょうどこちらを見ていたディシディアと目があった。

 二人はしばし見つめあった後で、同時にクスッと笑う。


「どうしたんだい、リョージ?」


「いや、なんかディシディアさんも随分この世界に馴染んだなって思いまして。商店街の人たちとも顔見知りになっているみたいですし、家事とかもできるようになってきてますから」


「言われてみれば、そうだな。この枕とももう長い付き合いになったものだ」


 彼女は愛おしげに枕を撫で、目を細める。良二は笑い声を抑えながら、静かに彼女の方へと手を伸ばした。


「あの……ディシディアさん」


 彼女の白い指が絡められる。その温かく優しい手つきに心を奪われる間もなく、彼女の小さな唇が微かに動くのが目に入った。


「どうした?」


「ちょっとだけ、そっちに行ってもいいですか?」


 暗闇の中でもわかるほど顔を赤くしている良二を見ているとどうしようもなく愛おしくなり、ディシディアは赤子を抱き母親のように両手を広げてみせる。


「構わないよ。おいで」


「ありがとうございます……」


 良二は体をもぞもぞと動かして、ディシディアの方に寄る。一方の彼女も体を捩って距離を詰めていき、気づけば額が着かんばかりの距離になっていて、二人はまたしてもぷっと噴き出した。


「はは、近いですね」


「あぁ。だが、私は好きだよ。君と一緒に、こうやって布団を並べて寝るのは」


 そう告げる彼女の目はやや潤んでいた。

 大賢者となって以降、ほぼ軟禁されていた彼女である。寝食は他の弟子たちとすらとることができず、いつも一人だったのだ。

 だから、今こうやって誰かがいてくれるというのはとても安心感のあることなのだろう。

 良二はそんな彼女に対して満面の笑みを浮かべ――


「俺もですよ」


 とだけ呟いて目を瞑った。


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