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第七十四話目~出来立てチーズベーコンエピとふわふわチョコパン おまけを添えて~

「……よし。これで一通り終わったかな?」


 割烹着を身に纏ったディシディアは腰に手を当て、風で揺らめく洗濯物たちを眺めながら満足げに鼻を鳴らした。

 元々彼女はサバイバル生活を送っていた経験などもあって家事スキルはそれなりにある。ただ、こちらの機械が使いこなせなかっただけだ。しかし今では良二に教わったおかげかだいぶそれらの扱いも慣れてきており、料理以外の家事はそれなりのレベルまで来ていた。


「にしても、今日もいい天気だ……どうせなら、リョージと散歩にでも行きたかったな」


 空は雲一つない青空。頬を撫でる優しい風が秋の到来を告げてくれる。気候も穏やかで過ごしやすく、気を抜けば縁側で昼寝しそうなほどだった。

 が、彼女はグッと腰だめに手を構えてキッと目を細める。


「いや、たまには一人で散歩にでも行こう。やはり、運動をしておかなくてはな……」


 彼女は自分の二の腕の肉を掴みつつ大きな吐息を吐き、カーテンをシャッと勢いよく閉めた。


 ――さて、それから数十分後。ディシディアは商店街を歩いていた。

 今日はハーフパンツにTシャツという非常にカジュアルな格好だ。耳にはアメリカ土産の三日月形のイヤリングを着け、商店街を闊歩していく。

 その間ずっと、彼女はすれ違う人たちや店先にいる人たちからの視線を浴びていた。が、ディシディアにとって、それは不快なものではない。むしろ、好意的なものだ。

 彼女はきょろきょろと辺りを見渡していると、巨大な魚を模した看板を掲げている店――たい焼き屋の主人とバッチリ目があった。彼はギロリと目を輝かせ、ブンブンと激しく手を振ってくる。


「よう! ディシディアの嬢ちゃん! たい焼き喰ってくかい!?」


「いいや、今日は遠慮しておくよ」


「おいおい、他の店に浮気しないでくれよ!」


「ははは、わかっているとも」


 彼女はたい焼き屋の店主の勧誘を断り、先へと歩いていこうとする。が、そこでたい焼きの甘く胃袋に直接訴えかけてくるような香りが鼻孔をくすぐり、意識を揺らした。

 ディシディアは一瞬たい焼き屋の店先に視線を戻しかけたものの、すぐに視線を外して目を閉じる。


(できれば、今日はまだ食べてないものが食べたいな……)


 たい焼き屋には依然訪れて以降、暇があればたびたび買いに来ている。それくらいには好きだが、今日は食べる気分ではないらしい。

 ディシディアはたい焼きの匂いが届かない圏内までやってきたところでほっと胸を撫で下ろした。その直後、


「あら、ディシディアちゃん。今日はひとりなの?」


 ふと、声をかけられてディシディアはハッと後ろを振り返り、ひょいっと手を上げた。


「やぁ、珠江か。あぁ。リョージは学校に行っているのでね。私は留守番さ」


 そこにいたのは行きつけの居酒屋の若女将、珠江だった。彼女が支えているママチャリの籠にはどっさりと荷物が詰め込まれている。どうやら、買い出しに来たらしかった。

 彼女はディシディアの言葉を聞いて驚いたように目を見開くも、続けて慈母のように温かに微笑みかけた。


「あら、そうなの? じゃあ、私のお店に来る? せっかくだからご馳走するわよ?」


「……いや、今日は遠慮しておくよ。今日はこの商店街を見て回りたいんだ」


 珠江の提案は確かに魅力的だった。

 彼女の店の料理の品は全て極上のものであり、ディシディアの大好物でもある。

 だが、今日はなぜだかこの商店街で買い物をしてみたくなっていたのだ。

 ディシディアは申し訳なさそうに頭を掻いたが、一方の珠江は大して気にした様子もなくひらひらと手を振った。


「いいのよ。そんな気分の時もたまにはあるわよね。まぁ、気が向いたらいつでも来てちょうだい。私たち夫婦にとって良くんやディシディアちゃんは子どもみたいなものなんだから」


「ありがとう。その時は是非ご馳走になるよ。じゃあ、気をつけて帰るように」


「はいはい。ディシディアちゃんもね? それじゃ、バイバイ」


 珠江は最後までニコニコしながら去っていった。ディシディアは彼女に手を振った後で少しだけ嬉しそうに口角を歪ませる。


「……やはり優しいな、珠江は」


 珠江たち夫婦は人情味に溢れている。あの店が繁盛しているのは決して味だけが理由ではなく、二人の人となりも関係しているだろう。実際、ディシディアにとってあそこは良二の家の次に安らげる場所なのだ。

 ディシディアはふぅっと空に向かって息を吐いてからまた歩きはじめる。

 昼時の商店街は非常に活気に満ちていて、こちらまで元気をもらえるかのようだ。

 あちらこちらで客引きの声が上がり、買い物帰りの主婦たちの井戸端会議が聞こえてくる。このアットホームな雰囲気が、ディシディアは存外好きだった。


「にしても、何を食べようか……」


 商店街はそれなりに品ぞろえも豊富である。

 洋食屋もあるし、蕎麦屋や中華料理屋だってある。無論、金のことを心配する必要はない。選択肢は無限大だ。

 だからこそ、悩む。しかも今日はアドバイザー役を買って出てくれる良二がいない。

 もしハズレを引けば自己責任。アタリを引けばいいだけ、と思うかもしれないが、彼女はまだこの世界の知識に疎い。

 だから料理名だけしか載っていないような店に入ってしまえば、即アウトだ。後は運に任せて注文することしかできない。

 彼女は一旦道の脇に寄り、悩ましげに呻いた。

 頭の中では無数の食べ物たちがぐるぐると回っている。

 しかし、イマイチ「これだ!」と思えるものはなかった。


「……どうしたものか」


 そう彼女が呟いた時、どこからか香ばしいが漂ってきた。いや、それだけじゃない。チョコのような甘い匂いやカレーのような匂いも混じっている。

 初めて家具匂いの連続に戸惑いながらディシディアは鼻をひくつかせ、その発信源を見やる。するとそこにあったのは……お洒落な立て看板がかけられたパン屋だった。


「パン屋か……なるほど。いいかもしれないな」


 パン屋なら、パンが実際に置かれているわけだし、注文を失敗するリスクもない。さらに、種類が豊富なパンが揃っているので多くの味を楽しむことができる。

 まさに、今の状況にはうってつけだ。

 ディシディアはすぐさまそちらに寄り、ドアを開く。カランカラン、と小気味よい音が鳴ると同時「いらっしゃいませ」と愛らしい衣装に身を包んだ女性店員が声をかけてきた。

 おそらく、年の頃は良二よりも一つか二つか年下だろう。目は髪で隠れているものの、そのピンク色の唇は半月型に歪んでいる。

 彼女は胸の大きな膨らみをたゆませながら、ぺこりと頭を下げてきた。


「ど、どうぞ見ていってください!」


 若干上ずった、けれど懸命さが伝わる言葉にディシディアは口元を緩ませる。そうしてトレイとトングを取り、店内を見渡した。

 外装にたがわずオシャレな店内だ。壁には額縁に入れられた写真などが飾られ、床にはゴミ一つ落ちてない。やや狭いが、清潔感のある店内は非常に居心地がよく、これならばパンを選ぶ時の支障にならないだろう。


「さてさて、どれにしたものか……」


 パン屋に来たのは初めてだが、この店は小規模ながらかなりの品ぞろえだ、とディシディアは思う。

 鉄板のカレーパンや餡パン、メロンパンなどはもちろんのこと、ホットサンドやベーグル、タルトやラスクなど様々な品が所狭しと並べられていた。


「むぅ……目移りしてしまうな」


 意図せずトングをカチカチとさせながらディシディアが悩ましげに呻く。

 どれもこれも美味しそうだし、値段も手ごろだ。正直、この中から選ぶのは至難の業である。

 そうしてディシディアがしばらく葛藤していると、


「あ、あの、オススメはこちらの『ふわふわチョコパン』ですよ……」


 と、カウンターの方から声をかけられた。女性店員は顔を真っ赤にしていたが、それでも自分の右手にあるチョコが入った白パンを指さしている。

 だからこそ、ディシディアも彼女に精いっぱいの笑顔を返す。


「ありがとう。では、これを頂こう。他にオススメはあるかい?」


「あ、は、はい! 『チーズベーコンエピ』はちょうど焼きたてなので、満足していただけると思います!」


 店員は恥ずかしそうに、けれど頼ってもらえたのが嬉しかったのかどこか意気揚々と告げる。ディシディアはそんな彼女に温かい眼差しを向けつつその二つをトレイに乗せ、レジへと向かった。


「どうもありがとう。助かったよ」


「い、いえ。私でよければ、いつでも……あ、お会計三百五十円になります。ポイントカードは作りますか? 三百円で一ポイントがついて、割引になるんですけど……」


「じゃあ、頼むよ。この店のリピーターになりそうだからね」


 ディシディアは愛嬌のあるウインクと共に代金を渡す。店員はしばしレジと格闘していたが、なんとかお釣りを取り出してディシディアの方へと渡す。


「あ、ありがとうございました!」


「こちらこそ。また来るよ」


「~~~~~~っ! はいっ! お待ちしてます!」


 彼女は感動に震えながら頭を下げてきた。ディシディアは彼女に手を振って店内を後にし、ビニール袋の中を見やる。と、そこには買ったパン以外にもう一つおまけとして別のパンが入っていた。


「いい店だ……また来よう」


 彼女はそれだけ言ってすたすたと歩きつつ、ビニール袋から出来立てのチーズベーコンエピを取り出した。確かに熱く、持つと思わず落としそうになったほどだ。

 が、何とかホールドし、ディシディアは器用に両手を合わせる。


「いただきます」


 ごくりと息を呑み、大口を開けてエピにかぶりつく。

 その瞬間、チーズでできた羽がサクッという快音を響かせ、続けて生地のモチモチ感が追いかけてきた。さらに顔を出したベーコンの旨みと油の甘みが絶妙にそれらと絡み合い、トドメと言わんばかりにブラックペッパーがピリリという刺激を与える。


「……美味い」


 彼女は放心状態で、目はとろんと潤んでいた。

 しかし、それも無理はない。このパンは出来立てだからこその美味さがあったのだから。

 おそらく、これは十分以上経っていても美味しく食べられただろう。

 だが、出来立ての品というのはどれもこれも抜群の美味さを発揮する。

 時間が経ちすぎていないおかげでチーズは臭みがなく、さらにカリカリサクサクの食感を一番いい状態で食べられている。

 生地やベーコンだってそうだ。生地は固くなるし、ベーコンはくどくなってしまうことがある。

 だから、なるべく早めに食べるのがベターなのだが……やはりベストなのは出来立てだ。

 チーズ、生地、ベーコン、ブラックペッパーがそれぞれ最大限のポテンシャルを発揮している、非常に満足感のある一品だ。

 顔がにやけるのを感じながらも、食べるのを止められない。ディシディアはあっという間にそれを完食してしまって、少しだけ残念そうに目を伏せた。


「むぅ……惜しいな。できれば、ワインと合わせたかったところだ」


 濃厚なチーズベーコンエピは白ワインなどと一緒に合わせれば最高だっただろう。チーズ、ベーコンといったつまみの大御所たちがタッグを組んでいるのだ。

 しかし、それはもう過ぎてしまったこと。ディシディアは続けてモチモチチョコパンを取り出す。これはチーズベーコンエピよりもやや熱い。それだけで期待感がむくむくと湧き上がってきた。


「では、早速」


 早いうちに食べなくては冷めてしまう。

 ディシディアはまたしてもパンにかぶりつき、今度はビクッと体を震わせた。

 生地が、驚くほど柔らかいのだ。

 弾力はあった。しかし、まるで豆腐のようにすぅっと抵抗なく噛み切れて口の中に納まり、続けて奥に潜んでいたマグマのごとき熱いチョコが奔流となって口の中を満たす。


「あ、あつっ!」


 口の中を火傷してしまいそうな熱さだ。ディシディアはふぅふぅと息を吐いて口の中のパンを冷ましてからごくりと嚥下し、再びチョコパンを見つめる。

 白パンベースのパンの中にたっぷりとチョコが加えられている。それは熱でトロットロに溶けており、それがふわっふわのパンとこれ以上ないほどのコンビネーションを叩きこんでくる。

 先ほどのチーズベーコンエピはより鋭くキリッとした味だったがこちらは違う。

 とてつもない甘さでガツンっと舌を殴りつけてくるような味だ。

 一口ごとのインパクトならば、こちらの方が断然上。それに、トロトロになったチョコがじんわりと舌の上に広がっていくのもポイントだ。それによって舌にいつまでも力強い味わいが残り、けれどそれを白パンが上手く中和する。

 白と黒。色合い的にも完璧な二つの食材を見事に纏め上げている。

 これぞ職人芸――そう思わざるを得ないほどの品だった。


「あぁ、参った……今度はミルクが飲みたくなってきたな……」


 アツアツのチョコとパンを口に含んだ状態でミルクをグイッと勢いよく煽れば、きっと最高の味わいだっただろう。

 ディシディアは若干悔しがったような顔をしていたが、すぐにチョコパンの魅力に引き戻されて笑顔になる。

 それもあっという間に食べ終えてしまったが、まだおまけでついてきたものがある。

 彼女はそれをひょいっと持ち上げ、口の端を歪ませた。

 やはりおまけだからか、一口サイズのパンだ。

 見た感じは――フレンチトーストか何かだろう。それが二つ組み合わさってサンドイッチのようになっており、真ん中の層は若干黄色い。ディシディアは微かなミルクの匂いを感じながら、それをひょいっと口に放り込んだ。

 直後、彼女の耳がピンと立った。


「ッ! これは……プリンが、挟まっているのか……?」


 間違いない。この味わいはプリンだ。

 トゥルトゥルとしたプリンがフレンチトーストの間に挟まっている。

 トーストのおかげで食べごたえも十分あり、さらに味が引き締まっていた。

 先ほどのチョコパンは力強い甘さだったが、こちらは優しい甘さ。

 噛み締めるとトーストに染みた卵や砂糖の味とプリンが同時に口の中で弾けて得も言われない。

 実に上品で、食べやすい品だ。


「あぁ……私としたことが、失敗だったな。あの店はあた……いや、大当たりだ!」


 彼女は力強く頷き、先ほど貰ったばかりのポイントカードを取り出す。

 割引になるには十回以上買い物をしなくてはいけないらしい。

 だが、彼女はもう十回以上の買い物をあそこですることを誓ったようで、不敵な笑みを湛えていた。


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