第七十二話目~二種のジェラートと大事な家族~
辺りは人でにぎわい、大量の食材が立ち並ぶ店では店員たちが大仰な売り文句を叫びあっている。もはや魔境といっても差し支えない場所――デパ地下に二人はいた。
「しかし、まるで市場のような賑わい方だな」
ディシディアは心底驚いたように呟き、リョージが押しているカートをちらと見やる。
籠には溢れんばかりの食材たちが詰め込まれ、カートを押す良二は少しだけ辛そうだった。ただでさえ人が多くて歩きにくいのだ。そこを重いカートを押して進むのは中々に重労働だろう。
「大丈夫かい?」
「もちろん。というか、めちゃくちゃ買いましたよね……」
「旅行に行く前にほとんど食べてしまったから、仕方ないだろう。まぁ、私も正直ここまでとは思っていなかったけどね」
彼女は肩を竦めて山のように盛られた食材たちの上に手をポンと置いた。
アメリカに行く前、腐ってはいけないからと冷蔵庫の中身を消費していたのだが、そのせいで今はまともなものが何一つない状態だった。しかも、出発前日にした酒盛りのせいで保存食もほとんど切れていたため、セールを行っていたデパ地下にやってきたのである。
ディシディアもデパ地下に来るのは初めてだ。いつも行くスーパーやコンビニとは違ったラインナップに彼女の目は自然にそちらを向く。
そこらの店よりも専門的なものが揃うデパ地下は彼女からすれば未知の宝庫だ。見たこともない野菜や魚などが立ち並び、試食コーナーまである。
その様はどことなくアルテラの市場に似ていた。だからこそ、ディシディアは自然と懐かしむような視線になってしまう。
(ディシディアさん、喜んでくれてるみたいでよかったな……)
一方の良二は興奮気味の彼女を見て満足げに微笑んでいた。
何かを勧めて喜んでもらえると嬉しいのは誰でも一緒だろう。特にディシディアは勧めればほとんどのものを試してくれるし、気に入ったらそれを態度で表してくれる。
彼女が人に好かれるのはもしかしたらそういうところがあるからかもしれない。
そんな彼女はポーチからメモを取り出し、籠の中の食材を確認してボールペンでチェックを入れていく。そうして全ての欄にバツを書きこんだ後で、しっかりと頷いた。
「よし、こんな所かな。後は会計だけだ」
「了解です」
良二はすぐさまカートを押してレジの方へと向かっていき、ポケットから財布を取り出して一万円札を取り出す。が、その時の彼の顔は苦しげなものだった。
人は旅行の時、概して気が大きくなるものである。良二も気をつけてはいたのだが、やはり勢いで買ってしまう場面が少なくなかった。
そのため、予想以上の出費になってしまったのだが、あいにく次の給料日までは後一か月近くある。そんな中で一万円札を出すのは相当気が引けたことだろう。
しかし、買わねば今日食べるものは少なくなってしまう。彼は苦虫を噛み潰したような顔になってレジの女性に一万円札を渡した。
「……はい。五千四百円のお釣りです」
「どうも」
渡されたお釣りを大事そうに財布に仕舞いこみ、彼ははぁ、と大きなため息をついた。
「別に、私が買ってあげてもよかったのだが?」
籠の中身をビニール袋に詰め込みつつディシディアが口を開く。彼女は愛用のがま口財布を掲げながら不敵な笑みを浮かべていた。
実際、彼女の財はまだまだ尽きない。アメリカ旅行でも相当使ったように思えるが、全体から見れば一パーセントにも満たないのだ。
しかし、ここで彼女に依存してはヒモ予備軍からプロヒモへと昇進してしまう。
それがわかっているからこそ良二はブンブンと首を振り、
「い、いや、いいですよ。まだやれますから」
これ以上追及されるのを避けるかのようにビニール袋をジッと見つめて食材を詰め込んでいく。ディシディアはまだ何か言いたそうだったがふぅ、と息を吐いて額に手を当てた。
「君は真面目だね。どこぞの誰かに見習わせたいものだよ」
「それは、ディシディアさんのご友人のことですか?」
「あぁ。私と旅をしていた、な。彼はいい奴だったのだが、いかんせん金銭感覚に疎くてね……勝手に旅費を使っては変なものを買ってきて、よく怒られていたよ……ふふ」
その時のことを思い出したのか、ディシディアはクスッと笑う。その時の彼女の横顔はどこか憂いを帯びていて、けれど楽しそうだった。
良二は空になった籠を所定の位置に戻し、二つ並んだビニール袋を両の手で持ち上げる。ずっしりとした重さが返ってきて、彼は思わずたたらを踏んだ。
「おっと。危ない。無理はしてないかい?」
ディシディアは彼の胸板を手で支えつつ、そんなことを問いかける。袋は張り裂けんばかりに膨らんでいて、見ているだけで重そうだ。
が、
「全然平気ですよ。さぁ、行きましょう」
良二はすぐに体勢を整え、先を歩いていく。ディシディアはトコトコと彼の方に駆け寄り、右手に持つ袋に手をかけた。
「私も手伝うよ」
「いやいや、ディシディアさんに持たせるわけにはいきませんよ。ここは俺が」
良二はサッと手を上げ、袋を持ち上げる。ディシディアは少しばかり不安げに眉根を寄せたが、しばらくしてため息交じりに肩を竦める。
「まぁ、いいか。では、ぼちぼち行こう」
すたすたと歩いていくディシディアの後を良二も追っていき、デパ地下を進んでいく。
が、ここはかなり広大でしかも混み合っている。カートを押している時には比べ物にならないほど体力を消耗し、良二はふぅふぅと荒い息をついていた。
そんな彼を横目で見たディシディアは顎に手を置いて考え込む仕草をし、ハッと顔を上げて前方に見える店を指さした。
「リョージ。あそこのベンチで少し休まないかい?」
「い、いや。俺はまだまだ……」
「いいから。私が休みたいんだ……ね? いいだろう?」
本当は違う。一旦ここで休憩を取った方が後々楽だと判断したからだ。
良二もそれを心のどこかで理解しつつ、ひとまずは黙って頷く。ディシディアは「素直でよろしい」とだけ言って一足先にベンチへと腰かけた。
「よっこいしょっと……ふぅ。人混みは疲れるな」
ディシディアが手で顔を煽ぎながら呟く。良二はうんうんと頷き、ぐるぐると肩を回した。それだけで少しは肩のコリがなくなったような気がする。彼は肩を優しく揉みつつ、ベンチが置かれているコーナーの近くのジェラート屋を見据えた。
そこには色とりどりのジェラートが並べられており、それはまさしく宝石箱のよう。ポップな看板なども合わさって非常にいい雰囲気の店だ。
「ちょっと買ってくるよ。君はここで休んでいてくれ」
ディシディアは彼に断りを入れ、店に立ち寄る。と、可愛らしい制服に身を包んだ売り子が愛嬌のある笑みを向けてきた。
「いらっしゃいませ。ご注文ですか?」
「あぁ。そうだな……ジェラートを二つ頼む」
「ダブルもありますが、シングルでよろしいですか?」
彼女が指さす先にはジェラートの絵。シングルは一つのジェラートが盛られたもので、ダブルは二種類のジェラートが盛られている。一つ分の量は同じくらいだが、値段の差はわずか数十円。確かに、これならばダブルを買った方が数倍お得だ。
「なら、ダブル一つに変更してくれ。味は……オススメで頼めるかい?」
「はい! なら、チョコバナナとマンゴチアシードソルベがお勧めですよ!」
「なら、それで」
「かしこまりました! 四百八十円でございます!」
ディシディアはがま口財布から代金を取り出し、レジに置く。売り子の少女は代金に手をつけようと――したが、何かを思い出したようにポンと手を打ちあわせる。
「ソースとトッピングが無料でできますが、いかがなさいますか?」
無料――その甘美な響きにディシディアに耳がピクリと揺れた。
「是非頼むよ。こちらもオススメで頼む」
「かしこまりました! なら、蜂蜜とトロピカルシードをトッピングしておきますね!」
彼女は手際よくジェラートを盛り付け、最後に蜂蜜と何かの種などをまぶしていく。さらに、スプーンに赤いジェラートをちょこんと乗せて渡してくれた。
「こちら、イチゴバナナの試食、おまけしておきますね」
「おぉ……ありがとう」
ディシディアは心底感激したようで目を煌かせていた。彼女は店員の手からカップを恭しく受け取った後、小走りで良二の元へと戻る。そうして、彼の横にサッと腰かけた。
「さぁ、一緒に食べよう。君のも買ってきたよ」
「ありがとうございます。じゃあ、いただきます」
「いただきます」
まずは買ってきたディシディアからスプーンを口に含む。
イチゴバナナの甘く、口がキュッとすぼまるような酸味は疲れた体にとても心地よい。彼女はそれを口の中でたっぷり堪能してから、チョコバナナジェラートを口に入れる。
「ッ!」
その瞬間、彼女の耳がピンッと張りつめた。
口の中を席巻するのは圧倒的なバナナの風味。まろやかな旨みがねっとりと舌に絡みつき、とてつもない満足感を与えてくれる。
これだけではやや単調なようにも思えるが、中に入っているカラースプレーチョコがいい仕事をしている。コリッとした食感と共にチョコの芳香を爆発させ、舌に刺激を与えてくれる。
「ディシディアさん。これも美味しいですよ」
良二が食べているのはマンゴーソルベだ。ディシディアは早速それをスプーンですくって口に運び、顔を綻ばせた。
糖度の高いマンゴーのフルーティーな香りが鼻を抜け、中に入っているチアシードのプチプチ食感がまた違ったアプローチを仕掛けてくる。やや酸味もあるが、むしろこれが癖になる。
ひんやりとしたジェラートは舌触りも滑らかで、思わず体が歓喜に震える。
二種のジェラートの趣向は正反対ながら、それが見事にマッチしている。それを実現させているのはかかっているはちみつだ。それが味をまろやかにして二つのジェラートを繋ぐ架け橋になっているのだ。
「トッピングのナッツ類もいいですね」
良二はナッツをたっぷりとジェラートに付けて食べている。
パンプキンシード、クルミ、はたまたドライマンゴーなどなど。どれもこれも違った良さがある。それを楽しめるのもジェラートの醍醐味だろう。
「美味いな……トッピング次第でまた違った感じになるかもしれない」
「確かに、トッピングって結構大事ですよね。次来るときがあったら色々チャレンジしましょうよ」
「それもそうだね。まぁ、その時は私がご馳走するよ」
「はは……いつもありがとうございます」
良二はやや困り顔で頭を下げた。それを見たディシディアは少しだけムスッと頬を膨らませ、彼の眉間をちょいと指でつついた。
「そんな顔をするな。どうせ奢るなら、笑ってもらった方が気持ちいい。それとも……もしかして、迷惑だったかな?」
「そんなことはないです!」
彼が大声で否定の言葉を述べた直後、その場にいた全員の視線がそちらを向く。良二は赤面して肩を縮ませつつ、小声で続けた。
「正直、すごく嬉しいんですけど、いつも奢ってもらって悪いなと思っているので……」
「君はまだちょっと遠慮が残っているね。まぁ、そこがいい所でもあるのだが、私としては笑っていてくれる方がいい。その方が、また奢りたくなるからね」
「じゃあ……これからはちょっとずつ慣れていきます」
「うん。そうしなさい。真面目なのはいいことだが、たまには甘えなさい……ただ、本当にどうしても気にしてしまうなら、その時は……そうだね。出世払いということにしておくよ」
ディシディアは心底嬉しそうな顔でコロコロと笑う。その時の彼女の顔は年相応に穏やかなものだった。
良二は笑いつつ、空になったカップをゴミ箱に入れて立ち上がった。
「よし。じゃあ、行きますか!」
「あぁ。もう大丈夫かい?」
「はい! 甘いもの食べて元気になったんで、全然オッケーですよ」
彼はグッと力こぶを作り、重そうな荷物を持ち上げる。先ほどまで辛そうな顔をしていた彼はすでにそこにはない。それを見たディシディアは満足そうに頷いた。
「そうそう。大体、君はまだ学生だ。そんな君に奢らせるのは私の沽券に関わる。それに、私が苦手な肉体労働ができるのはリョージ。君の特権だ。だから、ギブアンドテイクだと思ってくれればいい。第一、もう私たちは『家族』だろう? 遠慮するのはなしにしようじゃないか」
家族――その言葉に良二はわずかに身を強張らせた。
すでに二人はもう浅からぬ仲になっている。共に笑い、泣き、同じ釜の飯を食った。
これを家族と言わずして、なんと言う?
「……そう、ですね。俺たちって、もう家族みたいなものですよね」
「あぁ、そうだとも。私から見れば、君はまだ乳飲み子に毛が生えた程度だがね」
「俺から見ればディシディアさんはおばあちゃ……」
「リョージ。今まで君に貸したお金、今すぐ返してもらおうか?」
「すいませんでした」
良二はすぐさま頭を深々と下げる。わざとらしくジト目になっていたディシディアはそれを見てぷっと吹き出し、彼の髪をくしゃくしゃと撫でる。
その小さな手は確かに温かくて優しくて――かつて母に撫でてもらった時の記憶が呼び起された。
(あぁ……やっぱり、いいなぁ……)
良二は内心そんなことを思いながら静かに目を閉じる。
一方のディシディアは彼の髪質が案外気に入ったらしく、ニコニコしながら撫で続けていた。