第六十六話目~サヨナラチョコレートケーキ~
「それで? 次はどこに行くんだい?」
そう問いかけるディシディアはチーズ工場で売られていたアイスをペロペロと舐めている。チーズを扱うということで乳製品もかなり揃えられており、このアイスもその一つだ。
『マンチー・マッドネス』という名のアイスは甘いミルクとまろやかなチーズの風味が混じり合った良質の逸品だ。中には粒チョコやキャラメルなどがゴロゴロと入れられており、ボリューム感もたっぷりである。
しかもこれがコーンと合うのだ。サクサクのコーンと溶けかけのアイスが口の中で一体になっていく瞬間はまさに至福。あまりの美味さにディシディアは身を震わせたほどだ。
その様を微笑ましそうに眺めながら、カーラはピッと前方を指さした。
「映画館よ。二人とも、行きたがっていたでしょ?」
その言葉には二人が同時に頷く。
良二はかなりの映画好きだし、その影響を多分に受けているディシディアも相当の映画好きになっているのだ。だからこそ、二人は行きたがっていたのだが……いかんせん日程が合わなかった。
そのため、カーラたちが計らってここに連れてくる運びになったのである。が、カーラはやや不安げにディシディアの隣にある紙袋を見つめた。
「チーズを買ったのはいいけど……ずっと車内に置いていて大丈夫かしら?」
「心配ご無用。私に任せたまえ」
ここぞとばかりにディシディアは得意げに胸を張り、紙袋を持つ。そうしてぶつぶつと何かを呟いたかと思うとその手から淡い水色の光が放たれ、紙袋を包みこんだ。その眩しさに、隣に座っていた良二は思わず目を塞ぐ。
しかし、輝きは一瞬だった。おそるおそる目を開けた時には紙袋はなく、ディシディアはクスクスと子どものように陽気に笑っていた。
「紙袋を転移させた。もちろん、私たちの家の冷蔵庫にね」
出発前に酒盛りをしたおかげで冷蔵庫はスカスカだ。そのため、紙袋に入っていた程度のチーズならば容易に収まる。
「おぉ! すごいね、今の!」
初めて魔法を目にするケントとカーラは興奮気味だった。特にケントの食いつきはすさまじく、助手席から身を乗り出してディシディアの手を握ってくる。彼女は戸惑いながらも、彼の手を握り返していた。
「ほら、もう着くからちゃんと座ってちょうだい」
カーラからぴしゃりと言われ、ケントは渋々席に体を落ち着かせた。
それから数秒もしないうちに車はとある駐車場へと入り、動きを止める。
「さぁ、着いたわよ」
カーラの声を受け、ディシディアたちはすぐさま車から出た。そうして辺りを見渡していると、やや小さめの劇場のようなものが見えてくる。おそらく、あそこが映画館なのだろう。ややレトロな感じで、それなりにボロッちい。しかし、ディシディアは気に入ったようで目をキラキラと輝かせていた。
「じゃあ、行きましょうか」
彼女の心情を察した良二が歩き出すと、その横にディシディアが並んでくる。彼女は上目遣いになって満面の笑みを浮かべた。それを見ているとなんだか心が温かくなって、良二もつい笑みを浮かべてしまう。
「こちらの映画館はどんな感じなんですかね?」
「できれば、美味しいポップコーンがあればいいな」
「って、また食べ物ですか!」
ツッコミを入れつつ、二人は中へと足を踏み入れる。そこはいかにも映画館、といった空間だった。
チケット売り場があって、売店は人で賑わっており、壁には映画のポスターが張られていて、地面にはポップコーンが散乱している。ちょうど今ディシディアたちの眼前で幼い男の子が転んでぶちまけたところだ。
「じゃあ、俺はチケットを買ってくるよ。みんなはポップコーンでも買っておいて」
ケントはポンと良二の肩を叩いてからチケット売り場へと向かっていく。彼を見送ってから三人は売店の列に並び、上に掲げられた商品の写真を見やった。
「どれが食べたい? 何でも頼んでいいわよ?」
「じゃあ……俺はポップコーンの一番大きいサイズで」
「私もそれで頼む。できれば、塩味で」
「あぁ、ごめんなさい……塩味はないのよ。でも、ほら。あっちで味付けができるの」
カーラが指差すのは円柱型の台だ。そこにはいくつかの筒のようなものが並んでいる。
「よかったら、見てきたら? 私が買っておくから」
「ありがとう、カーラ。では、行ってくるよ。さぁ、リョージ」
ディシディアは良二の手を取り、台の方へと寄っていく。それはディシディアの身長よりもやや高いものだったので彼女は少しだけ背伸びをしてその上を見やり――目を丸くした。
「これは、チーズパウダー? こっちは塩に、胡椒……」
「こっちはガーリックシーズニング? これで味付けしろってことなんですかね?」
「……たぶん、そうだろうな。自分好みにアレンジできるのか。それも面白いな」
彼女は手に持っている塩と胡椒の入った容器を交互に見やりながらポツリと呟く。
アメリカではこのように自分流のアレンジをすることが可能だ。だから、複数の調味料で味付けしたり、味の濃淡を決めることができる。これはかなり大きなメリットだろう。
「お待たせ! 買ってきたわよ!」
「あ、カーラさん……って、そのサイズは……ッ!」
良二は振り返るなり、笑顔をピキリと凍らせる。カーラは両手に大きなポップコーンの容器を抱えており、それは日本のものとは比べ物にならないほど巨大だった。
「あっちに飲み物の容器を置いてるから、ちょっと持っててね」
「む、お、おぉ……」
渡されたディシディアは持つのも精一杯で落としそうになっていた。それを見かねた良二が慌てて台の上に置いてやり、ひと段落。そこで彼女はようやくポップコーンに視線を戻した。
「このサイズは……ありえないだろう」
日本のLサイズの二倍以上の大きさを誇る容器にこんもりとポップコーンが盛られている。ホカホカと湯気を上げ続けるそれは美味そうではあったが、それよりもまず『デカい』という感想が二人の頭に浮かんだ。
「これ、食べられますかね?」
「……もう昼ごはんはポップコーンで決まりだな」
ディシディアは珍しく頬を引くつかせていた。ここまでの大きさだとは想像もしていなかったのだろう。彼女は苦笑しながらシーズニングを一通りポップコーンにかけていき、一方の良二は塩単一の味付けだ。ポップコーンにはバターが塗られているので塩などが簡単に付着する。そのため、味付けは比較的簡単なのだ。
「二人とも。あっちでドリンクを選んできて」
ふと声がして、続けて台にこれまた巨大なドリンクの容器が置かれる。太くてディシディアでは持てなかったほどだ。仕方ないので良二が二つ持つことになり、奥にあるドリンクバーらしき機械の元へと歩み寄る。
「好きなドリンクを選んで。たっぷり入れていいわよ」
このシステムも新鮮だ。この投槍っぷりもアメリカらしいと言えばらしいのかもしれない。
良二は定番のコーラを注ぎ、ディシディアはルートビアをなみなみと注いだ。
「嫌いじゃなかったんですか?」
「いや、なんだか飲みたくなってね。意外にハマったかもしれない」
彼女は照れ臭そうに言い、ひょいと肩を竦めてみせる。その頃にはケントもチケットを買ってきており、すでに中へ入れる準備は整っていた。
ケントはグッと拳を振り上げ、意気揚々と声を張る。
「それじゃあ、行こうか!」
「ケント。静かにしなさい」
またしてもカーラから叱られ肩を落とすケント。そんな彼を見て笑いながら一同は『五番スクリーン』と書かれた場所へと足を踏み入れる。
「おぉ……お?」
入るなり、ディシディアはキョトンと首を傾げた。だが、それもそうだろう。館内は非常に狭く、ともすれば高校や大学の大教室よりも小さいかもしれない。そこにぎゅうぎゅうと人が入っている様子は、混雑が苦手な彼女にとってはゾッとするほどだっただろう。
だが、彼女はハッとした様子でケントの方へと振り返る。
「せ、席はどこだい?」
「ん? ほら、あそこ。ちょうど空いてるからあそこに座ろう」
彼のいい方から察すると、もしかしたら自由席なのかもしれない。
立て続けに起こるカルチャーショックにディシディアも良二もノックアウト寸前だった。が、そんな彼女たちに構わずケントたちは一番前の席に着席。良二たちもふらふらとおぼつかない足取りになりながらもそこに座った。
そうして数分もしないうちにブザーが鳴り、スクリーンに映像が投影される。
その後、良二たちは首の痛みと戦いながら映画を観賞することになった。
それから数時間後。ディシディアは満面の笑みで劇場を後にしていた。
確かにスクリーンとの距離が数メートル程度だったので首が痛くなってはいたが、それを差し引いても面白い映画だった。
『アリオトコ』というタイトルのヒーロー映画だったが、中々に引き込まれるものだった。造りも素晴らしいし、カメラワークだって図抜けている。時折交えられるユーモアも抜群だ。
ただ、ディシディアの印象に残っているのは劇場の雰囲気でもあるようだった。
普通、日本の映画館は静かな印象だろう。だが、映画が始まり、ユーモラスな場面が流れると観客は大笑いするし、悪役が非道な真似をすればブーイングまで起こる。
最初は少し気になっていたが、徐々に慣れディシディアも良二も声を張り上げて笑っていた。
「いや、それにしてもいい時間だった。とても貴重な経験ができたよ」
「ですね。ポップコーンも美味しかったですし」
自分で味付けをしたポップコーンも格別だった。元からバターがかけられていたからか下味がついていたし、そこにチーズやガーリックのシーズニングが加わって絶妙のコンビネーションを発揮する。
まぁ、量が多かったので最後は若干余ってはいたがそれでも二人は大満足のようだった。
「ケント。そろそろ向かう?」
「だね。いい時間でしょ。二人も早めにウィスコンシンを出なくちゃいけないし」
車に乗り込みつつ、ケントとカーラはコソコソと何かを言い合っている。ディシディアは耳をピコピコさせながらそちらに身を寄せたが、カーラは唇に人差し指を当てて微笑を向けた。
「聞いちゃダメよ」
「いいじゃないか。聞かせてくれないかい?」
「ダメダメ! ほら、行くよ!」
ケントが強引に話を切り、駐車場を後にする。今回は彼が運転するようだ。カーラの運転もよかったが、彼の運転もいい。少々危なっかしさはあるものの、それは意図してやっているようだった。こういうアトラクション的要素を盛り込んでくれるのも彼のいい所だ、とディシディアは思う。
ケントは少々子供っぽいところがあるが、そこが人に愛される要因でもあった。無邪気で、人懐っこい。それでたまに失敗をしてカーラに怒られもするが、決して嫌な感じはしないのだ。
そんな彼は陽気に鼻歌を歌いながら車を走らせていく。気づかないうちに時間が経っていたのか、空は真っ赤に染まっていた。
美しい夕焼けに目を囚われることもなく、ディシディアは大きなため息をついた。
「……できれば、この時間がずっと続けばいいのにな」
「……そうですね。もっとここにいたいです」
「まぁまぁ。今日が一生の別れってわけじゃないんだからさ。またおいでよ。ここは君たちの故郷だと思ってくれていいんだから」
ケントはそう告げ、グッとサムズアップをしてみせる。カーラもそれに同調の頷きを返し、すっと目を細めた。
その時、ケントがわざとらしく驚いた声を上げ、前方を指さした。
「ほら、見えてきたよ! あそこに行こう!」
彼が指差す先は――小さな家だった。だが、そこは二人の知らない家。彼らの友人の家だろうか?
内心小首を傾げつつディシディアたちは車に揺られていく。ケントは微笑を讃えたまま庭先に車を停め、大きく息を吐いた。
「さて、行こうか」
珍しく緊迫した彼の声。ディシディアたちは緊張と不安にさいなまれながら車を降り、玄関へと向かった。ケントとカーラが先に進み、その後ろを続く形である。それが一層緊張を煽る要因になっているのだが、それに構わずカーラたちは進んでいき、ドアに手をかける。
ケントはニヤッと口元を吊り上げ、仰々しく手を上げた。
「さぁ……ショータイム!」
その声に合わせてカーラがドアを開いた直後――
パァンッ! パァンッ! パァンッ!
炸裂音が一斉に響く。だが、それは銃撃を受けたわけではない。
「これ、は……?」
ディシディアは舞い散る紙吹雪とテープを手で払いながら目をパチクリとさせている。その視線の先にはリナやハーリーの姿があった。彼女たちは皆、手にクラッカーを持っている。
『二人とも! 今までありがとう!』
家の中にいた全員が声を張り上げる。が、ディシディアと良二はまだ状況が理解できないようで目を瞬かせていた。
見かねて、カーラが説明を入れる。
「あなたたちのお別れパーティーよ。湿っぽいのは似合わないからね。ほら、あれを持ってきて頂戴!」
「はいはい!」
その言葉に従ってマッドがパタパタと駆けだしてキッチンへと姿を消し、しかしすぐに大きなチョコレートケーキを持ってくる。そこにはデカデカと『CONGRATULATIONS』という文字が描かれていた。
それを見た良二は目を輝かせ、ハッと口元を覆う。
「すごい……ありがとうございます! 俺たちのために……」
「いいのよ、だってもう私たちは家族でしょ?」
カーラはそう答え、にこやかに微笑む。が、ふとディシディアの方を見て首を傾げた。
ディシディアは俯いており、肩を震わせていた。不安に思った良二が中腰になって顔を見ると――彼女は大粒の涙を流して泣いていた。
「ディ、ディシディアさん!? だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ……ただ、こんな風に祝ってもらったのが初めてだったのでな……その、ありがとう……ダメだ。ちょっと言葉が出ない……」
彼女は心底嬉しそうな顔で泣いていた。そんな彼女の頭をケントはぐしゃぐしゃと撫で、背中をトンと押す。
ディシディアは胸に確かな温かさを感じながら、未だ涙の跡を残す顔で満面の笑みを浮かべるのだった。