第六十三話目~家族と食べる手作りタコス~
ディシディアは辛そうに顔を歪めて頭を垂れている。心のどこかでカーラたちに隠し事をしている後ろめたさがあったからだ。
当然、彼女がエルフであるということは公表していない。これを知っているのは良二だけだ。が、少なくともカーラたちは自分たちのことを本当の家族のように思ってくれている。そんな彼女たちに秘密を打ち明けないでいるのは正直苦しかったのだ。
「……本当に、すまない。ずっと君たちに嘘をついていたんだ」
ディシディアは何とか声を絞り出す。普段の鈴の音のような澄んだ声からは想像もできないほど沈んでおり、陰鬱とした雰囲気を漂わせていた。
いっそこのまま消えてしまいたい……そんな思いが頭をよぎる。隣にいる良二も辛そうに顔を歪めていて、ずっと下を向いていた。
――が、その時だ。
「どうして謝るの?」
カーラの優しく穏やかな声が耳朶を撃ったのは。
ふと視線を上にあげてみれば、彼女はニコニコと微笑んでいた。怒っているようには見えない。むしろ、どこか晴れ晴れとした表情をしているようにも思えた。
彼女はそっと胸を撫で下ろし、ほぅっと息を吐く。
「あぁ、すっきりした。ずっと気になっていたの」
「……怒っていないのかい?」
「? どうして怒る必要があるの?」
カーラは心底不思議そうに首を傾げてみせ、隣に座っているケントもうんうんと力強い頷きを返す。
「何か話しづらい事情があったんだろう? 俺たちだってディシディアちゃんやリョージのことはわかっているつもりさ。二人が俺たちを好き好んで騙すような人間じゃないってこともね」
二人はそう陽気に言い放ち、満足げに鼻を鳴らして顔を見合わせた。
ディシディアは目をパチパチと瞬かせながら、二人を交互に見やる。
「いつから、気づいていたんだい?」
「ん? 割とすぐだよ? だって、リョージがずっとディシディアちゃんのことを『さん』づけで呼んでたでしょ? たぶん、本当の親戚ならそうはしないんじゃないかなって」
指摘を受けた良二は自らの失敗を嘆くかのように頭を抱える。が、ケントはチッチッチと指を振り子のように振った。
「まぁ、あくまでも勘だったけどね。にしても、本当に別の世界から来たのかい?」
「……あぁ。おそらく、これを見てもらえればわかると思う」
ディシディアが手をすぅっと中に走らせるとそこから火花が散った。それを見てケントたちは歓声を上げて手を打ちあわせる。
「すごい! こんなことができるなんて!」
「もっと早くに言ってくれればよかったのに……どうして言わなかったの?」
「……言えば、気味悪がられると思ったんだ」
「そんなことないわよ。まぁ、多少驚きはするけど怖がったりはしない。だって、ディシディアちゃんはディシディアちゃんでしょ? 別の世界から来たって言ってもこうやってお話できてるし、貴女がとってもいい子なのはちゃぁんとわかってるんだから」
カーラは穏やかな手つきでディシディアの手を握る。その温かさについ目頭が熱くなり、ディシディアは慌てて顔を背けた。
「ま、疑問も解決したところでまたクルージングしよう! 今度は飛ばすよ!」
ケントは意気揚々と運転席に腰掛け、ハンドルを握る。カーラも微笑みながら自分の席に腰掛け、コーラを煽っている。
一方、ディシディアと良二は唖然としていた。てっきりもっと叱責されるかと思っていたのに、二人は怒るどころか笑ってこの事実を受け入れてくれたからだ。
「……」
「どうしたの?」
無言で俯いているディシディアにカーラが優しく問う。ディシディアはしばし口ごもっている様子だったが、やがて顔をあげて彼女に問いかける。
「……なぁ、カーラ。私たちは君たちといていいのだろうか?」
「もちろんよ。最初に言ったでしょ? あなたたちはもう私たちの家族同然だって。私からすればあなたたちは大事な大事な子どもと同じなんだから」
「……ありがとう。ただ、一応言っておくが、私の実年齢は百と九十歳だ」
それは予想外だったのか、カーラは口に含んでいたコーラを噴水のように噴き出し、運転席にいたケントはハンドルをギュインと回し、その勢いのまま振り返ってきた。
それがほんの少しだけおかしくて、ディシディアは笑ってしまう。その時の彼女の顔も非常に晴れやかなものだった。
「あぁ……今までずっと気揉みしていたのが馬鹿みたいだな。少しだけ気分が楽になったよ」
「話してくれてありがとう。とても嬉しいわ」
カーラはディシディアの頬を撫で、良二の方をジッと見やる。
「ちなみに、リョージは異世界から来たわけじゃないのよね?」
「え、えぇ。俺は生粋の日本人です」
「そうなの。じゃあ、もしよければ二人の馴れ初めを聞かせてくれない?」
その問いを受け、ディシディアと良二は顔を見合わせ――同時に頬を緩ませた。
「いいですよ。じゃあ、まずは……」
良二は口の端を歪めながら話始め、時々ディシディアも相槌やら補足を入れていく。二人はこれまでずっと黙っていた反動からか、いつもよりやけに饒舌になって話を進めていった。
それから数時間経って夕焼けが湖を赤く照らしはじめるころ、良二たちはまだ船の上で語り合っていた。
二人が出会った日のこと。出会ってからどんなことをしたのか。どこに行ったのか。そんなことを楽しげに話しているディシディアの顔は今までに見たことがないほど無邪気で明るいものだった。
ディシディアはひとしきり話し終えた後でクイッとコーラを煽る。そうして一息つくなり、隣に座る良二を指さした。
「正直、リョージには感謝しているよ。行き場のなかった私を泊めてくれたのだから」
「俺だってディシディアさんには感謝してますよ。借金を返してもらえたのもそうですし、ここにいるのもディシディアさんの助力があってこそなんですから……」
「ふふ、二人は本当に仲がいいのね」
互いに褒め合う二人を見てカーラは微笑を浮かべ、それを受けたディシディアたちはちょっぴり頬を赤くする。そこにケントが茶化すように口笛を吹き、カーラからジト目で睨まれた。
「それにしても、まさか異世界からとね……それには驚いたよ」
ハンドルを切りながらケントが呟く。まあ、それはそうだろう。
異世界などがあると聞いたら誰だって驚く。ましてや、彼女はエルフ族で百九十歳だ。その上摩訶不思議な魔法まで使ったりと、現実ではありえないことが次々と出てくる。
しかし、カーラたちはどこか楽しそうでもあった。彼女たちの本質はディシディアと近いのかもしれない。未知を楽しむ、という点において。
「……さて、ちょっと早いけどそろそろ夕食にしようか」
「そうね。じゃあ、食べましょう」
ケントの言葉に呼応するかのようにカーラが首肯し、ランチボックスの中から紙に包まれた何かを取り出す。彼女はそれをディシディアと良二に渡し、開けるよう手で促した。
「……これは?」
「タコスよ。どうぞ、召し上がれ」
そう。袋の中に入っていたのはタコスだった。たっぷりのレタスと角切りにされたトマト。細切りにされたチーズが入っている。見た目も鮮やかで、まるで芸術品のようだった。
「……では、いただきます」
ごくりと生唾を飲みこみ、大口を開けてパクリ。
生地はパリッとしており、スナック感覚で食べ進められる。また、レタスはシャキシャキしており、トマトは非常に瑞々しくて果肉も甘い。そこにピリ辛ソースが合わされば絶妙のコンビネーションが生まれた。
塩コショウで軽く味付けされたひき肉が全体の味をグッと高めている。レタスなどの野菜だけでは物足りなかったかもしれないが、ひき肉の力強い旨みがプラスされることでタコスの魅力が数倍にも跳ね上がっていた。
チーズは目立たないが名脇役と言えるだろう。口の中で他の食材たちと混ざり合ううちにチーズ本来のコクを時折覗かせてくれる。キッチリとアクセントとしての役割をこなしつつ、自分の存在も主張してくる。実に見事だ。
ディシディアはもぐもぐと咀嚼した後で口の中のものをごくりと嚥下し、
「……美味しいな」
「よかった。おかわりはまだまだあるからもっと食べてちょうだい」
「ああ、ありがとう。いや、ちょっと緊張の糸が解れたからかな。すごくお腹が空いているんだ」
もしかしたら、彼女の中では今までどこか遠慮があったのかもしれない。
だが、面と向かって自分を「家族だ」と肯定してもらえたのが嬉しかったのだろう。
気づけば彼女はタコスを一心不乱に頬張っており、カーラたちは彼女が異世界から来た、とカミングアウトした時よりも驚いているようだった。