第六十一話目~新感覚! バジル・アイスクリーム~
まだ日も昇って間もないころ、ディシディアと良二はカーラの車に乗って帰路に着いていた。窓から差し込んでくる爽やかな朝の陽ざしは非常に心地よく、ディシディアは頬杖をつきながらうっとりと目を細めている。
彼女のピンと尖った長い耳は車のスピーカーから聞こえてくる音楽に合わせてメトロノームのように規則正しくひょこひょこと動いており、彼女が上機嫌なのは見るに明らかだった。
それもそうだろう。故郷に似た場所を訪れ、その上日本にいてはできないことまでたくさんできたのだから。彼女は心底嬉しそうな表情でチラリと後ろを見やる。そちらにはケントが乗る車があり、そのさらに後ろにはハーリーたちが乗っている車があった。
今回は短期間の滞在だったものの、十分すぎるほどの密度だった。事実、今回のことを忘れないだろう、とはディシディアのみならず良二も思っている。特に、昨日見た星空は絶景だった。
星の海に抱かれていると、まるで自分が世界の一部となっていくかのような錯覚を覚えたのだ。あの時のことを思い出すだけで心が躍る。胸が弾む。目を閉じれば脳裏にはありありとあの光景が映る。それほどのインパクトだった。
「……ふふ」
ディシディアはわずかに身じろぎして悩ましげな声を漏らす。
「楽しかったかしら?」
「あぁ。もちろんだとも。本当に感謝しているよ」
カーラの問いにそう答え、ディシディアはズイッと運転席の方に身を乗り出した。そうして、バックミラーを見やるとハーリーたちの乗った車がわき道に逸れていくところだった。
それを見たカーラは「あぁ」と頷き解説を寄越す。
「あの子たちはここでお別れよ。今から別のお友達の家にお呼ばれされているんですって」
「……そうか。なら、もっと話したかったな」
「確かに。まだまだ話足りなかったですよね……」
ディシディアの言葉に同調するように良二は頷き、しゅんと肩を落とす。彼女たちと過ごしたのはわずか数日だ。そう思っても仕方ないだろう。
しかし、それを見越していたかのようにカーラが何かのメモを渡してくる。そこに書かれているのは――彼らのメールアドレスのようだった。
「そういうと思って用意しておいたの。帰ったら連絡してあげて。あの子たちもあなたたちのことはとっても気に入っていたから」
「……はい! ありがとうございます」
良二はそのメモを大事そうにポケットに仕舞いこみ、再び前方を見やる。木漏れ日が差しこむ道路はどこか幻想的で、美しい。
「綺麗だな。できれば、もう少し滞在したかったが……」
ディシディアは心底残念そうに言ってため息をつく。彼女の耳はしょぼんと垂れており、その心情を代弁しているかのようだった。
「仕方ないですよ。ずっとあのキャンプ地にいるわけにもいきませんし」
「そうではない。あと少しだけこの国に滞在していたかった、という意味だ」
「あ……」
言われて、良二はハッとする。もうそろそろ日本に帰らなければならないのだ。すでにチケットを買ってあるので、逃してしまえば帰れなくなってしまう。
「……そう、ですよね。ずっとここにいられるわけじゃないんですもんね」
「ほらほら、そうしょげないの。限られた時間で精一杯楽しむのも大事なことよ?」
カーラは努めて明るく言い放つ。流石は二児の母、といったところか彼女は空気の流れに非常に敏感でさりげなくサポートしてくれる。その優しさに感謝しながら、ディシディアはほぅっと息を吐いて後部座席に体を預けた。
「カーラの言う通りだ。それに、逆を言えば終わりがあるからこそ誰もが必死に今を生きるんだ。期限も何もなかったら、それこそ毎日を怠惰に過ごすだけだろう。君はそうなってはいけないよ」
「……はい。気をつけます」
彼女の諭すような言葉を聞き、良二は深々と頭を垂れた。その姿を見たカーラはクスリと笑い、何かを言おうとして――グッとその言葉を飲みこんだ。
だが、それを目ざとく見ていたディシディアは彼女に問い詰める。
「どうしたんだい? 言いたいことがあるなら、言ってくれ」
「うぅん。たぶんこれはケントも一緒の時に話すべきことだから黙っておくわ。ただ、二人はとっても仲がいいのね」
「それを言うなら、カーラもケントとずいぶん仲がいいじゃないか」
「それはそうよ。ケントとはかれこれ二十年以上の付き合いだもの。ただ、これだけは言えるけど昔の私より今の私の方が彼を愛している自信があるわ」
「ほぅ、それはどうして?」
興味深そうなディシディアの視線を受け、カーラは赤くなりつつある頬をサッと両手で押さえた。当然車は一瞬だけコントロールを失うが、彼女はすぐにハンドルを握って微笑を浮かべる。
「だって、毎日顔を合わせているのよ? そしたら、色んな一面が見えてくるわ。結婚したからこそ見えるものもあるしね。まぁ、いいものばかりではないけど。でも、それも含めて彼だもの。今だから言えるけど、あの人と結婚したことを後悔した日はないわ。お義父さんたちもいい人たちだし、可愛い子どもたちにも恵まれた。私は幸せ者だわ」
カーラは恥ずかしいからかやや早口になっている。けれど、その言葉に嘘はないようだった。彼女は心底幸せそうな顔で後方を見やる。するとちょうど運転席に座っていたケントとバッチリ目が合う。彼は運転中にもかかわらずブンブンと手を振り、そのせいで車線を外れて対向車からクラクションを鳴らされていた。
「ね? ああいうところも可愛いでしょ?」
カーラは愛嬌たっぷりに言い放ち、クスクスと子どものように笑う。つられて良二たちも声を揃えて笑い、目尻に浮かんだ涙を指の腹で拭う。
その時、ぐ~っと間の抜けた音が車内に響き渡った。音の発生源は――湯気が出らんばかりに顔を真っ赤にしているディシディア。思えば、朝は適当に残り物を詰め込んできただけだったのだ。
「それじゃあ、休憩がてらどこかに寄ろうかしらね」
「……ありがとう。助かるよ」
ディシディアは俯きながらも礼を言う。良二は愛らしい仕草を見せる彼女を見て口元を緩ませながら道の端に目をやった。すでに森からは離れてきており、住宅街やガソリンスタンドなどが見えてきている。
徐々に戻りつつ喧騒を感じながら、車は先へと進んでいく。と、しばらくしたところで木造の小さな小屋が見えてきた。そこでカーラはピッと手を窓の外から突き出して後ろにいるケントに合図を送り、駐車場に車を入れた。
「さぁ、降りて。ここでアイスクリームでも買いましょう」
「ここが、アイスクリーム屋?」
ディシディアは眼前の木造建築をジッと見つめる。日本でよく知られているアイスクリーム屋のイメージとは一線を画した建て構えに目を丸くしてしまう。ただ、ひょいっと窓から中をのぞいてみれば確かにそこはアイスクリーム屋だった。ショーウインドウの向こうには大量のアイスクリームが揃えられている。
「さぁ、入りましょう。ケントたちも来たことだしね」
彼女に促されるまま、二人は中に足を踏み入れて改めて息を呑む。西部劇に出てくるような内装は雰囲気があってとても落ち着く。チェーン店とはまるで違う趣が漂う店内は見ているだけで胸が躍った。
が、それも数秒のこと。ディシディアはショーウインドウの向こうにある色とりどりのアイスクリームに視線を移す。赤、青、黄色、白……パレットをそのまま映したような色合いだ。
「どれにする? あ、そういえば英語は読めないのよね……どれか気に入ったのがあれば指差してもらえるかしら?」
「じゃあ、俺たちは先に買ってるよ」
ケントとリナ、そしてマッドは店員の方に歩み寄り注文を口にしていく。イケメン店員はにこやかに微笑みながら手慣れた手つきでアイスクリームをコーンの上に乗せ、彼らに渡していく。若干目をとろんとさせているリナにマッドは何か言いたげだったが、彼はグッと言葉を飲みこんでアイスクリームを口に含んだ。
彼らが舐めているアイスクリームを見ていたディシディアはしばし悩ましげに唸っていたが、やがて神妙に頷いてとあるアイスクリームを指さした。
「では、私はこの緑色のものを頂こう」
「え……ッ!?」
カーラのみならず、ディシディアを除いた全員がしゃがれた声を漏らす。なぜそんなリアクションをされたのかわからないディシディアはきょろきょろと全員を見渡し、キョトンと首を傾けた。
「あ、あのね、ディシディアちゃん。それはやめた方がいいと思うわ……」
「なぜだい? カーラ。美味しそうじゃないか。おそらく、ミントか何かだろう?」
確かに、緑色のアイスクリームには何かの葉が混ざっていた。それは一見してミントのようにも思えてしまうが、その実は違う。
カーラは中腰になり、ゆっくりと告げた。
「あのね、ディシディアちゃん……あれはミントアイスじゃないの」
「何? では、何味だい?」
「それは、その……バジルよ。バジル・アイスクリーム」
一瞬言っていることが理解できなかった。
ミントならまだしも、バジル? 料理ではよく使われるものだが、アイスに使われるなど聞いたことがない。ただ、確実に言えるのは明らかにそれがイロモノだということだ。
が、普通の人間ならブレーキをかけるところでアクセルを踏み込めるのがディシディアだ。彼女はニィ……と不敵に唇をゆがめ、ピッと人差し指を立てる。
「面白い。では、やはりそれをもらおう」
彼女の言葉は力強いものだった。カーラはまだ何か言いたそうにしていたが、
「カーラ。さっき言っていただろう? 限られた時間を楽しむべきだ、と。なら、今がその時だ」
ディシディアの追い打ちを受け、とうとう折れた。
「……わかったわ。じゃあ、バジル・アイスクリームを一つ頂戴。リョージは?」
「俺はこれを」
「ローズレモンジェラートね。じゃあ、そっちもお願い」
「はい。かしこまりました」
イケメン店員は相も変わらず爽やかに答え、手際よくアイスクリームをコーンに乗せる。そうして、恭しい手つきでディシディアに寄越してきた。
「どうぞ。召し上がれ」
「ありがとう。いただきます」
彼女は手を合わせ、アイスクリームをゆっくりと口に持っていく。その光景を一同は固唾を飲んで見守っていた。
当のディシディアはニコニコと満面の笑みを浮かべてぺろりとバジルアイスクリームを舐めた。が、すぐに首を傾げてもう一口。そうして一瞬だけ間を置いた後、
「……ふ、ふふふふふふ……ハハハハハッ!」
けらけらと心底おかしそうに笑い声をあげた。そのただならぬ様子に、良二は不安げに眉を潜めた。
「ディ、ディシディアさん……?」
「何だ、これは!? 面白い味だ! ハハハハハッ!」
「いやいや、普通感想は『美味しい』か『まずい』でしょう!? どうして笑ってるんですか!?」
「クク、まぁ、食べてみたまえ」
ディシディアは店員に人数分のスプーンを要求し、一口ずつ掬って全員に渡す。良二たちは困惑しているようだったが、ディシディアの期待に満ちた瞳を無下にはできず、一斉に口に含んだ。
直後、
「……ハハッ!」
誰ともなく笑いだし、それは全員に伝播していった。ディシディアはそれを見て満足げに頷く。
「面白い味だろう? というか、笑うしかない。こんなアイスがあったなんて驚きだよ」
ディシディアはクスクス笑いながら今一度バジルアイスクリームを舐める。ベースはバニラアイスだが、そこにふんだんにバジルが練り込まれている。しかもひどいのがバジルの葉まで混ざっているということである。それを噛んだ瞬間口の中にぶわっとバジルの風味が拡散していく。
最初はバニラの甘さがやってくるが、続けてバジル特有の香りが鼻を抜ける。チョコが塗られたコーンと共に口に含めばまた違った味わいが楽しめた。
サクッとした香ばしいコーンとビターテイストのチョコレート。そしてひんやりとしたバジルアイスクリームが口の中で混じり合い、混沌を生み出す。甘味、塩味、苦味が交互に顔を出し、時折入っているバジルの葉がそれらを吹き飛ばして舌の上でオンステージを繰り広げる。
美味いか不味いか、そんな次元ではない。ただただ面白い、未知の味だ。
奇妙な味なのに止めることはできず、食べていくうちにどんどんハマっていくようだ。
この品はまさしくバジルとアイスクリームに対する新たなアプローチである。今まで食べた料理のどのカテゴリにも属さない品だ。味の可能性を開く、という点では大成功だろう。
ディシディアは終始楽しげに笑いながらアイスクリームを貪っている。それを見て、カーラたちは感心したように頷いた。
「む、無理しなくていいのよ?」
「無理じゃないさ。これは本当に面白い。ふふふ、料理を食べて笑うのは初めてだ。バジルとバニラは仲がいいのか悪いのか、それすらもわからない……ッ!」
その言葉を聞いた店員はうんうんと意味深に頷く。
「だよね。僕でもよくわからないよ、これ。でも、不思議なことに愛好家は多いんだよね……だからメニューにずっと残ってるんだ」
「それもそうだろうね。だが、バジルの葉を噛み潰すときの清涼感は一度味わったら癖になりそうだ。好きな人にはたまらないだろうさ」
「ちなみに、君は好きなのかい?」
「……いや、正直微妙なところだな。舌が新たな感覚に戸惑っている感じだから、よくわからないんだ」
などと言いつつも、ペロペロとアイスクリームを舐めるディシディア。良二は彼女を視界の端に納めた後でローズレモンジェラートを口にする。
名前的には王道っぽいのに、実はそれもイロモノだったのは別の話。