第六十話目~満天の星を肴にフローズンカクテルを~
アメリカの夜は非常に過ごしやすい。日本の様な湿気もないのでじめじめした感じがなく、外に出れば心地よい風が頬を撫で、生い茂った木々の枝を微かに揺らす。
都会ではなかなか得ることができないこののどかな時間をディシディアたちは満喫していた。彼女たちはキャンプファイアをしながら語り合っている。良二も最初は緊張していた様子だったが、フランクに話しかけてくるハーリーたちの相手をしているうちにだんだん慣れてきて今では満面の笑みを浮かべながら談笑していた。
「それにしても、火というのは眺めていると落ち着くね……」
デザートのチョコレートを齧りながら呟いた。彼女はぼんやりとした視線をゆらゆらと揺らめく火に向けつつほぅっと息を吐く。
ここは人があまり来ないということもあって、休暇を満喫するには十分すぎる場所だった。騒音もなく、何より自分の故郷に一番近い。そのせいか、彼女はアメリカに来て最もリラックスした表情を見せていた。
「それにしても、失敗したなぁ。マシュマロでも持ってくればよかったよ」
火に新たな薪をくべながらケントががっかりしたように肩を落とす。キャンプファイアをするときにマシュマロがあれば焼きマシュマロという至上の一品を作ることができるのだが、あいにくと今日は買い忘れていたのだ。
「まぁ、仕方ないわよ。それに、これだけでも十分楽しいでしょ?」
カーラが宥めるように言うと、ケントはニカッと笑って自分の席に腰掛け、ビールを煽りつつディシディアに視線を向けてきた。
「結構遅い時間だけど、大丈夫かい?」
「私は大丈夫だよ。ただ……」
ディシディアはちら、と自分の右斜め前方を見やる。そこにはすでにうつらうつらと舟を漕いでいるマッドとリナの姿があった。どうやらもう寝かかっているらしい。ケントは苦笑しつつ立ち上がり、マッドたちの方に歩み寄った。
「父さん。母さん。大丈夫かい?」
「むぅ……すまん。もう限界だ。ちょっと休ませてもらうよ」
マッドはケントの手を借りて立ち上がり、隣に座っているリナの肩を優しくポンポンと叩く。やがて目を覚ました彼女は夫と共に別のキャンピングカーへと向かっていった。
「お休み、二人とも」
「じゃあね、子どもたち。いい夢を」
マッドは大きな欠伸を残してその場を後にしていく。残されたディシディアたちは再び会話を始めようとするが、そこでパチンッとハーリーが指を鳴らした。
「ねぇ、せっかくだから散歩に行かない? ほら、今日は天気もいいじゃない」
確かに今日は曇りない星空だ。ただ、生い茂った木々たちのせいで枝葉の間からしか空の様子を伺うことしかできない。
「せっかくだ。いい場所に連れていってあげるよ。ハーリー。レン。例のものを」
「あぁ、あれね? わかったわ。行きましょ、レン」
彼女たちは意味深に笑い合い、そそくさとどこかへと行ってしまう。残されたディシディアと良二は顔を見合わせ、キョトンと首を傾げた。
「大丈夫よ。いい所だから。ちょっと変わった乗り物で送ってあげる」
「変わった乗り物?」
と、ディシディアが首を傾げた直後だ。どこからかボルンボルンという奇妙なエンジン音が響いてきたのは。
「ディ、ディシディアさん、あれ!」
良二が目をキラキラとさせながら前方を指さす。するとそこからは夜光をつけたゴルフカーがやってきていた。そう。あのゴルフカーだ。普通はゴルフ場内などを巡ったりするはずの乗り物に、ハーリーとレンは乗っていた。
「昔知り合いからもらったんだ。乗り心地は保障するよ。俺たちはちょっと遅れるから」
「話はまとまった? それじゃ、早く乗りましょうよ!」
ケントはひらひらと手を振り、カーラと共にキャンピングカーの方へと戻っていく。対してゴルフカーに乗ったハーリーは横から身を乗り出してブンブンと手を振っていた。
「……行きますか?」
「だね。待たせては悪い」
ディシディアは最後のチョコレートの欠片をひょいっと口に放り込むなり、小走りでハーリーたちの元へと向かっていく。そうして乗り込むなり、二人はあることに気が付いた。
「ひょっとしてこれ……シートベルトなし?」
「そうよ。だからしっかり掴まっていてね」
不安げに眉を寄せる良二にハーリーはあっけらかんとした調子で返し、グッとアクセルを踏み込んだ。直後、ゴルフカーはグオンッと唸りをあげて前進する。
そこで、助手席に座っているレンが口元を引くつかせながら後部座席に向きなおった。
「気をつけた方がいいよ。絶対に落ちないように」
「それはどういう……」
と、良二が返そうとしたその時。
「イィイイイイイハァアアアアアアッ!」
ハーリーが奇声を上げ、勢いよくアクセルを踏み込んだ。刹那、ゴルフカーはグングンと勢いを増して先へと進んでいく。その速度たるや、ゴルフカーとは思えないほどだ。
しかも、ここはキャンプ地とはいえ全てが整備されているわけではない。地面には石や枝などが転がっているし、地表には木の根が露出している。当然、そんな悪路を進むとなれば車はガコンガコンと揺れまくる。
「ちょ、ちょっとだけゆっくりいけませんかね!?」
良二が顔を真っ青にして叫ぶも、ハーリーの耳には届いていないようだ。彼女は依然として気勢を上げたまま粗っぽい運転を続けていく。チラリとレンを見てみたが、彼は覚悟を決めたかのように穏やかな表情をしていた。つまりは、この程度は慣れっこらしい。
「ハハハハハッ! いいじゃないか! もっと飛ばそう!」
一方、委縮する良二とは裏腹にディシディアはこの粗っぽい運転が気に入ったようだ。確かにそんじょそこらのアトラクション顔負けの動きをしているし、何よりスリルがある。一歩間違えば大怪我してしまいそうなほどの。
その感覚に身を震わせながら、ディシディアは大声で笑う。良二は前方のレンと視線を交わし、互いに軽く会釈した。
パワフルな女性陣とそれに振り回される男性陣。なんだか親近感を覚えた良二は自然とレンと固い握手を交わしていた。が、それもほんの数秒。ガゴンドゴンドッタンバッタンと跳ねまわるゴルフカーから振り落とされないように、二人はとにかくつかめるところを掴んで耐える。
もはや永遠にも思えるほどのスリリングなアトラクションを堪能していると、徐々にその勢いが弱まってきて体にかかっていた負荷も消えた。良二はおそるおそる目を開けて――ハッと息を呑んだ。
「おぉ……」
完全に広がるのは草原。広々としており、うっすらと茂った草は風に揺れている。
「ここにこんな場所があったのか」
「えぇ。ここなら、よく見えるでしょう?」
と、頬を上気させながらハーリーが空を指さす。そこには――無数の星々がちりばめられた空があった。
大小さまざまな無数の星たちはそれぞれ違った色を放ちつつ煌いている。それはまるでこの世の縮図だ。一つとして同じものはない。それはある意味不均等で秩序がないように思えてしまうかもしれないが……非常に美しい。
星たちの中心には丸い月があり、草原を照らしてくれている。街灯も何もない場所だが、星と月の光のおかげで見通しはよくなっている。普段は街灯に慣れているからだろう。良二はこの神秘的な光景に目を丸くしていた。
「……素晴らしい。とても綺麗だ」
まるで絵に描いたような光景にディシディアは感嘆の声を漏らす。都会の空ではこうはいかない。排気ガスと淀んだ空気によって空は酷く濁っている。しかし、郊外――それも森の中ならば話は別だ。
かつてどこの場所でも見られたはずの空をここでは拝める。こちらに来てから毎日眺めていた空の新たな一面を垣間見てディシディアは感動しているようだった。彼女は星を掴もうとしているかのように空に手を伸ばし、しかしスゥッと手を引っ込める。
「よかったら、俺が取ってみようか?」
レンは快活そうに笑い、ぴょんと空高くジャンプしてみせた。彼は空に舞っている何かを掴むようにぐわっと腕を振り、着地するなりディシディアの方にその握り拳を見せてきた。
「ほら、見てごらん」
そうして開かれた彼の手には綺麗な飴玉が握られていた。透き通った黄色をしたそれはまさしく星のようだ。ディシディアは「おぉ」と驚きの声を漏らし、パチパチと拍手をしてみせる。それを受け、レンはディシディアに飴玉を握らせて恥ずかしそうに頬を掻いた。
「はは、喜んでもらえて嬉しいな」
「レンの持ちネタなのよ。面白いでしょ?」
「ああ。いつの間に持っていたんだい?」
「それは秘密さ。ばらしたら面白くないだろう?」
レンは口元に人差し指を当て、パチンとウインクをしてみせる。見た目にそぐわぬ好青年だ。彼は終始穏やかな口調だし、ディシディアに対しても紳士的に接している。もしかしたら、彼女のことを妹のように思っているのかもしれない。
「あ、見て。来たわよ」
ハーリーに肩を叩かれ、良二はチラと自分たちが来た道を見やる。すると、奥の方から人影が二つやってきていることに気づいた。それは別に幽霊などではなく、カーラとケントだ。二人は手にビニール袋を掲げている。
「ディシディアちゃん。これ、どうぞ」
「ありがと……冷たっ!」
カーラから差し出された何かを受け取ろうとして、ディシディアは思わずぴょんとその場で飛び上がってしまった。あまりの冷たさに体が過剰反応してしまったのである。
「ふふ、ごめんなさい。冷たいから気をつけてね」
そうして渡されたのは――パウチされたフローズンカクテルだ。
アメリカではフローズンカクテルが好まれており、夏場はよく売られている。ケントたちが持ってきたのはそれだ。ちなみにディシディアが持っているのは『マンゴタンゴマルガリータ』というものだが、それぞれ違うようだ。
「むぅ……これまた珍妙な。どう飲めばいいんだ?」
「こうするのよ。まずはシャーベット状になったカクテルを手でほぐすの」
カーラに言われるまま、ディシディアはパウチを揉む。そうするとシャーベットらしき感触が返ってきたが、しばらくすると反発が弱まっていき、振ればちゃぷちゃぷと音がした。
「さぁ、もう飲めるわよ。召し上がれ」
「では、早速頂きます」
彼女は封を開け、カプッとパウチにかぶりついた。そうして、ゆっくりゆっくりと啜る。
口の中に入ってくるのは半溶けになったシャーベット。シャリシャリとしつつ、かつカクテルらしく微かな苦みとフルーティな酸味と甘みを寄越してくれた。
日本で言う『かき氷』と似たような感覚かもしれない。こちらは若干飲み物寄りになっているが、涼を取るには最適。その上パウチにされているおかげで保冷材のようにして体に当てることもできる。そうすると体も冷えるし、シャーベットも溶けるという一石二鳥だ。
フローズンカクテルを啜っていたケントがディシディアにすり寄ってくる。
「どうだい? 気に入ったかい?」
「あぁ。とても美味しいよ。それより、よかったのだろうか? アルコールを飲んで」
「あ~……そうだった」
ケントはわざとらしく額を叩き、きょろきょろと辺りを見渡して悪そうな笑みを浮かべる。
「ここにはおまわりさんはいないから、大丈夫だよ」
このアバウトさもアメリカならではだろう。基本、アメリカではやることもなすことも全てが自己責任だ。それは時として大変な事態を招くこともあるが、自由という特権を得ることができる。
ディシディアは頷き、パウチを優しく揉みながら言った。
「なら、ありがたくいただくよ」
シャリシャリとした食感を楽しみながら答える。キンキンに冷えたカクテルは体の内から疲れを吹き飛ばしてくれるようで、何より常温などで飲むよりも味がキリッと引き締まっていた。
冷たいものを食べると味覚が鋭敏化される。そのためか、普通のカクテルよりも格調高い味わいに感じられた。